411話 ネズミ1匹通す網

「ちゅちゅう……」


 白いヤドリネズミの姿に戻った銀は、民間用の超小型カメラを背負い、錆だらけの狭い下水管の中を進んでいた。


 長年使われていなかったのか、配管の内部は汚れが溜まり、虫なども繁殖している。特に世界中で繁殖しているとされる「メルロハイト」と呼ばれる黒い大型の虫はヤドリネズミの大好物でもあり、図らずも銀の食欲をそそる。


「ちゅちゅ……ちゅっ!」


 アメリアの魔力の影響で知能は上がっているとはいえ、それでもネズミの姿に戻ってしまえば、ただのネズミと相違はほとんどない。久々の獲物を前に、腹を空かせて飛び掛かる。


 結局、彼女は自身の任務を思い出すまで4時間を余計にかけてしまっていた。餌を食べて満足して寝ていた銀は、気を取り直して配管を進んでいく。


 しばらく進んでいると、ようやく出口と思われる光が先から見えてくる。ここを抜けてしまえば、後は城の内部を探り放題だ。


 だが、銀は脚を止めざるを得なかった。使われていないはずの建物らしいが、なぜか人の声がするのだ。


「本当に奴らが来るのか?」

「大臣がそう言ってたらしいからな。ま、あいつのヒステリーに付き合わされるのはいつものことだろ」

「くそ、下水道から来るなんてバカげた話、あるわけない」

「大臣が言うには、ウォンタオ殿がシェイの屋敷で戦った敵からドブの臭いを感じ取ったって話だ。信じないわけにもいかんだろう、ってな」

「ウォンタオ殿が? マジかよ」


 話しているのは銀も知らない者たちだが、少なくともこの建物を警備する兵士であることは確かなようだ。そして、下水道から潜入してくるだろうこともお見通し、というわけだ。


 とはいえ、今更引き返すわけにもいかない。銀は少し引き返し、枝分かれしていた配管から脱出することにした。


 注意深く配管から体を出し、古びた便器から出て廊下を覗いてみると、先ほどの世間話に興じていたと思われるトラ顔の男2人が欠伸をしているのが見えた。今は注意が散漫になっているようで、今彼らの足元を駆け抜ければ振り切れるだろう。


 猫は確かに怖いが、恐怖に怯えていてはどうにもならない。銀の飼い主であるアメリアの恩人、矢沢は今もどこかで苦しんでいるはずなのだから。


「ちゅ……ちゅちゅ!」


 銀は意を決して廊下に飛び出し、自分ができる限り脚を動かしてその場から離脱を図る。これで逃げ切れれば御の字、見つかってもどこかの穴倉に身を潜めれば、少しはやり過ごせるだろう。


「ん……? おい、あれ」

「うげっ、ネズミじゃねえか!」

「ちゅ!?」


 とはいえ、やはり猫は猫。侵入したネズミは見逃すはずがなかったようで、2人のトラ顔の男は一斉に銀へ目をやる。


 襲われる。そう思っていた銀だったが、後ろから聞こえてくるはずの足音が全くしない。靴を履いていたのだから、足音がしてもいいはずだが。


 そう思って後ろを振り返ってみると、トラ顔の2人は全く相手にしようとしていなかった。むしろ、銀を避けるように顔をしかめている。


「おい、どうする?」

「関わるなよ。こんなところを住処にしてやがるんだ、どれだけ汚いかわかったもんじゃねえ。配置を離れるなとも言われてるしな」

「だな」


 どうやら、文明化は生物の野性性をも奪ってしまうらしい。襲う判断をしなかった2人に少しばかり感謝しつつ、銀はトイレから逃げ出した。


  *


 後は楽な仕事だった。人目を避けながら部屋のあちこちを駆けずり回り、動画データをカメラに収めるだけで、任務は半分達成すると言える。


 もちろん、矢沢らを探すことも忘れなかったが、ようやく手足を縛られた彼らを城から離れた兵舎で見つけた時は、既に敷地のほぼ全てをカメラに収めていた。


 兵舎の内部には警備の兵士が2名。シェイの屋敷で遭遇した例の黒ずくめではなく、普通の猫顔の兵士だ。


 銀は事前に盗み出していた短剣を引きずって兵舎に持っていき、兵士の1人の足元に投げつける。もちろん遠くまで届くわけがないが、兵士はそちらに気を向けてくれた。


「ん……?」

「さあ、おねんねしなさい」


 銀は人の姿に戻ると、屈んだ姿勢のままの兵士に肉薄。短剣を拾って首筋に深々と突き刺した。銀の早業で兵士は臨戦態勢を取ることさえ叶わず、喉から血しぶきを噴き上げながら倒れた。


「っ! 敵襲!」


 もう1人の兵士の処理も忘れない。相手はこちらに気づいて振り向いていたが、銀は目くらましの強い光魔法を放って怯ませ、その隙に首筋へ短剣を突き立てた。


「うぐ……あ」


 喉笛を深く切り裂かれて絶命しない大型動物などいない。2人の兵士を手早く倒した銀は、他の敵が来ないことを確認してから矢沢らに向き直る。


「また捕まっちゃったわけ? しかも、今回は部下まで一緒に。ほんと、わけないわね」

「……すまん」


 矢沢は銀の顔も見ずにそれだけ呟く。佐藤や環、愛崎も黙り込んだままだ。


 そこで、銀はおかしなところに気づく。捕まったはずの隊員は矢沢と愛崎、佐藤、環、そして大宮の5名のはずだが、大宮の姿が見当たらない。


「ねえ、オオミヤはどこに行ったわけ? もしかして、逃げ出せたの?」

「いや……」

「殺されたよ」


 矢沢が口ごもっていたところ、環が割って入る。銀が目を見開いているのをよそに、身の内をさらけ出すように語り始めた。


「あいつら、何の抵抗もできない大宮2曹を殺しやがったんだ。人の命を何とも思っちゃいない。ただのゲス野郎さ」

「いや、あれは私が悪い。挑発したのは私だ」

「艦長は悪くありません。人を殺す方が悪いんですから。憎むべきは奴らです」


 環は矢沢に顔を向けて訴えていたが、当の矢沢は俯くばかりだった。


 どうやら、事態は深刻らしい。既に死人が出てしまっている以上、早急に救助しなければ生き残った4人の命も危ない。


「わかったわ。まずは身を隠しましょ。話はそれからよ」

「ああ……」


 銀は矢沢ら4人の縄を切り、兵舎から連れ出した。身を隠すところはほとんどないが、広大で外周に警備の目が行っている今ならば、内部ではある程度自由に動ける。隙を見計らって城の倉庫に身を隠させ、一時の避難場所とする。


 次は本格的な救出作戦を実行すべき時だった。銀は城から離脱し、艦へと戻った。

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