CASE 1-8



 気づくと三人は最初に移動した明日菜の思い出の、どこまでも広く続くようなあの公園に戻って来ていた。

 肌で感じるほど人の悪意が渦巻く、常に薄暗いような場所から解放された途端、自然と背筋が伸びた。

 陽の光で微かに暖められた風が、柔らかく頬を撫でて通り過ぎる。足元からは、むわっとする草熱くさいきれにのって芝生が強く匂った。

 

「初夏、ですね。あたし、この季節がいちばん好き」


 見上げる明日菜の声につられるように、それぞれが空を仰いだ。

 青空が眩しい。

 ……綺麗だった。

 隣りにちらと視線を動かし、強い陽射しに負けない若葉に似た明日菜は、目の醒めるほど綺麗な新樹のようだ、とイツキは思う。

 

「何を泣く」


 触れてみて濡れている頬に驚いた。

 ごしごしと、その頬が赤く痛みが出るまで擦るように涙を拭う。ジンにそう言われるまで、イツキは涙を流していることに気づいていなかったのだ。

 

「なんで……?」


 残酷だと思った。

 残酷で、それでいて……。


「……明日菜さんのお父さんは、明日菜さんが居たから、頑張っていたんじゃないの? お互いの均衡が大事だったって言ってたじゃないですか?!」


「そうかも。でも、あたしが最初から居ないなら、大丈夫です。お父さんは何かを途中で放り出すことはしない人なの」


 胸を張ってそう言う明日菜は、凛としていながらとても可愛らしい。それを見てイツキは、また溢れてくる涙に困惑してしまう。

 


「いつから存在を消す? 母親と同時か?」


 慈しむ目で、ジンは明日菜に問う。問われた明日菜は、小さな両の掌を胸の前で握りしめながら答えた。


「最初から……最初から、あたしを消してください」


「この世には、生まれてこなかった。存在しなかったということだな?」


 明日菜はこくり、と頷いた。


「痛いのと、痛くないの、どっちが良い?」


「……えっ!? ええー!?」

 

 叫んだのは、イツキだ。

 思わず涙が引っ込む。

 この期に及んで、そんな試練があるとは明日菜が不憫過ぎて辛い。

 そりゃあ痛くないほうでしょう?

 明日菜も少し青褪めた顔で目を丸くして、ジンを見ていた。

 その二人を見てジンが笑う。


「冗談だよ」


「笑えない冗談は、やめて下さい!!」


 イツキは明日菜を庇うように背中に回すと、両腕を広げた。

 ふふっと笑う明日菜の声がする。


「……イツキさんってお兄ちゃんみたい。あ、気に障ったらごめんなさい。歳が同じくらいだからかな? なんか似てる、なんて思っちゃって。人殺しに似てる……なんて言われても嫌ですよね」


「ええっ。それは、無いけど……おっ、お兄ちゃん?!」


 思わず体を捻るようにがばりと振り返って、明日菜の顔をまじまじと見つめる。

 そのイツキの顔を、とっくりと眺めながら明日菜は言った。


「あたしより、二つ三つ歳上、そのくらいですよね?」


 言われたほうのイツキは、思わず自分の顔を両手で撫でまわしてみるも、遅ればせながらそれは全く意味をなさないことに気づいた。

 顔を撫でまわすイツキを、小馬鹿にしたような目で見ていたジンが鼻で笑う。


「目は見えているから有るのは分かっていたみたいだが、ようやく鼻や口のそれ以外の存在に気づいたのか?」


「えっ、えっ? だって……あれ?」


 イツキは自分の年齢も顔もことに気づいて、愕然とする。


「いや……だって確か、飲み過ぎて記憶を失くした……はず?」


「えー? イツキさん『未成年の飲酒は法律で禁じられています』ですよ」


 そのやり取りを見ているジンは、にやにやと笑うのを隠そうともしていない。


「なっ、何ですか? その笑いは」


「イツキ。試しに聞いてみたら良い。この顔が、明日菜にはどう見えるか」


 この顔、と言った時にジンは、自らの捉えどころのないくらいに整った顔を指差して見せた。


「どうって……褒めているみたいで言いたくありませんけど、骨格はわりとしっかりしているのに色白でつるりとした中性的で超絶的な美貌ですよね? 睫毛は長いし、鼻筋はすっとして。綺麗過ぎちゃって冷酷そうに見えますけど、それは実際の内面がそうなのを隠そうともしていないからで……まあ見方によってはそのふっくらとした赤い唇なんかは、蠱惑的にも見える……」


 とにかく実用的とはいえない鑑賞用の顔としか言いようがありません! とイツキはきっぱりと言い切った。


「ハハッ! 並べられた言葉はどれもこれも曖昧で、何を言いたいのかさっぱり分からないが、なるほど。それがお前から見える顔か」


「えっ? イツキさんは、目が悪いんですか? ジンさんは、どこにでもいそうな……ってごめんなさい……えっとまあ、普通にフツーの外国の方ですよね? そりゃあ日本人あたしたちよりほりは深いですけど、これといって……。歳はそうね……三十代? もっと若い? くらいかな。だからでしょう? 外国の方だから日本語に慣れないというか、話し方が独特って言うか何というか……?」


「……ウッソ!?」


「えっと……ホント?」


 今やジンは腹を抱えて、目に涙さえ浮かべて笑っていた。

 しかも、ものすごく愉快そうである。

 この人のこんなに人らしい姿って初めて見るかもと、イツキは思うが同じその頭の片隅で果たして自分みたいに人間ヒトあるいはもと人間ヒト? なのかも疑わしいんだよなぁと思うのだった。

 それでは何かと聞かれたら、イツキには用意してある答えはあるものの、答える自信はない。


「……くくくッ。いや、笑った。そうか、明日菜にはそう見えるか。ふうん。ま、見た目はどうでも良いんだ。これは服みたいなもんだからな」


「いやっ、ちょっと待って下さいよ? 服なら脱いだり着たりしますよね? でも見ている人によって変わるってのは、ないでしょう?!」


「イツキさん……ほら、そこは外国の方だから……ね?」


 憐れむような視線(イツキさんってジンさんの言うようにポンコツなのねって言わんとしてますよね?)を明日菜に向けられてイツキは、いやいやいやいや、と首を盛大に横に振りながら両手を前に突き出した。

 明日菜さん自分は決してポンコツではありません、と胸を張れないのは何故だろう。


「さて。そんなことはどうでも良いが、そろそろ明日菜の願いを叶えてやらないとな」


 


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