第26話 人狼ゲーム㉖「炎の虎と大海の竜」

「おはよう、諸君」


 10月6日午前8時。


 朝食の場に集ったのは、五人だった。


「見ての通り、今朝の朝食に王我は不在。『人狼』に食われてしもうたわけじゃ」


「王我か。あいつは『人狼』じゃなかったわけねー。けっこー怪しいと思ってたのになー」


 紅子はパンをちぎりながらそんなことを言う。


「それで、どうしますの? 今日の投票では誰を処刑するのです?」


 紫凰が言いだした。


「どうなの、そよぎ?」


 紅子はそよぎに話を振った。


「え……」


「やっぱ、昨日のポリグラフの結果的に美雷かしら?」


「あぁぁ!? なに勝手なこと言ってんのよ!」


「だってそうじゃん。あのポリグラフが反応したのはイルカと美雷で、その片割れのイルカを処刑したんだから次は美雷でしょ? ねーそうでしょ、そよぎ?」


 紅子の口撃は、そよぎの痛いところを付いている。


 そよぎが肯定すれば、美雷の危険が高まり紅子は助かる。否定すれば、そよぎ自身の主張に矛盾が生じて周りからの信頼を失う。


「その話はあとでいいだろ。投票まで時間はあるんだし、焦って結論出すことはない」


 言葉に窮しているそよぎに、天馬が助け舟を出した。


「そうよ。飯食べながら人を吊る話しないでよ」


 もちろん美雷も同調し、結局うやむやのまま朝食はお開きとなった。


「………………」

 

 その間、そよぎはずっと黙り込み思索にふけっていた。






「うーん……」


 朝食後。


 そよぎは厨房で、七つのグラスを見つめながら、頭をひねり続けていた。


「やっぱり分からない。どう考えても辻褄が合わない。あの結果は、どういうことなの……?」


 考えているのはポリグラフのことだ。


 紅子とイルカではなく、美雷とイルカに反応したあのポリグラフの謎が、どうしても解けないのだ。


「そよぎ。何をやってるんだ?」


 声をかけられて顔をあげると、天馬が立っていた。


「PH測定液の調合を、もう一度やってるの。なにか手順に間違いがあったのかなって」


「……はあ」


 天馬はため息をつくと、そよぎの手元の調合液を取りあげた。


「こんなもんはポイ、だ」


 そのまま有無を言わさず、調合液をシンクにぶちまけた。


「ああっ! 捨てないでよ!」


「そよぎ、おまえは賢すぎるんだ。意味のないことを意味があるように深読みして、ドツボにはまるのは賢い人間の悪い癖だ」


 天馬は、たとえ小学生相手でもお世辞で『賢い』などと言う男ではない。


 彼が自分を認めてくれていたことは純粋に嬉しかった。


 だがそれでも、そよぎは疑念を振り払えない。


「ポリグラフが美雷に反応したのはただの誤差か、あるいは本当にゲームをしていて汗をかいていたか、だ」


「最初から汗をかいてたなら、グラスをとった時に反応があったはずだよ」


「なら誤差だ。それでいいじゃないか。なぜそこまであんな簡易的な試験の結果にこだわるんだ」


 天馬は、あのポリグラフの試験をお遊び程度に捉えているようだ。


 そよぎとしても、その考え自体に文句はない。


 ポリグラフ―――嘘発見器の試験結果な・・・・・・・・・・どあてにならない・・・・・・・・その通りだ・・・・・


 だが、しかし――――。


「今日の投票で、俺は紅子に入れる。お前もだろ? 俺たち二人が紅子に入れることを美雷に言えば、あいつだって自分の処刑を回避するために追従してくる。それで過半数、ゲームセットだ」


「うん……そう、だね……」




◆――――◆――――◆




「そうか。そよぎと天馬がそんなことをな」


 六郎太は書斎の安楽椅子でくつろぎながら、清水からの報告を聞いていた。


「混迷しとるのぉ。紅子とイルカ君が『人狼』だと真っ先に気付いたそよぎが、ここに来て迷い始めておる」


「私には理解しかねますよ」


 傍にいた古賀山が口をはさんだ。


 普段はお堅い本家使用人たちも、裏技・超人技・変態技が連発するこのゲームの成り行きに、もはや好奇心を抑えきれなくなっているのだ。


「天馬様の仰るとおり、あんな嘘発見器はおもちゃのようなものでしょう。なぜ、そよぎ様はそれほど固執するのでしょうか」


「自分で考えたから、だろう」


 清水が答えた。


「自分で思いつき、苦労して実行したアイデアだけに、過大評価してそれに固執してしまうんだ」


「はあ。そういうものでしょうか」


「若い者にはありがちな落とし穴だ。しっかりして大人びているが、そよぎ様はまだ小学生。精神的な幼さが出てしまうのも仕方がない……」


「違うな」


 年寄りにありがちな人生語りを始めた清水に、六郎太がぴしゃりと言った。


「あやつは、そんな可愛らしい子供ではありゃせんよ」


「え……」


「あの噓発見器はおもちゃではない。いや、実は嘘発見器ですらない・・・・・・・・・。そよぎが紅子とイルカ君を殺すために仕掛けたトリック――罠なんじゃ」


「なんですって? どういうことです……?」


「そもそも、だ。カードから指紋が見つかった時点で、そよぎは紅子とイルカ君が『人狼』であるとほぼ確信しておった。あいつにとって『人狼を探す』という段階はすでに通り過ぎている。必要なのは『紅子・イルカが人狼であると皆に信じさせること』だけなんじゃ」


「それは……たしかに…………」


「そのためのトリックがあの嘘発見器。儂もあの時は分からんかった。あとから厨房のものに報告を受けて気付いたんじゃ」


「何をです?」


「シェフの岸本が言うには、そよぎは嘘発見器のグラスに、賓客用のグラスと使用人用のグラスをまぜて使っていたらしい」


「賓客用と使用人用……?」


「お前達も知っておるじゃろ。賓客用というのは、イタリアから買い付けたベネチアングラスの特級品。使用人用のグラスは、ぱっと見れば形こそ似ておるがありふれた平凡なグラスじゃ。そよぎは、賓客用のグラス四個と使用人用のグラス三個を揃え、その表面にPH測定液を塗った」


「なぜ、わざわざ違うグラスを?」


「ここから先は儂の想像じゃが……。そよぎは、『使用人用のグラスには、賓客用のグラスより遥かに濃度が高い測定液を塗った』。発汗量とか、心理状態とか、嘘つきとか、そんなもの関係ない。使用人用のグラスは必ず真っ赤に反応するんじゃ」


「なっ……」


「そのグラスをテーブルにまとめて置き、六人に好きに取らせる。するとどうなる? 天馬、紫凰、王我、美雷……奴らは賓客用のグラスを取る。何も考えず、無意識に。生まれた時からそういう生活、そういう身分だからじゃ。逆に、イルカ君は使用人用のグラスをとる。これもまた、当たり前の行動として無意識にな。イルカ君のグラスが真っ赤に反応するのは必然だったわけじゃ」


「し、しかし、それでは紅子様は?」


「紅子は、あの手の集まりにはもったいぶっていつも遅れてくる。最後に残ったグラスを取る可能性は高い。ま、仮にそうならんかった場合は、さり気なく紅子の前にグラスを移動させるとかして取らせる気じゃったろ。紅子はバカじゃから気付かん」


「ですが紅子様の後、最後の一つを取ったのは、そよぎ様自身ですよ? それも使用人用のグラスなのでしょう」


「そんなものどうとでもなる。あらかじめ手を氷水につけて冷やしておけば発汗量をギリギリまで抑えることができるし、皆の注目が集まる前ならこっそりハンカチで測定液を拭き取ることも可能じゃ」


「………………」


「さらに。そよぎが巧妙だったのは、グラスを選ぶ時点では、あれをただの乾杯の演出だと思わせたことじゃ。最初に嘘発見器だと言ってからグラスを選ばせていたら、紅子はともかくイルカ君は罠に気付いたかもしれん。……そのために、この儂まで利用しおった」


 もはや清水も古賀山も、開いた口が塞がらず呆然としている。


「まったく、なんという子じゃ。遠慮深謀えんりょしんぼう……奸知術数かんちじゅっすう……。紅子が炎の虎なら、そよぎは大海の竜じゃな」


「……信じられませんな。あの方はまだ11歳でしょう。それが、ここまで周到に罠を……」


「じゃが、紅子の起死回生の切り返しによって、汗と共に高濃度のPH測定液は美雷へ移された。その結果が、そよぎの思考を惑わせている。紅子を殺すために盛った毒が、自身へと跳ね返ってきおった」


「そよぎ様に迷いが出たことが、紅子様が逆転する一縷の望みというわけですか」


「そうじゃな。そよぎを惑わし、王我を殺した、ここまでの紅子の反撃は見事。じゃが、まだ天馬がおるぞ。あやつは完全に紅子が『人狼』だと確信しているからの」


 そよぎと天馬。


 この二人を攻略しない限り、紅子に最終的な勝ちはないのだ。

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