第六十二話 ふたたび愛まみえるまで、ひと皮もふた皮もむけていたと

『……ン?!』

(すい……。聴こえるだろ……?)


 僕の「念」はすいに届いた。それが、今の僕には実感できる。


『……幻聴げんちょうまで聞こえる……さすがに年貢ねんぐの納め時か。 川の向こう岸から呼ぶ声がヨッシーのだってのが、ワタシらしいっちゃワタシらしいね!』

(すい……。幻聴じゃないし、まだキミは死なないよ。死なせるもんか)

『これは……ヨッシー……?』


 すいの声が驚いている。できるという予感はあったけど、僕だってこの「テレパシー」には驚いているんだ。


『ヨッシーなの?! ホントのホントにヨッシー?!』

(ああ、そうだよ。すい)


 僕はすいの声に応じる。「もう聞けないかも」と一瞬でも頭をぎっていた、すいの声――。


(僕がすいに語りかけてるんだよ)

『マママのマジで?!』

(……マママのマジで)

『マママのマーマのマーマのお味?』

(……マママのマーマのマーマのお味……)

『ホントにヨッシーだ! 幻聴げんちょうでなく!』


 僕の本人確認がそのやりとりでっての、なんかイヤだな。


『ワタシの「操魂そうこん」は? 早すぎるけど、もうふもとに逃げれたの?』


 すいの心配するような声色こわいろ。彼女には見えないだろうけど、僕は首を振った。


(すいがかけてくれた「操魂」は僕がいた。詩織しおり発破はっぱかけられて、やっとだけど、解いた)

『ヨッシーが……解いた……』

(「操魂」のおかげで、こうしてテレパシーができてるんだと思う。すい、最初のころに言ってたろ? 「操魂」をかけた相手とはそんなことができるって)

『いや……「操魂」で感じれるのは、せいぜい気の高ぶりとか、逆に意識が途切れるのを――遠くから窓の明かりを眺めてるカンジで判るだけなんだけど……。しかも、術をかける時点でそういう用途って明確に意識してないとダメで……あれぇ?』


 すいが首をかしげている様子が想像できて、僕は笑った。


『じゃあ今、ヨッシーたちはどこにいるの?!』

いおりだよ)

『庵……! まだそんなところに!』

(言っとくけど、もう僕に「操魂」は通じないからね)

『ワタシが逃げてと頼んでも……』

(逃げるもんか)

『これだけお願いしても?』

(「これだけ」がなんだか判んない。なに? 拝み倒してるの? 僕、見えてないよ?)

『絶対に絶対に……?』

(逃げません。逃げるとしたら、みんな一緒に、だ)


 すいが『はあ』とため息を吐く声が聞こえる。僕には、その物憂ものうげな調子がなんだか嬉しかった。


『……仕方ないか。ヨッシーとワタシは似た者同士、強情ごうじょう張りだね! ヨッシーが生死を共にしたいと言うのだもの、すいちゃん冥利みょうりに尽きるね!』

 

 すいの言葉はあとになるにつれて震え――涙声になっていた。


(移動の時間も惜しくてこのテレパシーを使ってみた……。すい、まだ赤毛とは戦ってるんだろ?)

『恋のテレパシーってやつですね! 全裸変態には絶賛敗色濃厚でありますッ! ワタシと金ぱっつぁんはもうズタボロですッ! 教室の雑巾ぞうきんのほうがキレイなくらいですッ!』 


 僕は彼女に、勝機を作れる――かもしれない――作戦を伝えることにした。


(赤毛を「鳴らずつり」におびき出してほしい)

『……「鳴らず屁つり」に?』


 すいの声は、戸惑っているようだった。


『ヤツにはオナラを出させることが出来ないんだよ? 「鳴らず屁つり」――オナラが出にくいあの場所なんか、もっと難しくなるんじゃない?』

(……僕を信じてくれ)

『わかった……。小賢こざかしいヨッシーのことだから、何か考えてるんでしょ?』

(小賢しいって……。まあ、誉め言葉として受け取っておくよ)


 すいは『むふふ』と可笑しそうな様子。


(「鳴らず屁つり」に着いたらすいはありったけに誘発打ちをかけて。どっちが先に着くかは判らないけど、僕と詩織もオナラの誘発を手伝う)

『しおりんはいいとして……。ヨッシーがどうやって?』

(庵にあった「屁玉へだま」を使う)


 すいは感心したような様子で『山の動物たちのフンを材料に使うヤツね』と言った。

 アレ、そんなおぞましい材料で製造されてたのか……。


(ソフィーには伝えられるタイミングで伝えてほしい。僕の合図で、全力をもって「鳴らず屁つり」から赤毛を蹴り出してって)

『そのときが……?』

(うん。すいが「屁吸へすいじゅつ」――「失魂しっこん」をかけるときだ)

『合点承知!』

(じゃあ、すい……)

『うん、ヨッシー……。また、すぐに……。早く……会いたい……』


 そうして、電話を切るように、僕たちの会話は途切れた。


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 僕は目を開き、詩織しおりに向き直る。


「ごめん、詩織。待たせた!」

「待たせた?」


 詩織がキョトンして首を傾げる。


「すいと長い間、話し込んじゃっててさ。待たせたろ?」

「長い間って……なに? 突然、『「操魂」を操る』なんて言ったと思ったら、今度はすぐにそんなこと……。それに……すいちゃんと話し込んだ……?」

「……うわっ!」


 詩織は僕の頭を抑え込むと、すみずみまで眺めまわす。「強もセナートスにやられたわけじゃないよね?」と言いながら、僕がケガさせられたんじゃないかと心配しているようだ。


「まさか……一瞬だったってのか? あれだけの会話量で……」

「ホラ、ぶつぶつ言ってないで、すいちゃんたちに追いつくよ!」


 ひとまず外傷がないことを確認した詩織は、安心した様子に戻って僕の手を引く。

 僕はこの「テレパシー」に、「心を通わせる」以上の何かを感じたけれど――。


「うん。『鳴らず屁つり』で合流だ!」

「……? と、とりあえず、あそこに向かえばいいのね!」


 今は、あの赤毛――セナートスの男を倒すのが先決だ!


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 「鳴らず屁つり」に着いたのは僕たちの方が先だったようだ。この山に迫りつつある脅威を意にも介していないかのような、荘厳そうごんなたたずまいの岩壁、激しく流れゆく谷川たにがわ――。

 ふたりが無事なことを祈りつつ、僕は今のうちにできる準備をする。持ってきた箱から「屁玉」をありったけ取り出し、それを服の中に仕舞い込んでいく。


「すいちゃんと強が、そんなフシギ体験をね~」


 道すがら、詩織にはここに来た目的と、赤毛を倒すための手順、そして、すいとの「テレパシー」について、あらかた話しておいた。


「なんだか、ちょっとうらやましいなぁ……」

「……詩織。詩織にも僕は……」


バギンッ! バギッ! ガサッ! ササッ!


 僕の言葉をさえぎるように、葉が激しく揺れ、枝の折れる音が聞こえてきはじめた。


「すいちゃんたちが来てるわね……」

「近づいてきてる……」


 僕たちが岩壁のくぼみ――昼食を取った場所だ――から身を乗り出した時、僕と詩織の目の前を左から右に、うめき声とともに、ソフィーの身体が転がってきた。


「ソフィー!」

「ソフィーちゃん!」


 僕たちはソフィーの元に駆け寄る。

 少し前に強化キスをしたときにはあれだけ輝いていたソフィーが、今やその光も薄れ、そこらじゅうに生傷を作り、うめいている。

 強化キスをしたソフィーのこんな姿、見たことがない……。なんて強さなんだ……赤毛のやつは……。


 僕は身をかがめ、倒れ伏す彼女の頭の脇に両手を突っ張ると、自分から初めて――ソフィーにキスをした。軽く……ね。


「強?!」

「むぅッ!」


 彼女から身を離すと、ソフィーの髪の輝きが強まったのが判った。すぐにソフィーの目もカッと開かれ、「ご褒美ほうびタイムッ!」と叫びながら上体を起こす。


「ソフィー!」

「ソフィーちゃん、よかったぁ!」


 「あら」と彼女は僕に、そして、詩織にと目をくれる。


「すいさんの話、白昼夢はくちゅうむじゃなかったのね……。強くんに解かれるなんて、屁吸の技も大したことないわね」


 言葉とは裏腹に、ソフィーは嬉しそうに微笑ほほえんだ。汗や血のりで汚れてしまっているけど、彼女のその笑顔はとても綺麗だ。


「ソフィー。すいからは聞いてるんだね?」

「ええ。聞いてるわ」


 もしかすると、すいとの会話も僕の勝手な妄想かも――と悲しい想像をしたけれど、「テレパシー」は確かにふたりの間で起こったことのようだ。僕はひとまずではあるけど、胸を撫でおろす。


「すいさんも、すぐそこに……」


 ソフィーが言うや否や、僕の背後の茂みから、すいと赤毛の男が絡み合うようにして飛び出してきた。


「ぐぬうぅぅぉおぉぉッ!!」

「ほらほら、その程度かい? 金色の友人はもう虫の息だよ! 早くおとなしく、呪術を解けばいいものを!」


 すいは赤毛の男にまとわりつくようにして息もつかせぬ拳打けんだの嵐を浴びせているが、そのことごとくは避けられ、かわされ、いなされている。下ろしたてと言って喜んでいた彼女の夏用のカットソーシャツも、七分丈ジーンズも、原型をやっと留めているといった無残さ。それでも彼女は、歯を食いしばって拳を放ちつづけている――。


「すい!」

「イヤ、なにアレ?! なんで裸なの? アイツ!」


 あ、そうだ。詩織は赤毛男の全裸姿、初見しょけんだったんだな……。


「……」


 モザイク部分をガン見すんな。

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