第十話 操り人形の正しい使い方

「そこら中に靴のあとがあるわ……。荒らされたのね」

「これはひどいな……。なんでこんなことに……」

「決まってるじゃなーい」


 すいは手近てぢかのオフィスデスクの上に跳び乗った。


「ワタシたちと同じ目的よ」

「僕たちと同じ目的?」

「そ。ダイチは世界中のあらゆる犯罪シンジケート、テロリストから恨みを買ってる。十五年も経った今でも、ね。あんな記事を書くんだもの、ダイチの情報をつかむためにココが襲われたのは当然と言えば当然よね」


 僕と詩織、ふたりで同時に生唾なまつばみこむ。

 すいは机の上で歩を進める。例の、飛沫のある壁まで行くと、彼女はそれをマジマジと眺めた。


「血だなぁ、こりゃあ」

「血って……。そんな量……」

「この血のぬしは、アカンやろなぁ……」


 クルリ、とすいは僕たちに向き直った。

 フワリとスカートがふくらみ、この暗い場所にそぐわない不自然な神々しさを放つ。


「どう? しおりん」

「どうって……何が?」

「ワタシとヨッシーが向かう世界はこんな世界。しおりんは付いてこれる?」


 酷く意地の悪い笑顔を見せるすい。

 いや、僕も、こんな殺伐さつばつとした状況に突っ込むつもりでは……。


 ……って、そうじゃない。そうじゃないんだ。現実に、すでに、香久池かぐいけソフィアに襲われてるんだ。

 もう、誰の問題でもない。僕自身の問題なんだ。


「詩織」

「……強」

「詩織はもう僕たちに関わらない方がいい」

「強……本気で言ってる?」

「うん……。詩織は、普通に高校生……してほしい。僕は行くよ。すいと行く」

「……アタシじゃ……アタシの空手じゃ力不足?」

「……」

「バカつよし!」


 そう叫ぶと、詩織は乱暴にドアを開き、駆けて出て行ってしまった。

 そうだ……。これでいいんだ。


「むっふっふ~。や~っと邪魔者がいなくなったぁ。『すいとイク』だって。キャピ!」

「……すい。今はあんまり、ふざけないでもらえると……」

「そんなおセンチモードのヨッシーにプレゼント! じゃじゃ~ん。コレ、な~んだ?」


 すいが紙片を掲げる。暗くて見えないので僕はすいに近づいた。

 その紙片にはボールペンのようなもので殴り書きがされている。


【御用の方はこちらまで 水無みずなし市本町四丁目の二 東亜とうあビル五階】


「え、コレって?」

「糸はまだ切れてませんぜ、ダンナ」

「……うん? ココは襲われて……その……え?」

「襲われたかどうかは判んないけど、この壁の痕、なんでだか知らないけどケチャップだよ」

「ケチャップぅ?!」


 すいは壁に顔を近づける。


「くんかくんか……。ん~、今日の夕飯はオムライスがいいなぁ~」

「すい……お前……だましたのか! なんで!」

「なんでも何も……」


 デスクから跳び下り、すいはピン、と人差し指を立てた手を僕の眼前まで伸ばしてきた。


「しおりんには危ない目にってほしくないんでしょ?」

「……そう……だけど」

「だったら、早めに引かせないと、取り返しのつかないことになるよ?」


 そうだ。すいをめることはできない。

 僕が、僕自身がそう決めたんだ。


「……わかったよ、すい。ごめん……ありがとう」

「ウヘヘ、これでライバル一機撃墜げきついだぽぽ!」

「……はぁ、それがなければ、ねぇ」


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 紙片に書かれた住所は、現在地からは目と鼻の先、歩いて行ける距離だ。

 僕たちはビルから出て、人混みの中、目的地へ向かうことに……。


「ねぇ~、ヨッシー。少し早いけどお昼にしませんこと~?」

「昼ご飯?」


 腕時計を見る。


「……まだ十一時だよ? 早く行こうよ」

「ゆっくり楽しもうぜ、今日という日をさ。ワタシゃぁ、こう、ヨッシーと食べさせ合いっこするのが叶えたい夢のひとつだったんだよね~」


 そう言ってすいは、物凄い早さで僕の口元に対し右腕を振り続けた。

 この早さでやられたら僕は、自らの血を大量に飲むことになる自信がある。


 と、すいが何かに気付いたかのように、ピタリとその腕の振りを止めた。

 苦虫を噛みつぶしたような、渋い顔になっていく。


「……すい?」

「ごめん、ヨッシー。ちょっと浮かれてた……」

「は?」

「ドウモ、逢瀬おうせ強くん。初めまして」


 僕たちに割り込んできた野太い声。

 声がした方に振り直ると、作務衣さむえを来た中年の男が立っていた。ニヤリと浮かべた笑みがどことなく不気味である。


「え、あ、どうも……」

「おっと、お嬢さん。妙なマネは不要です」


すいが軽く構えを作っている。……まさか、この男。


「こんな衆目しゅうもく環視かんしの中、私どもは争う気はありませんので、そう警戒しないでくださいな」


 この物騒ぶっそうな物言い……。やっぱり、僕が「ダイチ」の息子だ、って知っているヤツだ。

 でも……確かに、襲う気ならわざわざ話しかけてくる必要はないよな。

 しかし、すいは構えを解かない。


「じゃあ、一体、何の用……なんですか?」

「はい、スカウトに参りました」

「……スカウト?」

「いくら浮かれてたと言ってもワタシに気づかれずにここまで近づく隠密おんみつじゅつ……アンタ、忍びね?」

「ご明察」


 男の笑みの不気味さが増す。

 忍びって……、忍者ってことか? ホント、何でもアリだな……。


「早速本題ですがね、このご時世、私ども忍びの一族も人材不足が常でしてね。日頃から頭を悩ませているのですよ……」

「……」

「そんな中、高名こうめいな『無双むそう完傑かんけつ』の御子おこがフリーだと言うじゃないですか。これは我が一族にご助力たまわらない手はない、とみなの総意が得られましてね」


 ホントにスカウトかよ……。そんなパターンもあるのか……。


「いかがです? 興味、おありになりますかね。逢瀬強くん……」

「……すいは……どう思う?」

「……ヨッシーの身に危険がなければ、ワタシはヨッシーの好きにしていいと思う」

「んっふっふっ……。その若さで良い伴侶はんりょをお持ちだ」


 伴侶なんて言われて、すいは構えはそのままに、ニンマリと嬉しそうな顔をする。

 そんな場合か、今?


 今は、そう……。ある意味、岐路きろなのかもしれない。

 正直なところ、僕も何か強さを手に入れたい。そう思うようになってきている……。

 すいに守ってもらってばっかりじゃなく、詩織を悲しませない――僕の強さ。


「……ひとつ、きたい」

「えぇ、どうぞどうぞ……」

「あなたたちは、悪いことを……しますか?」

「悪いこと、とおっしゃると?」

「犯罪行為や、人を……その……殺したり……です」

「んっふっふっ……」


 男の口のがピクン、と吊り上がる。


虚飾きょしょくを加えてもいずれ判ることでしょうから正直に申し上げます……。私どもは闇に生きる一族であるから必然、それらのごうは抱えることになります。ですが、おもてには表の法、闇には闇の法、がございます。表の世界だけの、そのような脆弱ぜいじゃく欠陥けっかんだらけの法なぞお気になさる必要は全くございません。きっと『無双完傑』の子息である逢瀬くんならば、裏にその名がとどろく忍びとなれましょう……」


 ……詭弁きべんだ。

 僕は、僕自身がダメだ、と思うから訊いたのだ。もとより法律の話なんかじゃない。


「……僕は、裏の世界で有名になんか……なりたくないです」


 僕は、男をキッとニラみつけた。


「そんなことをするのが強さだとも……思えません。このお誘いは拒否します」

「ほぅ……。やはり、いい目をなさる……」

「だってさ。どうする? おっちゃん」

「心変わりを待つ、というほど私どもは悠長ゆうちょうではいられないのでね。逢瀬くんが敵対する組織にくみする可能性が残る以上、こちらにも考えがございます……」


 男の声音こわねが重みを増し、それが何の意味を成すのか、首をかたむけてポキリと鳴らす。

 それに併せて、すいの構えに力が入った。


「ダメだ、すい! こんな人がいっぱいのところで!」

「オッケー、マスター! ご随意ずいいのままに! 操魂そうこん!」


ププ!

プぺ!

プ!


 すいが叫ぶと、そこら中で音が鳴りはじめた。

 そう、オナラです。


 周りを行き交う人々が、オナラをしている……いや、すいにさせられているのだ。

 すいも、今まで見たことないほど深い吸気をしている。


 と、十数はいようかという人たちが、僕とすい、男の間に割り込んできた。


「あれ、あれれ?」

「ちょっと、コレ、なんで?!」


 人々は当惑とうわくの声を上げながらも、まるで川の流れのように僕たちの間を埋めていく。

 その人数はみるみるうちに増していく。今やヤツと僕たちは、数メートルに渡って人の波にはばまれている。


「今よ、ヨッシー! 走って!」

「う、うん!」

「面白い伴侶をお持ちですな、逢瀬くん! こちらも準備が必要そうだ! いとまを空けずお目にかかりましょう!」


 背後で男の高らかな笑い声が聴こえる中、僕はかつてないほど全速力で走った。

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