12話.進む針

 カモミール茶の入ったカップを口にするヴァルツ。


 教会に話を伺いに行かせたカイマンの話だと、真実を確かめるべくグレゴリオ神父が中央へ出向いたという。

 やはり、とヴァルツは自信を深めるのだった。


 一通り読み終えた『キテラ日記』はと言うと、アリス=キテラが人々の幸せを願い、如何に魔術を応用、発展させていったか、という事が書かれていた。

 少し気になったのは、所々に広めの余白があったのと、ページの右下の隅に【済み】という印が押されてあるくらいだ。

 グレースについて何か知る手掛かりは無さそうである。

 

(……あとはアルルが連れて来るグレースさんだけか)


 ヴァルツはカモミール茶を飲み終え、ふぅと息を吐いた。


 

「ようこそグレースさん。お忙しいところ突然お呼び致し申し訳ない。さぁ昼食でも一緒に取りながら、お話致しましょう」


 席を勧められグレースは椅子につくと、テーブルには見事な料理が次々とカイマンによって運ばれてきた。

 

「ひょっとして、この料理はカイマンさんが?」

「左様です。お口に合えばよろしいのですが」

「まぁ、それは楽しみですね」


 そんなさりげない会話にも、ヴァルツは聞き耳を立てていた。


(やはり、少し違うな。じゃあバルのあの女はいったい……)


 食事の用意が出来た様だ。

 

「本日は新鮮なトマトが手に入りましたので、パン・コン・トマテとカラコーレスのトマト煮をご用意致しました。それと仔牛のシチューでございます」


 カイマンは軽快に説明し、慣れた手つきで三人のグラスに赤ワインを注いでいく。


「どうしたんだい、カイマン。今日は随分とご馳走じゃないか!」


 アルルヤースは驚きの声を上げた。

 これにはヴァルツも同意である。仕切りに頷いている。


「グレース様がお越しになるという事で、ご満足頂ける様にと思いまして……」


 心なしかいつもと違う様子のカイマンに、ヴァルツもアルルヤースも(ははぁ、さては……)と察するのだった。


「カイマンさん、どの料理もとても美味しいわ。特にこのカラコーレス。赤ワインと良く合う」


「おぉ! そうですか! それは良かった!!」


 そんな二人のやり取りに、頬を緩めるヴァルツとアルルヤース。

 だからこそ、嫌な疑いなど払拭したい。

 そんな気持ちに駆られて、ヴァルツは口を開いた。


「さて、グレースさん。お話と言うのは実は先日バル『ムイピカン亭』でにお会いした時の事なのです」


 するとグレースは少し首を傾げ、


「ムイピカン亭で? 私と?」


「えぇ。そこで先日、お供の商人と一緒に商談の約束をしたではありませんか。覚えていないのですか?」


「……。彼女はどんな話をしましたか?」


「いえ、話をしたのは連れの商人だけです。あなたはずっと黙って聞いていただけだ。ただ、私の事も、この屋敷に来た事も覚えてない様でした。今度、この屋敷に来る事になってるんです……その商談をしにね」


 ほんの一瞬、ヴァルツにはグレースのその真っ赤な紅差す口元が、“ニヤリ”とした気がした。


 それはとても不気味な、思わず背中をゾクっとさせる薄気味悪さがあった。

 だが気付いた時には何もなかった様にその口元は戻っていた。


「ヴァルツさん。あなたがお会いしたその者について、私には心当たりがあります。もしよろしければ、今度の商談、私もご一緒してよろしくて?」


「それは……別人という事か?」


 ヴァルツの問いに、無言で応じるグレース。

 漸く口を開くそのグレースの言葉はどこか謎めいていた。


「人には……『運命』というものがあります。私が占星術で視るのはその深淵の一端。過去と現在と未来を跨ぐ大いなる流れ。時に枝分かれし、時にまた一つとなる――そう、この出会いは私や彼女にとって『運命』なのです」


 そう話すと、グレースはグイと赤ワインを飲み干した。

 そしてカイマンにお代わりを請うとまた食事を始めるのだった。

 料理についてカイマンとも談笑し、楽しんでいる様子だ。


 ヴァルツはアルルヤースと目を合わせ、頷き合う。

 そして、赤ワインを飲み干した。



 軍の会議室の一室には、アドミラルとスパルタクスが居た。


「レオニダス大将からだ。陛下直々の命だそうだ」


 カタリーナ=デ=エランツォの任意連行とエランツォ家の監視強化だという。

 スパルタクスは極秘任務としてこれをアドミラルから指示された。


「なんでも国王宛に匿名の手紙が複数送り付けられているらしい。どれもカタリーナがアーロンを殺害したという内容だそうだ。因みに聖ラピス教会の返答は、はっきり“偽”だそうだ」

 

 そこで国王は真偽の程を確認する為、陸軍大将グレイサムを現在教皇の下へ派遣したという。


(もっと下級の兵士や文官でなく、大将をわざわざ向かわせたあたり、国王はこの事 件に外部からの何か良からぬ陰謀を感じている――そう言いたいのだろう)


 スパルタクスは任務の、そしてアドミラルの意図を理解した。


「しっかしエランツォ家の人間というのはどうしてこうも目立つのか?!」

「まあ、どこかそういう“運命”を背負っているのかもしれませんなぁ」


 冗談めかしてスパルタクスは言った。


 エステバンは先日出航したばかり、国王も盛大にその船出を祝った。


 長男ヴァルツは今年入ったばかりの新兵ルーキーだが、精鋭部隊に選出され、その実力は折り紙付きだ。


 次男アルルヤースはエランツォ商会を引き継がず、新たな商会『アルランツォ商会』を建ち上げたとセビーヤの街ではちょっとしたニュースになっていた。


 そして妹カタリーナは突然、修道女見習いとしてテミス修道院に入り、今ではアーロン殺害の指名手配が出ているのだ。


 そんな分析をしながらスパルタクスは、ふと思った。


(カタリーナは……彼女だけ、他の三人とはどこか異質だな)


「ところでその、アル=サーメン商会の総帥というのはどんな奴なんだ?」

「ヴァルツが言うには、キテラ一族所縁の者の様です」


「あのアリス=キテラの一族か。だが今や彼女の施した魔術封印下。魔術などたかが知れているだろう?」


「いえ、彼女の一族だからこそ、この封印下でも使える魔術があるかもしれない」


 それは、今度の商談においても特別な魔術で何かされる危険を考慮せねばならぬという事。その時、スパルタクスはピンと閃いた。


「……そう言えば、この間、魔術班の連中が面白い発見をしていましたよね?」

「確か“ナツメグ”とかいう東方のスパイスに込められた魔力の解析? だったか」

「それです! 詳細が知りたい、そのレポートの責任者と話が出来ませんか?」


 早速、魔術斑のレポート担当者が呼び出された。 


「“ナツメグ”には、アンチ魔力の性質が秘められています」


「よし。どの程度の効果があるか、具体的な実験データをくれ。あと予備のサンプルもあれば一緒に頼む」


 担当者はコクリと頷き、部屋をあとにした。


「おいおい、次の商談とやらは大丈夫なのか? もっと軍の応援は必要か?」


「いや、相手の力量が未知数では数をいたずらに増やしても犠牲者が増すだけになりかねない。ここはひとつヴァルツの勘を信じ、“もう一人のグレース=キテラ”に協力を請うのも良いかもしれません」


 するとスパルタクスは静かに瞑想を始めたのだった。

 

(ゾーンに入ったようだな)


 アドミラルはこの状態をそう呼んでいた。

 彼がゾーンに入って立てた作戦は、アドミラルが知る限り100成功していた。そんな彼に付いた綽名は【無血将校】である。


(これなら大丈夫だろう)


 国王軍精鋭部隊の中でもトップエリートのヴァルツ、それに【無血将校】スパルタクスのタッグ。これ以上、完璧な組み合わせがあるだろうか。

 

(俺とグレイサム? ガハハ、こんな脳筋タッグはもう時代遅れだな)


 アドミラルは心でそう笑いながら、部屋をあとにした。

 

 時代遅れがやれる事をやる為に。



(続く)

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