第弐話 【 東雲 九十九 】

 直された露天風呂に、灰夢かいむたちは浸かっていた。





 目の上に温めたタオルを置いて、空を見上げる。

 まるで、魂を抜かれたかのように、ぐったりと……


「はぁ……。疲れた時はこれに限るな」

「そうじゃなぁ、これはたまらん……」

「今日は、長い一日じゃったのぉ……」


 広い岩の湯船に、力を抜いて胴から下を浸ける。

 光り輝く星空に照らされた、水面に広がる星の瞬き。


 神を倒したなど、嘘ではないかと思えるくらいに、

 揃って平和ボケした顔で、三人が夜の空を見上げる。



 そう、三人で──



「んで、なんで、お前もいるんだよ。九十九つくも……」

「ご主人が、許可をくれたのではないか」

「俺が許可したのは風呂だ。男湯じゃねぇ……」

「よいではないか。わらわとご主人の仲では無いか」

「どんな仲だよ、裸まで気を許した覚えはねぇよ」


 牙朧武が灰夢の姿を見ると、下半身に影の鎧を纏っていた。

 そして、タオル顔に置いたまま、灰夢は淡々と言葉を返していく。


「全く、言ノ葉ことはは何をしてんだ……」

「あやつを責めるでない。人間の小娘に、わらわを止める方が難しい」

「その責められる理由は、誰のせいだと思ってんだ」

「手厳しいのぉ、ご主人……」


「これでは、灰夢がタオルを外した途端に十八禁問題じゃな」

「湯けむりさんを信用するのじゃ、きっと何とかしてくれおる」

「俺に湯けむりを操る忌能力はねぇんだ。いいからタオルでも巻いててくれ」

「仕方ないのぉ……」


 言われるがままに、九十九がしぶしぶタオルを巻き出す。

 その時、後ろから誰かの走ってくる足音が聞こえてきた。


「ほら、危うく十八禁になるところだっただろ?」

「……じゅ〜はっきん?」


 聞き慣れた子供の声、二人いるうちの一人。

 無駄に元気な姉の方、女湯に入ったはずの幼女。


 灰夢は全てを一瞬で理解し、幼女に言葉をぶつけた。


「何で来てんだ、テメェ……」

「会いに来たよっ! えへへっ!」


 そういって、鈴音すずなが灰夢の体にしがみつく。


「十八禁が増えたじゃねぇか。どうすんだよ、これ……」

「もう諦めよ、灰夢……」

「いや、さすがに幼女の裸はまずいだろ」

「あくまで半妖じゃ、何とかならんか?」

「ならんわッ!! ケモ耳のロリっ子はやべぇって月影アイツらも言ってただろッ!!」

「でももう、来てしまっておるしのぉ……」

「はぁ……。だから、あれだけ忠告したのによぉ……」


 灰夢が面倒くさそうに、深くため息をつく。

 その時、ふと疑惑が灰夢の頭の中に一つ浮かんだ。


 そう──



 ──【 双子は常に、共にいる 】ということを。



 寝る時も、ご飯の時も、戦う時も一緒だという二人、

 出会った瞬間以外は、常に共にいることを思い出した。


「おい。まさか、風花ふうかも来てるとか言わねぇよな?」

「狼の、お兄さん……」

「…………」


 その囁くような小さな声に、灰夢が言葉を失う。


「ガッツリ後ろにいんじゃねぇか」

「まぁ、こやつらが離れることはなかろうよ」

「十八禁が三人になったぞ、どうすんだよ……」

「……言わなきゃバレぬだろ」

「蒼月は全てを見通す悪魔なんだぞ?」

「終わったのぉ……」


 灰夢が、何かを諦めるように、ため息を重ねていく。


「もういい。風花も早くはいれ、風邪引くぞ……」

「狼の、お兄さん……えっちさん、なの……めっ! です……」

「男湯に入ってきた小娘が、どの口が言ってやがる」


 躊躇いながらも、ゆっくりと風花もお風呂に浸かった。


「えへへっ……。暖かい、です……」

「鈴音、お前も少し離れろ」

「えぇ〜、ぶぅ〜……」


 不貞腐れながら、鈴音が灰夢から離れる。


「ご主人は大人気じゃのぉ……」

「つい一昨日までは、牙朧武しかいなかったけどな」

「一気に住人が増えたのぉ……」


 灰夢はタオルで目隠しをしたまま、空を見上げて動かない。


 あくまで、外さなければセーフという儚い希望を、

 灰夢は、まだ心の中では、捨ててはいなかったのだ。


 だが、その希望が一瞬で砕かれる一言を、牙朧武が放った。


「お主はよいのか? そんな所におって……」

「おい待て、まだ誰かいんのか?」


 灰夢はリミッターを開けそうな勢いで思考を巡らせる。





 風呂を直した満月は、他の建物の修理に向かった。


 九十九は既に、横で風呂に浸かっている。

 牙朧武は反対側で、同じく風呂に浸かっている。


 風花と鈴音も、既に近くにいるのを知っている。

 蒼月は店番。不動夫婦は、揃って晩飯の支度中。


 リリィは満月が庭園を直すまで、花と精霊の様子を見ているはず。

 残る一人は、女湯に一人で残っているはずの、彼女しかいない。


 だがそれは、その子の両親二人のバケモノにとっての、

 怒りの引き金となりかねない、少女である。


 それだけは、何を言っても弁解できない辛い現実を、

 ついさっき向けられた自分の体が、嫌という程覚えている。





 その全てを理解した灰夢は、入口に立つ少女に向けて告げた。


。お前が来たら、俺は死ぬ……」

「──えええええぇぇぇぇえっ!?」

「主に、お前のご両親に殺られる」

「お兄ちゃん、死んじゃうんですか!?」


「灰夢くん、『 俺は死なない 』って言ってたじゃん」

「狼の、お兄さんなら……大丈夫、です……」

「死ぬのは、俺のじゃない。俺のここでのだ……」

「確かに、それは不死身の灰夢でも治せんな」

「本気でシャレになんねぇぞ……」


 そう告げる灰夢に、言ノ葉が小さな声で問いかける。


「タオル着てても、ダメですか?」

「ダメですね。お前のご両親が、それで許してくれると思うか?」

「ダメですね。きっと……」

「……だろ?」

「……はい」


 その返答に、言ノ葉がしょぼんと落ち込む。


「そもそも、なんでこっちにきた……」

「いや、それは……。みんな、いっちゃったからで……。その……」





 鈍い灰夢ですら、目で見なくてもわかる。


 この人数の中に自分だけ入れないのは、

 さぞかし寂しいことだろうと言うことも。


 それでも、一度でも見てしまったら言い訳はできない。

 その考えが、必死に灰夢の中に眠る優しさを抑えていた。


 その時、不意に九十九が言い放つ──


「別に良いでは無いか、わらわが許可してやるぞよ」

「……おい」

「……いいんですか?」

「この中に一人入れぬのは、寂しいじゃろ」


 そう言いながら、九十九が手招きで言ノ葉を呼ぶ。


「別に、女湯は入れんだろ」

「大切なのは、じゃよ」

「まぁ、それは否定はせんな」

「牙朧武まで言うか」

「ご主人も、それはのじゃろう?」

「……なんで、そう思う?」

「嫌われ者と知ったわらわを、迷うことなく受け入れたからじゃ……」

「…………」


 それを聞いて、灰夢は言葉を詰まらせた。


「はぁ……。言ノ葉、入っていいぞ……」

「……ほんとですか!?」

「あぁ、なんか言われたら、九十九のせいにしとけ」


「──やったあぁぁ! 許可を貰ったのですぅ~っ!」

「「 ──うわぁ〜っ! 」」


 バシャンッと、言ノ葉が勢いよく飛び込み、

 風花と鈴音が、ブルブルと水しぶきを振り払う。


「はぁ……。随分と、厄介なもんに気に入られたもんだな」

「刀は使い手の半身。ご主人の強い意志は、わらわにも十分に伝わる」

「…………」

「子狐を救うために、昨日今日と戦っておったことも知っておる」

「……何かあったら、お前が責任取れよ?」

「わらわは捨てられた身じゃ。今更、人に嫌われようと変わりはせんよ」

「こういう時だけ、潔いいのはなんなんだ」

「ご主人だけおれば、わらわはそれでよい……」


 その一言に、灰夢がずっと引っかかっていた疑問を問いかける。


「いつから俺は、お前に信頼されるようになったんだ」

「わらわを引き抜いた後に、そのまま血の契約を交わしてくれた」

「……血の契約?」

「わらわに血を与えて、刀身を治してくれたじゃろ?」

「いや、それ……。俺が死ねるか、自分で試しただけだ……」


「おかげで、ご主人の血と精気を吸い、生き長らえることが出来た」

「俺がそれをやらなかったら、眠ったままだったのか?」

「うむ。起きもせず、折れた刀のままじゃ……」

「……それは、まずいのか?」

「わらわの妖力が時と共に尽きれば、そのまま消えて終わりじゃな」

「…………」


 九十九は夜空を見上げながら、静かに笑みを浮かべていた。


「お前、ずっと精気を吸ってるのか?」

「そうじゃな。主に握られている限り、その者の精気を吸い取り続ける」

「……そんなにか?」

「持ち主が普通の人間なら、数日持たずに死ぬじゃろうな」

「マジかよ。割と、ガンガン吸ってんな」

「じゃから、わらわは妖炎を放てるんじゃよ」

「…………」


「やろうと思えば、主の意識すら乗っ取れるぞ?」

「それもまた、妖刀らしいな」

「ご主人には、何故か出来んかったがな」

「だろうな。……ってかしようとしたのかよ」

「何者かを、確かめようと思ったんじゃよ」

「俺の体はあらゆる外部干渉を弾く、それが不死身の能力の一つだ……」

「なるほどのぉ。わらわの憑依すら弾くというのは大したもんじゃ……」


「それにしても、憑依するだの精気を喰らうだの物騒な話だな」

「それ故に、わらわは多くのものに捨てられて来たんじゃ……」

「…………」

「それでも、お主だけは、わらわを捨てずに傍に置いてくれた」

「割と投げたり、吹き飛んだりはしてたけどな」

「それでも最後には、ちゃんと拾いに来てくれたではないか」

「…………」


 その言葉だけで、灰夢は九十九の気持ちを理解し

 それ故に、どういう心を持つ者かも痛いほど伝わってきた。


「灰夢の場合は、気づいておらんだけの気もするがのぉ……」

「でもさっき、はっきり言われて知ったじゃろ」

「あぁ……」

「それでも受け入れてくれる者など、わらわは見たことがない」

「灰夢の体質は、かなり特別じゃからな」

「まぁ、少なくとも他にはいねぇだろうよ」





 忌能力の同じ人間は、血縁には稀に存在する。


 だが、人間離れするほどの飛び抜けた忌能力ほど、

 同じ能力を持つものが存在するケースは少ないと言われる。


 それ故に、月影に属する者たちには、

 他に気持ちを共有できる者が、ほとんどいない。



 ──だからこそ、知っている。



 少しばかり、話題や笑い話になるような、

 超能力と言った力とは、比べ物にならないことを。


 見られただけで、そこにいるだけで、

 何故か、自分が怖がられる者の、孤独な気持ちを。


 受け入れられず、蔑まれ、拒絶され、

 除け者にされる者の、辛く苦しい気持ちを──





「【 鬼 】と聞けば、どんなに良い人間も、自ずとみな離れていく……」

「……そうなのか?」

「人や獣を襲って食べることも、気に止めずにしてきた種族じゃからのぉ……」

「食物連鎖ってだけだろ」

「それを分かっておっても、普通は嫌がるもんなのじゃよ」





 それぞれが持つ嫌われる理由、それは種族には関係ない。


 人も、妖狐も、鬼も、呪霊も、悪魔も、精霊も、機械も、

 それぞれが理由を持ってしまえば、みな自ずと避けていく。


 その言葉を聞いていた全員が、それを改めて実感していた。




 その時、不意に灰夢が呟いた──



























   「 まぁ、どっかに放置するよりは、俺が見てる方がいいか 」



























 その瞬間、九十九の募らせていた不安が一気に消えた。

 まるで、心を縛り付けていた鎖が解けるかのように──


 捨てる理由など、いくらでもある。

 置いておく理由など、どこにも無い。


 誰もが【 危険 】の、ひと言で片付け、

 ひたすら捨てられ続けて来た、鬼の少女。


 そんな九十九に、初めて──



 を、灰夢が告げた。



 それは、九十九の心に刺さっていた何かを、そっと抜き去った。



























   「 俺が封印を解いたという事実は変わらない。


           なら、その責任は俺が背負う。それが道理だ 」



























        湯気や汗が顔から滴り、たくさんの雫を落とす。





    それでも、確かに九十九の小さな瞳からは、


            溢れんばかりの暖かな涙が、頬を流れていた。



























         「 本当に、お人好しのバカじゃのぉ。ご主人は…… 」



























 涙声を隠しながら、九十九が灰夢に言葉を投げつける。


「……バカは余計だろ」

「まぁ、灰夢じゃからな」

「カバーになってねぇよ、牙朧武……」


 涙声に気付かないふりをしながら、

 灰夢がタオルを取ることなく答える。


「子狐と言い、妖刀と言い。責任重大じゃな、灰夢よ……」

「お前だって、そのバケモノの一人だろ。呪霊なんだから……」

「吾輩は元々、じゃ……」

「ったく、とんでもねぇもんを生み出しちまったもんだ……」

「呪霊を宿しておいて、何故、理性を保っておるのか。吾輩も不思議でならんわい」

「そんなもん、俺を不死身にしたやつに聞いてくれ」


 灰夢と牙朧武が、呆れた顔で見つめ合う。


「まぁ、巡り合わせかは知らねぇが、出会ちまったもんは仕方ねぇな」

「死ぬかもしれぬの言うのに。相変わらず、何を言うにも軽いのぉ……」

「不死身の呪いを解ける可能性があるなら、俺は何だって試してみるさ」


「ご主人が死んだら、わらわたちは、また一人になってしまうぞ……」

「俺と牙朧武以外は居なくなんねぇし、そんな簡単に解けたら苦労してねぇよ」

「まぁ、遠分は死んだりせぬよ。安心せぇ……」

「そうか。なら、よいのじゃが……」


 そんな話をしていると、風花と鈴音が、

 そっと灰夢の傍に寄り添い、くっついた。


「灰夢くん、ずっとそばに居てね」

「狼の、お兄さん……。風花たち、守ってください……」

「少なくとも、俺が死ぬまではな」


「お兄ちゃんは、言ノ葉のお兄ちゃんなのですっ!」

「おぃ、やめろ。言ノ葉ッ!」


 言ノ葉が嬉しそうに、満面の笑みで灰夢に抱きつく。


「……ずるい、です!」

「えへへ〜っ、私も〜っ!」

「わらわもじゃ〜!」

「やめんか、湯けむりさんが仕事出来なくなんだろッ!」

「よいではないか〜、よいではないか〜っ!」

「──全っ然良くねぇよッ!!!」



























    【 死 】を惑わせる存在に囲まれる灰夢を、


              牙朧武はそっと、傍で笑って眺めていた。


























 灰夢が先に風呂を上がり、一人で店に戻ると、

 店番をしていた蒼月が、灰夢を見て笑顔で告げた。


「大丈夫、言わなきゃバレないよっ!」

「お前も犯罪者の仲間入りだな、覗き魔……」

「さすがに家族のプライバシーを許可なく覗かないよ」

「なら、なんで分かるんだよ」

「いやいや……。メンツ見れば、バカでも察するでしょ……」

「分かってんなら、行く前に止めろよ」

「──だって、面白そうじゃんっ!?」

「…………」

「……どしたの? 灰夢くん……」



























       【  全死術ぜんしじゅつ …… ❖ 統合術式展開とうごうじゅつしきてんかい ❖  】



























              「 ──ッ!? 」



























      【  幻影武装げんえいぶそう …… ❀ 紅閃月華こうせんげっか影狼かげろう ❀  】



























「──ちょ、灰夢くん!? 何、その術式。僕、見たことないんだけどっ!?」

「──千回殺すッ!!!」



























 脳のリミッターを外し、雷の速度で走る灰夢が、


        晩御飯が出来るまで、死ぬ気で蒼月を追いかけていた。

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