CASE 2-7



 「やだ……まだ


 イツキとジンが部屋に戻ると、ちょうど目を覚ました京子は嫌そうに顔を顰めてベッドの中から覗き込むようにしている二人を見上げて声を上げた。


「まあ、お前があくまでも幻覚と言うのならそれも仕方がない。だが、助けると言った手前、望みは叶えよう」


 約束は、約束だからなとジンが乾いた声で笑う。


「あーあーあー、聞こえない聞こえない。わたしには見えていない。薬は飲んだ。大丈夫、そのうち消える」


 幻覚で見ている人物と、目を合わせないようにしてというのも変だが、視線を逸らし耳を両手で塞ぎ、がばりと勢いよく起き上がる京子の様子をジンとイツキは側で黙って見ていた。

 そんな京子の乾かさずに寝てしまったその後頭部に絡まり合う髪の毛の束は、鳥の巣というよりも小型の犬を一匹頭に乗せているようにすら見え、ベッドから立ち上がるや否や彼女の足元に再び纏わりつく仔犬のその姿形とよく似ている。


「頭、すんごいことになってますよ」


 思わず感想を漏らしてしまったイツキを京子は、きっとした表情で睨みつける。


「幻覚や幻聴でも悪口しか聞こえないってのは、何なの? 幸せな幻覚や幻聴に溺れてみたいものだわ」


 自分で言って泣けてくる。


 侑斗ゆうとに会いたい。

 どうせ見るなら侑斗の幻覚が見たい。

 聞こえるものならあの子の声を聞きたい。

 どんなに狂ったら現れてくれるのだろう。


 京子に纏わりついていたあの小さな熱い掌が恋しかった。

 幼い頃には二度と戻らないと知っていたのに、その幼さを嘆いたりしてたのが馬鹿みたい。もう小学生なんだからと厳しくしたりせずに、まだ小学生なんだからともっと甘えさせてあげれば良かった。

 たった、たった八年しか生きてないのに。

 強い子にする為ですって?

 甘やかすのを止める?

 違う。

 甘えさせてあげなかった。

 わたしの都合で振り回してた。

 そんなわたしに罰が当たったのも当然。

 過去にあった色んなことを忘れて、毎日が当たり前に続くものだと、どうして思っていたんだろう。


 うずくまり顔を手で覆う京子を慰める濡れた鼻と熱いザラザラした小さな舌は、呪いの道具にしようとしている仔犬のものだと知っている。

 心を動かされまいと、可哀想で誰からも目を背けられるいちばん醜い仔犬を選んだ筈だったのに……。

 お互いの傷を埋めるように、京子は仔犬をそっと胸に抱え上げて呟く。幻覚に向かって。

 

 これがわたしの内から出る幻覚なら、わたしの望むものを見せなさいよ。

 だから……。お願い。


「……知りたい。侑斗がどんな目にあったのか……! わたしは知りたい。知って、必ずを……出来るならこの手で同じ目に合わせてやるんだ!!」


 咽び泣く京子に、ジンが冷たく言い放つ。

 

「良いだろう。これをお前が幻覚だと思うのは勝手だからな。侑斗の最期を見せてやる」

 それが慰めになるとは到底思えないがな。


 その瞬間。


 目の眩むような光の塊はあまりにも攻撃的な白さで部屋に居た者すべてを何処かへと弾き飛ばす。


 疑問を口に出す余裕も、ましてや疑問が沸き上がる余地もなかった。

 実際に京子が受けたその衝撃はあまりにも凄まじく、とっくに狂っていた自分の精神どころか自身の肉体さえも失くしてしまったに違いないと思いながらも不思議とまだ感覚のある体に、瞼を開き目を上げたその先に飛び込んで来たのは……。


 決して見間違えたりしない我が子の後姿。


「……侑斗!!!」


 声の限り叫ぶ。


「侑斗! 侑斗! こっちを見て!」


「声は届かない。それにこれも、お前の幻覚なんだろう?」


 地面に膝をつき髪を振り乱し、我が子に縋りつこうとするも震えて動かない脚をどうにかしようと血が滲むまで爪を立てて叫ぶ京子の傍らに、ジンとイツキは立つ。

 平然と京子を見下ろすジンの横でイツキは息ができなかった。胸の奥が痛い。胸を押さえ空気を求めて喘ぐ。京子の叫び声は深くイツキの胸をえぐるのだ。

 なんで? ジンはどうして平気なんだ?

 

 そんな三人には気づかない侑斗は、ランドセルを背負った背中を小さく揺らしながら歩いていた。

 よく見れば少し離れた前を行く誰かの後を追っているようだ。


「……お願いっ、お願いよ、侑斗! だめっ! 行っちゃダメなの!! 教えたでしょう? には付いて行ったら駄目なんだって……!! だっては……」


 京子の叫ぶ声は、侑斗には聞こえない。


? 侑斗は、お前が教えたように知らない人には付いて行ってはいないぞ」


 ジンの言葉に、はっと顔を上げた京子は「どう言う意味よ?」と小さな声で問いただす。


「わたしアイツのことなんて知らない……。侑斗は……侑斗は付いて行ったの?」


 侑斗の少し前を歩く学生服の後姿を見ながら、京子は酷い目眩を感じた。

 

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