13話.変貌

 神父エンリコは、斬り落とされた腕と脚を繋ぎつつ思考をフル回転させていた。

 目の前に居るこの男は一体全体何者なのか?


 (カラボス様が封印された女性……その娘の名はカタリーナ……追跡中の修道女の名もカタリーナ……聖杯を持つこの男……そしてあの『眼』………そうか!)


「アハハハハハハハーーー! そういう事か! 既にあの方も私とはでその可能性を試されていたという事か!」


 高らかな笑い声を上げ、上がり、で額を押さえながら上を向く神父。


「ならば私がここで果たす役割は、最早“聖杯の奪還”では無い。私の推測が正しければ、あの方の望み、ここで果たせるやもしれん! ならば我が身を以って全力で成し遂げて見せようぞ!」


「何を言っている?」

「フフフ、『カタリーナ』様! あなたを“殺す”!!」


(なぜ私の正体を?!)

 

  カタリーナは狼狽する。

 その時、エンリコの眼光が一段と輝きフッと姿が消えた。

 超スピードで闇の中を縦横無尽に駆け回りだしたのだ。


(速い!……でも)


 落ち着いてエンリコの動きを目で追うカタリーナ。


「ハハハ、私の動きを完全に捉えておられる。やはりその状態ならば余裕か。ではこれはどうかな?」


 急接近を仕掛けるエンリコ。


 今のカタリーナであれば対処も出来た。

  足を斬って動きを封じ心臓を突けば終わり。


 だがしかし、ジークの戦い方を見て、自分も戦闘経験を積まねばと意識していたカタリーナには、これはエンリコの罠ではと用心していた。

 その矢先、案の定カタリーナの間合いに入るギリギリのところでエンリコはジャンプ、身を捻りながら回転する。


 カタリーナの頭上で逆さまの姿勢になったエンリコは手を下に向けながら何かを唱えていた。いつの間にか逆の手には本を取り出している。

 嫌な気配を感じたカタリーナは何も見えないその気配に向けて剣を振るった。しかし空振り、手応えは無い。


 エンリコは着地し、尚もカタリーナに手を向けていた。すると、突然カタリーナ視界が完全に闇に閉ざされ、神父の姿を見失っていた。


「さぁて根競べですぞぉ、カタリーナ様」


 エンリコが放ったもの。それは人外の御業、悪魔の術。

 ヴラド魔術の結晶のひとつ、洗脳術【仮初の狂憎心ペルソナ・クレイジーヘイツ】であった。



 “意識”とは何か。


 その源泉は“欲望”である。


 食欲だとか性欲だとか、それは暫し“本能”と呼ばれたりもするが、そんな二次的なものではない。

 それは更に奥底の、より普遍的な、その者たらしめる原石。


 その“欲望”から起こりうる運動――それが“意識”である。


 洗脳術の類は、この“欲望の原石”に干渉する。


 相手に術がかかるか否かは、術士が“操ろう”とするイメージの強さと、対象者の意識の強さ、ひいては“欲望の原石”の強さが決定づける。

 そして“欲望の原石”の強さとは、魔力だとか“気”の類だとか、単純に力の強さだったりとか、その者が生まれながらに備えているものだ。


 だから、エンリコの仮初の狂憎心ペルソナ・クレイジーヘイツがカタリーナにかかるかどうかは、洗脳術を意識していない彼女にとっては、己の“欲望の原石”の強さがエンリコの「かかれ!」という術念より強いかどうかにかかっている。


 術がかかるか否かの絡繰りを神父エンリコは詳しくは理解していない。

 下手をすれば目の前のこの娘に殺されるかもしれない。

 それでも彼が命を賭してこの技に賭けた執念とは、ひとえに自分が尊敬して止まないカラボスへの、そして彼女が目指しているもの、可能性への献身であった。


 カラボスはこの“穢れた聖杯”の存在を知らない。

 

 しかしエンリコから見れば、カタリーナのポテンシャルは異常だ。

 そしてカラボスなら、そのポテンシャルを最大限引き出す術を知っている筈だ。


 だがひょっとして、この聖杯ならそれが出来るのではないか?


 それが愚者エンリコの第一感であり、まさにそれに命を懸けたのである。 

 


(クックック……どうやらこの術に為す術が無い様子。後はこの距離を保ち術がかかるのを待つとしよう。楽な仕事だ!)


 エンリコはほくそ笑んでいた。 

 彼の思考は既に、ヴァラキアへ帰る事に傾斜していた。

 

(このまま聖杯の邪気をカタリーナ様に吸い上げさせて、それが尽きれば完成じゃ! そしたらどこかでドラゴンをもう一匹洗脳しよう。それに乗って帰ればラクダより楽だ。クックック、本当に良い駄洒落だわい)


 油断とは常に自信の陰に潜むもの。

 例え一流の兵士でさえ、ひとたび奢り、慢心、楽観、安堵の色に染まればその背後には死神の如き油断が付き添う。


 頭部を闇に包まれ動かなくなったカタリーナに、エンリコは油断した。


 何が起きていたか。


 ひとつ、眼を赤く光らせたカタリーナは警戒から大量の“邪気”を発していた。

 ひとつ、それに反応し“聖杯の邪気”は、カタリーナへ更に流れ続けた。

 ひとつ、カタリーナの首筋に付けられたカラボスの印が赤く輝いていた。


 これらの状況が示す事実はただ一つ。

 カタリーナにはエンリコの洗脳術が効かない。


 と化したカタリーナ自身の「個」の強さは、神父の念を凌ぐレヴェルにあったのだ。


 加えて、聖杯からの邪気補充があり、ましてやあのカラボスの印が、まさかカタリーナの“意識を保つ為の結界術”であったとは誰にも知る由が無い。


 この時カタリーナの体は、聖杯が求める条件を、そしてカラボスが望んだ変化を同時に満たしつつあったのだ。

  

(しかし……やけに長いな)


 まだカタリーナを洗脳下に置けていない。

 こんなに長い事、術に時間をかけるのは初めてだった。

 

(まぁ儂と同じヴァンパイア状態じゃからかもしれんのぅ)


 割と呑気に構えていたエンリコだったが、ふとカタリーナの異変に気付いた。


 ヴァンパイアの眼はこの闇の中なら見る事が出来る。

 洗脳術の闇は特別だから、カタリーナの頭部は闇で覆われて見えない、それは道理だ。

 しかし、カタリーナのいつの間にか濃い闇で包まれ見えなくなっていたのである。



「と、とにかくだ! アイツは人間じゃねぇんだっ! 早く逃げなきゃ、でも助けなきゃ!」


「落ち着けキース、まずはキャサリンの力で全快しておけ。準備が整ったら何とかしてスティープを救い出さねばな……」


 ジークフリートはキースが出てきた闇の方を見つめながら、スティープを助ける作戦を練っていた。


 あの闇の中では人間の限界を超えた者同士の戦いが繰り広げられている。

 その中に自分達が加わっても何の役にも立たないだろう。

 いやむしろ、足手纏いになりかねない、そうジークは感じていた。


(使えそうな切り札は恐らく俺のタルンカッペ。

 このマントで俺は完全に姿を消す事が出来る。

 これでどうにか近づき、奴が手に持つあの“魔術書”を奪えれば或いは……)


 ジークはその手段を懸命に考えていた。

 と、その時、


「ぐ、ぐあああぁぁぁぁーーーっ!!」


 闇の中からスティープの叫び声が上がった。

 一刻の猶予も無さそうだ。


「落ち着いてなんかいられねぇぜ! 何とかして助けなきゃ!」


 はやるキース、オジキもジークを見る。

 ジークも覚悟を決めた。


「キースとオジキはカタリーナをこの闇から何とか引きずり出せ! 特に腰の聖杯に気を付けろ、あれが悪さをするとマズイ! 俺は神父を止める」


「け、けどあの神父はヤバいぜっ!」

! 策はある。そっちこそ聖杯の邪気に飲まれるなよ!」


 キースはジークのセリフに思わず痺れた。


「かーっ! 俺も負けらんねぇ! よっしゃオジキ! 俺達二人で絶対にスティープを救い出すぜ! ジーク、こっちは俺達に。だからそっちは!」


 キースが右手を差し出す。

 キースの顔を見るジークとオジキ。

 キースはウンと頷くと二人はその手の上に自分の手を重ねていく。


「行くゼっ!!」

「「応ッ!」」



(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る