第二話 狐の面

 納戸から戻って来たばぁちゃんが、スーッと音もなくふすまを開けた。ぼくは「ひっ!」と言うて、またちょい飛び上がってしもた。


「ばぁちゃん! わざとやってへん? おもしろがってんのちゃうん?」


 ばぁちゃんは耳が遠くて聞こえないふりをして、涼しい顔でぼくの隣に座った。コトンコトンとちゃぶ台の上に包みを二つ置く。

 茶色の紙をガサガサと開くと、古い油とホコリの臭いがプンと鼻をついた。油紙て言うんやて。


 包みの中身は狐の面と、丸い小さな提灯ちょうちんやった。お祭りで売っとる、ペラペラのプラスチックのお面やあらへん。時代劇に出てくるみたいな、木を削って作られた本物や。

 白い顔に赤いひげ。目も口も赤くて、額のもようを触ったら、呪われてまうんやないやろか。


 ぼくは手ぇを伸ばして、それから引っ込めた。こんなん被るんは、なんか怖い。ばぁちゃんも今は被らんで欲しい。昼間の明るい時にしてや!


 提灯ちょうちんには小さい持ち手の棒が付いとって、ばぁちゃんがパリパリっと縮めると、中にはチビたロウソクが立っとる。

 こっちはちょい面白そうや。ロウソクに火ぃ点けたとこ、見てみたい。


「お面もちょうちんも、ひとつしかあらへんの? そしたら、ぼくは入れてもらえへんのちゃう?」


 ぼくは夜中の山ん中なんて行くのはイヤやけど、置いてきぼりはもっとイヤや。


「ばぁちゃんひとりで行ってまうんか⁉︎」


 そう言ってぶうっとふくれて見せた。ぼくに甘いばぁちゃんは、きっとなんとかしてくれはる。

 そう思いながら、チロリと見上げると、ばぁちゃんはまた「ヒョッヒョッヒョ」と笑うた。

 ばぁちゃんはぼくのそういう、甘えたをわかっていて、それでも笑うてくれはる。

 ぼくかて、学校ではもっと恰好つけとる。家でも妹が生まれてからは、兄ちゃんらしくせなあかん思うとる。


 せやけどなんでか、ばぁちゃんにはついワガママを言うてまうのや。


「そうやなぁ。ほんなら、次にたぁ坊が来るまでに用意しぃひんとな」

「やくそくやで!」


 ぼくは念のため、ゆびきりげんまんしてもろうた。



 その晩、二人で夜遅うまで見張ったけれど、そのあとも三つ目の狐火は、とうとう灯らんかった。ぼくはひとりで寝られなくなっていたので、ばぁちゃんと一緒の布団にもぐり込んで、シワシワの手を握って寝た。


 ばぁちゃんの布団は庭のクチナシの花と、ニベアの匂いがした。




 その年の冬、ばぁちゃんは身体を悪うして入院してしもうた。


 何度かお見舞いに連れて行かれたけれど、だんだん小さくなっていくばぁちゃんを見るのが、なんだか怖くてイヤやった。

 点滴の管を付けた腕が、カサカサでイヤやった。ぼくはニベアを探したけれど、病院の売店では売っとらんかった。

 帰りの車で必ず泣くぼくを心配したお母ちゃんは、だんだんぼくを、ばぁちゃんのお見舞いに連れて行かへんようなった。


 そうして、ばぁちゃんは桜の花を待たずにった。


 ばぁちゃんの葬式は、ようわからんうちに終わっていた。ぼくはばぁちゃんが、いなくなってしもうた意味が、少しもわからんかった。

 ばぁちゃんは電車に二時間乗って会いに行けば、今もあのクチナシの咲いた庭で、待っとってくれはる気がした。


「たぁ坊、よう来たなぁ。ジャガイモ蒸してあるさかい、早うお上がり。ああ手ぇ、洗うんやで!」


 そう言って、いつも通り「ヒョッヒョッヒョ」って、笑ってくれはる気がした。



 夏になって――。蚊取り線香の匂いを嗅いだり、遠くに風鈴の音が聞こえたりすると、あの夜のことを思い出す。


 お山にぼんやりと灯った狐火や、不思議で少し気味の悪い、赤いもようの狐面。丸くて可愛い橙色だいだいいろ提灯ちょうちん

 あの夜のことは、少し怖ぁて不思議な、夏の思い出になるはずやった。


 夏の終わりのあの日。


 ばぁちゃんから、ぼく宛の荷物が届くまでは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る