第10話 荒らしはスルーせず反論しよう②
明らかに物理的な力で破壊されたキーボードの残骸を、そよぎは不思議そうに数回試していたが、反応がないことを確認すると諦めた。
「仕方ないからスクリーンキーボード使おうか」
そよぎがスタートメニューから何やら操作すると、画面上にキーボードが表示された。
「え、なにこれ凄い。裏技?」
「べつに裏技でもないと思うけど……」
「ちょっとイルカ! なんでこの技教えなかったのよ! これがあればまだ戦えたじゃない!」
「教えたところで、今度はモニタを破壊する羽目になるだけですよ」
そよぎは画面上のキーボードを使い、『炎城寺』『ファンサイト』とキーワードを打ち込んで検索を始めた。
ほどなく、とあるホームページを見つけて言った。
「ほら見て、お姉ちゃん!」
そのページは、炎の画像をバックに様々な装飾に彩られ、洗練されたデザインで多くの文字やアイコンが並べられていた。ページトップには『~燃え盛る紅蓮の炎~炎城寺紅子ファンサイト』とタイトルが銘打たれている。
「え、これって……」
「お嬢様のファンサイトですか?」
紅子とイルカが聞いた。
「うん、そうだよ。わたしが作ったの」
「そよぎが? へええ、いつからこんなの作れるようになったのよ」
「お姉ちゃんがアメリカで格闘家デビューしてすぐに初めたから、一年半くらいかな。ほら、お姉ちゃんの公式試合の戦績は全部のせてるんだよ」
そよぎが自作のホームページをお披露目していく。
その出来栄えに、紅子以上にイルカが感心した。
「ほええ……凄いですねえ。ホームページをただ作るだけなら、それほど難しくはありませんが、このクオリィティはプロ並みですよ。内容もすっごい充実してますし。お嬢様の過去の戦績だけでなく、各試合のハイライト……戦法やスタイルの解説……へえ……こんなに詳しくまとめてるんですか。おや……『炎城寺紅子のインタビューまとめ』? これはまずいでしょう」
「なにがまずいってのよ」
「さっき説明したでしょう。お嬢様のインタビューなんてヘイトスピーチに等しい暴言の嵐なんですから……ええと、『モンタギュー戦の感想:カウンター狙いで引いて戦うモンタギューに対して、恐れず積極的に前に出たことが良かった、と炎城寺は語った』……はあ、なるほど。こういう風に曲解することもできなくはないですね」
「お姉ちゃんは率直すぎて、ちょっと誤解されやすいところがあるからね。言ったことをそのまま文字にするんじゃなくて、わたしのほうでちょっと編集してるの。駄目だったかな?」
「別にいいわよ。わたしだって、実はこういうことが言いたかったのよ」
「本当ですかね……。グリーフ戦の感想は『あの人が引退しても自分が後を引き継いでみせる、と炎城寺は語った』……リチャード戦は『彼が汗で滑ったわずかな隙をついた腕取りがうまくいったが、手強い相手だった。これからも共に切磋琢磨していきたい、と炎城寺は語った』……はー、ものは言いようですねえ」
イルカが呆れたような、感心したような声で、しきりにうなずく。
「コメントもいっぱいついてますねえ。ひとつの記事に百とか二百とか……これPV凄いことになってるんじゃないですか」
「お姉ちゃんが全米トーナメントで優勝してから、月間百万PV超えたよ」
「百万PV?」
「ひと月に、このホームページが百万回見られてるってこと」
「ええ! そよぎ、凄いじゃない!」
「凄いのはお姉ちゃんの人気だよ。そりゃそうだよね、無差別級の男格闘家に混じって、女の子が優勝しちゃったんだもん」
「え、わたしの人気?」
「うん、お姉ちゃん人気者だもん。ほら、この掲示板でもみんなお姉ちゃんのこと褒めてるでしょ」
「掲示板……」
その言葉を聞いて、紅子は露骨に顔をしかめたが、そよぎは気付くことなくファンサイト付属の専用掲示板を開いた。
516:
『炎城寺選手の戦いは、いつもいい意味でハラハラさせてくれる。ポイントや判定をまるで考えず常に前に出るから、見ていて気持ちがいいよ』
517:
『あのリア・モンドとの準決勝は、百年後も伝説として語られると思います』
518:
『世界チャンピオンで超美人っていうのがもう……天は二物を与えず、という言葉はこの人には当てはまらないよね』
519:
『ほんと、かっこよすぎです…胸くるしい…』
520:
『日本が世界に誇れる偉人のひとり。国民名誉賞を与えるべきだと思う』
「ほらね、みんなお姉ちゃんのこと大好きなんだよ」
「……嘘よ」
「え?」
「嘘を付くなあああ! どうせこいつら、内心ではわたしのこと馬鹿にしてるのよ! あざ笑ってるのよ! 騙されるもんですか!」
紅子が顔を真っ赤にして、すでに壊れているキーボードをふたたび殴りつけた。
「お、お姉ちゃん!?」
「お前も、お前も! 本当はわたしのアンチスレに書き込んでるんだろ! くそくそくそ!」
「お姉ちゃん、どうしちゃったの……?」
呆然とするそよぎに、イルカが解説する。
「お嬢様は昨日から大変つらいことがあり、人間不信気味なのです。いやあ困ったものですよ」
そもそも紅子の嫌われぶりを散々見せつけたのはイルカなのだが、当の本人は他人事のように肩をすくめた。
そんな二人の様子を見て、そよぎは事情を察したようだった。
「ああ、そういうこと……」
そよぎは紅子にむかって、優しく諭すように語りかける。
「お姉ちゃん。たしかに、ネットの中にはお姉ちゃんのこと嫌なふうに言う人達もいるよ。でも、そんな悪口に惑わされないで」
「え……」
「あのね、ネットでは悪口ほど声が大きくなって多数派に見えるんだよ。でも本当は、お姉ちゃんのこと好きな人のほうがずっと多いんだよ」
「そうなの……?」
「ほら、この『炎城寺wiki』はこのファンサイト見ている人たちが、ボランティアで協力して作ってるんだよ。お姉ちゃんのことが嫌いだったらこんなことしないよね」
そよぎが、有志により製作された紅子の百科事典を紹介する。
そこには、紅子にまつわる大量の情報が、五十音ごとに編集されてまとめられていた。その内容は、堅い文体ではあるが紅子への敬意と愛情にあふれている。これまで紅子がネット上で目にしてきた、暴言や中傷、皮肉とは無縁の世界だった。
それを見ているうちに、怒りで真っ赤になっていた紅子の顔は次第に輝いていく。
「そっか……わたしって本当は人気者なんだ……。あはは! そうよね! この世界最強の炎城寺紅子が、嫌われてるわけないじゃん!」
紅子の怒りは瞬間湯沸かし器のごとく高速で沸騰するが、冷えるのもまた速い。いまにもモニタに鉄拳を叩きこみそうだった紅子は、ころりと態度を変えて笑い出した。
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