第七十八話 Stray Cat
「遅いな……」
すいが帰ってこない。夕食の調理をしているうちに帰ってくるかと思ってたけれど……。
もうだいぶ夜も
「七時か……。確か、すいが出掛けて行ったのって……二時くらいだったよな?」
食卓の上のご飯を見る。サラダと、チーズそうめん焼き……。メインのそうめんはすいが帰ってきてからゆでるから未完成。にしても「チーズそうめん焼き」はレンチンが必要だな……。
「電話してみるか」
僕はスマートフォンに手を伸ばした。クラスのグループトーク、いつものメンバーのグループトークにいくつか新着が来ているみたいだけど、僕はまず、すいに電話を掛けた。けど――。
「出ないな……」
そこで僕はようやく、いつものメンバーのグループトークを開いた。
詩織『すいちゃん、何かあった?』
未読のメッセージで最初に目に飛び込んできたのは、詩織のその言葉だった。
詩織『すいちゃん、見てないかな?』
そのメッセージには「既読」が二件ついている。一件は僕、もう一件は、すぐ下にソフィーの発言があることから、彼女のものであることが知れた。
ソフィー『彼女、私のところに突然来ましたけど、なにか少し変でしたね』
ソフィー『まあ、すいさんはいつも変ですけど』
変? まあ、すいはいつも変だけど、それとは違って……変?
なんだかイヤな予感がした僕はスマートフォンを放り投げ、寝室のふすまを開ける。
入り口で僕は、窓際の
この机は折り畳み式の小さなものだ。彼女がこの家に居着いてしばらくして、母さんが「専用の欲しいよね」といって買い与えたもの。小さな鏡や、髪ゴムやリップクリームが入った小箱。コンタクトケース。少しばかりの筆記用具。机の上はいつもと変わらない――いや、よく見ると違っていた。
まず、すいのスマートフォンがあった。いつも携帯しているはずの、彼女のスマホ。その横にはなにやらモッフリとしたもの。そして、それらの下敷きになる形で、薄くて白い、長方形の何かが置かれている。
僕はすいの机に歩み寄る。
モッフリしたものは……青い毛糸のマフラーだった。白いものは長四角の封筒。その表書きには――。
「『ヨッシーへ』……?」
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ヨッシーへ
ちゃおちゃお! すいちゃんです!
ホントはなにも残すつもりはなかったんだけど、ヨッシーがグッスリ眠ってて、その寝顔を見てたらいてもたってもいられなくなってペンを取っております。
さてさて、突然で申し訳ございませんが、ワタクシ、阿武隈すいは実家に帰らせていただきます!
なぜか? どうしてか? 気になることでしょう、そうでしょう。
いやあ、この前お山に帰ったら懐かしくなってしまって……ホームシックというやつだね! それで恋しくなったので帰ることにいたしました。それだもので、本年中のご
そしてそして、こんな恩知らずな女のことはキレイさっぱり忘れたほうが身のためだということを
ではでは、お邪魔虫は退散しま~す!
かしこ
P.S.
ヨッシーへの襲撃は、ダイチの子どもは私だってテレビで宣伝したし、あらためてみぽりんに「記事書けや!」って念押ししてきたし、たぶん収まってくると思います! 金パツにもしおりんにも「よろしくね」って言ってきたから、ワイの有能な弟子たちを存分にこき使ってくれたまえ!
P.S.
いっしょに置いたマフラーはヨッシーのお誕生日プレゼントです! おめでとう! ヨッシーの誕生記念、いっしょにお祝いできなくてごめんなさい。カラオケ、みんなと楽しんでね。
P.S.
あいちんに買ってもらったものは全部置いていきます。でもひとつだけ、ひとセットだけ、服をもらっていくね。
P.S.
弱音をひとつだけ、書かせてください。自分がこんなに弱いなんて、はじめて知った。
P.S.
大好きでした。
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胸の中でいろんな感情が複雑にからまった僕は、今いったい自分はどんな顔をしているのか、判らなかった。
机の上の鏡に目を移す。そこに映る僕は、泣いているような、怒っているような――。
やっぱりよく、判らない。
すいからの手紙にふたたび目を落とす。
下にいくほど文字はフニャフニャで、紙はヨレヨレになっていた。なんでこんなにフニャフニャ、ヨレヨレなのだろうと首を
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「ちょっと! どういうこと?! 強!」
玄関に上がりこむなり、詩織が僕を殴る勢いで迫ってくる。
……いっそのこと、殴ってほしい。
「どういうことも、こういうことも……コレよ」
先に来て、すいからの手紙を読んでいたソフィーがそれを詩織に手渡す。
詩織は手紙を乱暴に受け取ると、わなわなと震えながら目を通していく。
「強くんを守ってね、なんて訳の分からないことを言ってすぐ帰ったと思ったら……こんなことになってるとはね」
ソフィーが大きくため息を
詩織の震えは大きくなり、「ホームシック?」と小さくつぶやいたかと思うと、顔を上げた。
「ウソだッ!」
「ウソでしょうね」
「……ウソ、だね」
満場一致。
「私、考えてたんです」
とりあえず三人で居間に座り直してすぐ、ソフィーが話し始めた。
「最近のすいさん、様子がおかしかったでしょ? その理由をね。考えてたの」
「理由?」
ソフィーはコクリ、とうなずく。
「たぶん、『鳴らし山』を守らなきゃって、今さらになって思い始めてたんじゃないかしら?」
「山を守る……?」
「そう。
「それにしたって……」
急すぎる。こんな、急に手紙だけ残して去るような様子、僕は感じていなかった。少なくとも、「プレゼントを買いに行く」と笑って出かけて行ったときにはそんな様子ではなかった。もともとそのつもりなら、そんな回りくどいことをするのなら、今日までの間のどこかで――夜中にでも、同じように出て行けたはずだ。
その考えに呼応するように、詩織が「これでしょ!」と言って広げていた手紙の文面を指差した。
「ここ! これだよ! いつものすいちゃんだったら、『自分が弱い』なんて書くと思う?!」
「……書かないわね」
「……」
「絶対何かあったんだよ! 今日、すいちゃんがそんなふうに感じる何かが! 『山の守り人』もそうかもしれない……。そう思い悩んでたのかもしれないけど、もっと、もっと……」
詩織の目からポロポロと涙がこぼれる。拳でひとつ、彼女は力無くテーブルを叩いた。
「なにより……すいちゃんが悩んでたことも……、いなくなることも……何も言ってくれなかったのが……うぅぅ……悔しいよぉ……」
詩織はテーブルに突っ伏し、出し惜しみすることなく、大声で泣き始めた。ソフィーが彼女に身を寄せ、頭を撫でてやる。ソフィーは詩織の頭を撫でる手はそのままに、僕の方を向いた。
「さて、強くん」
「……」
「あなたはどうするの? どうするつもりなの?」
そんなの、手紙を読んで五秒で決まっていたことだった。
「『鳴らし山』に行く」
「……いつ?」
「今からだ」
ソフィーはおかしそうに
僕は突っ伏したままの詩織の方を見て、「詩織」と呼び掛けた。
「僕は……今度こそすいをぶん殴るかもしれない。その時は僕を、思いっきりぶん殴ってくれていい」
彼女はガバッと顔を上げた。真っ赤になって、涙と鼻水でグチャグチャの……詩織らしい顔だった。
「許ず! アタシも殴る! 殴って殴って、すいちゃん、連れ戻してやるんだから!」
「さすが……」
「水を差すようで悪いんだけど」とソフィーが割って入ってきた。今度はしかつめらしい表情を浮かべている……。
「ここに来る前に一応調べといたけど、もう電車はなさそうですよ?」
言われて、僕は時計を見上げた。もう八時を回っている。「鳴らし山」がある
「ソフィーが来るまでの間、僕も調べたけど、今日中には無理だね……」
「じゃあ、どうしましょうか。まさか、走るわけにもいかないですし……」
「詩織……」
大泣きから一転、鼻息を荒くしている詩織が「何?!」と僕に目を向ける。なんだか、怒られている気分……。
「詩織のお父さん……車持ってたよね?」
彼女は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに大きく、何度も「うんうん」とうなずきだした。
「車、出してもらえないか……。頼みに行かせて」
「もちろん!」
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