17話.アクラとカラボス

 静まりかえった屋敷。

 その闇の中、廊下に鳴り響く跫音きょうおん

 

 やがて音は止み、辺りは静寂に包まれる。

 そこはかつて、この屋敷を飛び出した妹の部屋。


 人影はノブを回した。

 部屋にはどこか冷たい感じのする月明かりが窓から射し込んでいた。

 そしてその床には、不気味に長く伸びた人の影――。


「来たか……アクラ=ヴラドよ。待っていたぞ」


 爛々と赤光る双眼。

 妖しげなオーラを纏う影の主より発せられたその言葉は、相手を畏怖に貶める程の狂喜の響きがあった。


 しかし部屋に入ったその者アクラ=ヴラドは、影の主が発する威圧にも屈する事なく、ただ静かに見つめていた。

 その両眼は影の主同様、爛々と赤い光を放っていた。


「カラボス……」


 部屋は、禍々しい邪気で溢れていた。


「ふふ、まぁそんなに“気”を立てるな。これでも飲むが良い。少しお前とは話をしたい」


 カラボスは傍らの小さなテーブルに載せてあるボトルを開け、空いたグラスに中身を注ぎ、アクラへと差し向けた。

 それは赤ワインの様で、ボトルの中には首を斬られた蛇が1匹入っていた。


 アクラはそれを静かに受け取る。


「久しぶりの再会に」


 カラボスはグラスを宙に掲げ一気にそれを飲み干した。

 アクラもそれに合わせグラスを掲げ、口にする。


「ふぅー。今日は活きの良い白蛇を見つけたのでな。なかなか良い味であろう? 天界の神獣であればもっと旨いのだがな」


 空のグラスを見つめるカラボスの表情は、冷たい笑みを湛えている。

 アクラには、カラボスがここに戻る理由、それは一つしか頭に浮かばなかった。


 しばらく前からカラボスがこの街に戻っていた事には気付いていた。

 だからアクラは身を潜めていた。

 しかしカラボスにはアクラを探す気配が無い。

 何をするでもなく静かに過ごすその様子が逆に気味の悪さを漂わせていた。


 アクラにはまだすべき事が残っていた。

 このまま身を潜めていては進めない。

 計画が中途に終わるのならばいっそこちらから……そういう気持ちで今晩会う覚悟を決めたのだった。


「恨みを晴らしに来たか?」


「ふふ、恨み……か。そうだな、お前達一族とは良い協力関係にあったのに、お前ときたら私の力を散々利用し、挙句、妹の為にこの体まで奪って利用したのだからな。恨みが無い……と言えば虚仮であろう」



 ヴラド家は代々魔術に長けた一族であった。

 その強さの秘密は扱う魔術の特異性。

 彼らの扱う魔術は、これまで魔術士が『神秘性によるイメージの欠落』が理由で編めないはずのものが多かった。


 ヴラド家の秘密――それは邪悪なる妖精カラボスとの蜜約。

 カラボスからは魔術に関する知見を、代わりにカラボスには身を潜める場所と生贄を捧げていたのである。

 無論、その生贄には国民では無くもっぱら捕虜が利用された。


 それがヴラド一族とカラボスとの秘密の協力関係だったのだ。



「お前には、一つ手伝って貰おうと思い戻って来たのだが、な……その必要がなくなった。そこでお前と共に確かめ様と思ってな」


「何の話だ?」


「今、この街に向かってきている者が居る。想像出来るか? 陽の目を浴びれるヴァンパイアを!」


「何だと?!」


「お前も良く知る者だ。なにせ姪っ子だからな」

「!!」


 カラボスは高らかに笑い声を上げ、話を続けた。


「我が施した刻印がなぜか発動しておってな。しかもかなり強力に発揮している」

「それは一体、どういう意味だ?」

「なあに、視れば解る。いずれ来る」


 空いたグラスに二杯目を注ぎ、月明かりに掲げながらグラスを回す。

 蛇血混じ入る濃紅こいくれないの液体が、妖しく照らされ部屋を揺蕩う。


「ところで……お前の理想とやらにも興味が湧いてな」


 アクラへ乾杯エールを掲げ、静かにそれを飲み干していくカラボス。

 余韻に浸る微笑がアクラを見つめる。

 アクラもグラスの中身をグイッと飲み干すと、カラボスに尋ねた。


「それでお前は、どうするのだ?」

「どうする? 何もせんさ。お前の目的がどの様な運命を辿るか傍観したい……」


(それは、かつて私が目指したものでもあったから……)


 カラボスはその思いを口にはせず、じっと睨みつけるその男の顔をただ見つめ続けていた。


「何もせず、ただ見ているというのだな」

「あぁ、せいぜい楽しませて貰うよ」


 アクラはグラスをタンッとテーブルに戻し、「失礼する」と部屋をあとにした。



 カラボスは、かつて人間界をヴァンパイア一族で埋めんとした時の事を思い出していた。


 神々の騒嵐が終止符を打つと、悪魔達は一つの世界に閉じ込められた。

 それが、サタン様より聞かされた新たな世界のシステム。


 サタンは言った。


「人間が滅びぬ限り、未来永劫その“魂”が我らの糧として冥界に供給され続ける」


 人間の魂――それは冥界の者が喜び止めず喰らう天使共のそれと同じだという。

 そして人間には寿命があり、死してその魂は冥界に降り注ぐのだという。


 ゼウスとサタンはこれに同意し、こうして世界の理、世界の秩序が作られたのだ。

 乃ち天界の者は冥界の者に襲われぬという秩序、冥界の者には代わりに人間の魂が供給されるという秩序、人間は子孫を残す事で増え続け、しかし必ず死が訪れるという秩序。


 しかしサタンは掟が施行されて後、冥界の民にこう告げた。


「人間どもを滅ぼせ」


 悪魔らはその御言葉に狂喜乱舞した。


 掟の施行後、サタンからの掟の通知に多くの冥界の民は、欲望の疼きを牢屋に閉められ、ただ配膳を待たされるだけの世界に嘆き、自殺した者も居た(――しかし、冥界の空気は非常に濃い邪気で占められており直ぐに再生、復活してしまったが)。


 あの同意は仮初、世界の掟ザ・ワールドなどサタンにはお構い無しだった。


 その言葉からサタンの真意を汲み取った冥界の民。

 あの時冥界の王を信じきれなかった民の中には、そんな自分を嘆き尚も自殺を試みる者が出た程だ(――やはりどうしてもすぐ復活してしまうのだが……)。


 そして人間界に進出する為に冥界の民は一丸となり様々な魔術を費やし、更には犠牲も伴って遂には、人間界と冥界を繋ぐ出入り口、則ち『ゲート』を編み出した。


 ゲートを通じ悪魔達は人間界へ侵攻した。

 カラボスも仲間のヴァンパイアを引き連れ多くの人間どもを糧とせんと、また同族化に向け跳梁跋扈する予定だった。

 

 ところが人間達の中に強い恩寵カリシュを持つ者達が居た。

 彼らの祈りは、冥界の者達が膨大な時間と労力、犠牲を伴いやっと創り上げた『ゲート』をいとも容易く創り出し、天界の者の助けを乞うたのである。


 天界の者達は、これに“裁きの雷”を以って応えた。

 それは幾日にも渡り、人間界に居る悪魔達に降り注いだ。

 人間界は冥界と違い邪気が極めて少ない。

 冥界に居る時よりポテンシャルの大分落ちる人間界の悪魔達は繰り返し止まぬ雷の雨に、遂には耐えきれず次々と倒れていった。

 しかも自分達が築いた『ゲート』はなぜかすぐに閉じられ、冥界に逃げ戻る事すら出来なかったのだ。


 結果は悪魔達の大敗だった。


 カラボスは運が良かった。

 雷の直撃を何とか避け、耐えられたのだ。

 しかし体は弱り切っていた。


 そんなカラボスを手助けしたのがヴラド一族だ。

 衰弱した体がむしろ天界の者共の目を逃れる結果にも繋がり、更にはヴラドの協力もあって、天界の攻撃が止んだ後も静かに人間界に留まっておれたのだ。


 カラボスは養生している間、じっと人間達を観察していた。

 それは、今まで“糧”としてしか見てなかった人間に、ある興味を抱かせた。

 

(こいつらは……不完全なポテンシャルの塊だ)


 初め、天界の者の力である恩寵カリシュを高い力で有した人間の存在に驚いた事は確かで、そもそもそれが自分達の大敗に繋がった。


 確かに掟には、天界の者を基に創られる、とあった。

 それはその魂が、天界の者と同質である為の仕様だと考えていた。

 ところが人間は、いつの間にか天界の者と通じる程の力を手に入れていたのだ。


 だが、全ての人間が天界寄りであるとは限らない様だ。


 人間達の中に天界の者では無く、悪魔を崇拝する輩も居る事を知った。 

 何よりこのヴラド家の様に冥界の者の力を学び利用する者も居る。

 そして遂には、その身を悪魔と化す事を自ら望み、その同士を増やそうと画策する者が現れたのだ。


(このアクラの試みは、私が目指すのと結果的には同じ……だが意味合いは大きく異なる。それは“人間自身が”それを理想とし追い求めているという事だ!)


 カラボスは既に、人間を単なる“糧”としてだけには見ていなかった。


 しかもそれはカラボスをして、人間のポテンシャルを利用せしめたのである――吸血鬼ヴァンパイア族がずっと抱え持つ“超えられぬ定め”を克服する手段として。


(この種族は……可能性の塊だ。上手く利用すれば非常に面白い。さて、カタリーナがどんな変貌を遂げたのか、アクラの野望がどの様な結末を迎える事か……楽しみが尽きぬな)


 カラボスは、3杯目となるワインをグラスに注ぎ、夜空に燦然と輝く月に向け、乾杯をした。



(続く)

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