第七十七話 夢から覚めて
「こ、これ……。どういうことなんですか?」
僕はローブに向き直って
「どういうことと私に言われても……」
「あなたの記憶ですから」と相手はフードの下の口をモゴモゴとさせた。
ふたたび、寝入っている赤ちゃんに顔を向ける。
「もしかして……、やっぱり僕が『ダイチ』の子で……この『青い服』を着てるのは、赤ん坊の『僕』なのか?」
「いえ」と言うと、ローブはフヨフヨと赤ちゃん――ベージュ色の肌着で、目を宙に向けて笑っている「青い服じゃない」赤ちゃんに近づいていった。
「この空間は、この子を中心に『再現』されているでしょう?」
言われて、僕は周りを見渡してみる。これまでの「
「あなたが感知した視覚や匂い、聴覚の記憶を
「じゃあ……僕は、赤ん坊の頃に『青い服じゃない』――別の『赤ちゃん』として、『鳴らし山』の
どういうことだ……?
「ダイチ」が連れていたのは「青い服の赤ちゃん」で……、「鳴らし山」に訪ねてきていて……。
じゃあ、「僕」は? このベージュ色の肌着の赤ちゃんの「僕」は、「どこから」、「どうやって」来て、この庵にいるんだ……?
僕は「青い服」の赤ちゃんに近寄った。足を動かしたわけじゃないけど、「そこに行きたい」とチラと考えただけでローブのようにフヨフヨと移動したのだ。
間近まで来て、スヤスヤと気持ちのよさそうな顔をのぞき込む。
「『ベージュ』が僕なんだったら、この『青い服』の赤ちゃんは誰だ?」
生え始めの、けれど
「いや、この子……、やっぱすいだわ」
「あ、お知り合いですか?」
「はあ……。そう……みたいですね……」
まったく理解が追いつかないけれど、僕はどうやらこんな小さい頃にすでに「鳴らし山」に来ていて、「すい」に会っていたということらしい。もう、なにがなにやら……。
僕が困惑していると、隣の布団の「僕」がなにやらモゾモゾと体を動かしはじめた。
「おお……。寝返り」
ローブが
「やっぱり赤ちゃんって可愛らしいですよね」
「自分で言うのもなんですけど、抱きしめたくなりますね……」
「さわれないですよ?」
「僕」は見回していた目を、ひとところに
「おぉ! ハイハイしてますよ!」
「ハイハイ……というよりかは、ほふく前進で、にじり寄ってる感じ……ですね」
たっぷりと時間をかけて「すい」に近づいた「僕」は、彼女の顔をのぞき込むようにすると、そのまま――。
「うわ!」
「ほわ! キスした!」
してました。
頭を重そうにしてて倒れ込んだだけに見えなくもないけど、ちょうど口と口が触れて、チュッ、と鳴っていた。
「……なかなかに早いファーストキスですね」
「こういうのも……ファーストキスって言うんですかね……?」
「『
なるほど、なるほど……。
これ、ソフィーがこの場にいたら、「生まれついての女好き」とか
「あ、起きちゃいましたよ」
「すい」はキスの感触で目を覚ましたのか、まぶたをパッチリと開いた。まつ毛がピンと張ってて、黒い瞳が丸々と大きい。やっぱりこの赤ちゃん、すいだ……。
「すい」は「僕」を見ると、その近さに驚いたのか、さらに大きく目をみはった。そして、次第にその、ふっくらとした顔を
『んぁ、あ……ああ、ぁぁあっ! なぁぁああっ!』
「あれ。泣いちゃいましたね……」
「『僕』のキスがそんなにイヤだったのか……?」
なんだろう……。ちょっとショック。
そこで、「すい」の泣き声に反比例するように、空間がしぼみはじめた。戸惑う僕に、「『逆し夢』、終わりのようです」とローブが一言。だんだんと、白のモヤモヤが和室の景色を狭めていく。
「しかし、思わぬ収穫があったな……」
「青い服の赤ちゃん」はまず間違いなく、すい。つまり、「ダイチの子どもはすい」、これは確定事実とみていいだろう。でも、新たな謎が発生した。僕が赤ん坊の頃に、「すい」に会っていたという事実……。
これは一体、どう解釈したらいいんだ……?
あ、あと、真実がもうひとつ。僕のファーストキスの相手はソフィーじゃなく、すい……。
これは……、うん。黙っとこう。そうしよう。
僕が変な心配をしている間に、「僕」と「すい」がいる和室はもうほとんどふたりの姿を映すのみとなっていた。それさえも白のモヤモヤに飲まれる間際、「あらら~」と声がして「すい」を抱き上げる手があったが、プツンと、テレビの画面が消えるようにして景色はしぼみきり、残るのはモヤだけとなった。
あれ? 今の声……。
「いかがでしたか? 『逆し夢』」
正面に立つローブが、その口をニッコリとさせて僕に訊く。それで僕は我に返った。
「あ、いえ、とても……、いいと思います」
「本当は前世まで
「でも結構、『赤ん坊』までの記憶巡りも需要あるんじゃないですかね。面白いですよ、コレ。ひとつのエンタメみたいなカンジで売り出してみたらどうでしょう」
「なるほど……。いろんな人の『逆し夢』させてもらって私の
「あ、でも」とローブは、アゴをさすりながら考え始めた。
「『夢』という性質上、起きても……。まあ、いいか」
「それでは」と言って、ローブはペコリ、と頭を下げた。
「私はお
「はい、そうします。こちらこそ……ありがとうございました」
「また、どこかで」
ローブは口元をニッコリとさせて手を振った。
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「はっ……?」
目を開けると、視界は
「やば、寝てたな……」
上体を起こすと、アパートの居間はすっかり夕焼けの赤を浴びていた。もう夕方だ。すいを送ってから本なんて読んでいたら、どうやらうたた寝をしてしまったらしい。
「なんだろう? なんだか……」
胸があったかい。なにかいい夢を見ていたような気がするんだけど――内容は思い出せない。まあ、夢ってだいたい、いつもそんなカンジだよね。
「ご飯、作らないと……」
僕は立ち上がり、寝室のふすまを開ける。
「母さん、もう仕事に行ったのかな?」
寝室は空だった。すいの姿もない。彼女はまだ買い物中――明日、誕生日を迎える僕のためにプレゼントを選んでくれている最中なのだろうか?
トイレをノックしてみたが、返事はなし。台所のすぐそばの玄関口にも、すいの靴はなし。
「……まだ帰ってきてないんだな」
きっとお腹を空かせて帰ってくるだろうから、ご飯を作っておこう。
明日はたぶん、カラオケで揚げ物とか、フライドポテトとか、お腹に重いものを食べるだろうから今日は軽めにそうめんにしとこうかな。足りないか? 少し多目にゆでて、「チーズそうめん焼き」も作ってみよう。ちょっと食べ合わせ、悪いか?
居間の方でスマートフォンが鳴っていたが、グループトークでみんながまだ盛り上がっているのだろうと思った僕は、そのまま夕食作りを続けた。
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