395話 残虐な者への慈悲

 矢沢が包囲される数時間前、波照間は再び奴隷商人ルアンの下へ赴いていた。


 理由はもちろん、彼を本格的に協力者へ引き入れることだった。ルアンを引き込むことができれば、既に売却されてしまった邦人を取り戻せる可能性さえ出てくる。


 できることは全てやる。地球の誰ともやり取りができない今、自分たちがやるしかない。人々はそれを望んでいるだろうから。


 店の先に来ると、店の看板店員らしい三毛猫顔の少女が出迎えてくれる。


「どうも、ルアンさんはいる?」

「ふぇ? あー、ルアンさんなら奥にいらっしゃるはずですう」

「ありがと。じゃ、頑張ってね」


 波照間はニコニコと愛想笑いを振りまくと、そのまま店の奥へと進んでいく。


 ルアンは従業員詰所の奥にある椅子の上で、1人寂しく膝を抱えていた。彼が無辜の市民であれば同情したのだが、邦人たちを絶望の底にぶち落とした奴隷商人だ。付き合い上仕方ない配慮は別として、容赦をする義理など一切ないし、その気もない。


「とても元気そうでよかった。今空いてる?」

「くそ、君か……勝手にしなよ」

「勝手にさせてもらうんだけど、その前に売買記録を見せてくれない? 売っちゃった代わりにちょうだいって言ったんだけど」

「その、売買記録なんて何に使うんだよ」

「決まってるじゃない。取り返しに行くの」

「そ、そんなことをしたら、当局に睨まれて……」

「ただのビジネスなんだから大丈夫。おカネでいい感じに交渉して、後はまぁ、なんとかなるって感じで」

「いやいやいやいや、それハードル高いし……」


 波照間が返答する度、ルアンは自信が流れ出しているかのように縮こまっていく。何があったのかは知らないが、彼の精神力も限界に来ているらしい。


 となれば、あと一押しで陥落させられる。波照間はニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべ、近くにあった椅子を引き寄せてルアンの隣に座った。


 普段から丁寧に手入れされているであろう黒い毛並みはフワフワで触り心地が極めて良好、枝毛も見当たらない。


 ルアンの背中に腕を回し、悪魔がそうするように耳元へと語りかける。


「あたし、護衛艦あおばの乗組員なの。この世界だと、灰色の船って呼ばれてる船。仲間は絶対取り戻したい。そのためなら命も惜しまない。わかるかしら?」

「冗談だろう……灰色の船だって?」


 波照間が自身の正体をバラすと、ルアンの顔から血の気が一気に引いた。


 奴隷の解放を掲げ、アセシオンとアモイという有力な国家を降した異世界の船。その名前が及ぼす影響力は、既にこの世界では大きなものとなっていた。特に、奴隷を扱う商売ではなおさらだ。


「もう政府との交渉の方は行き詰まってるのよね。なんでも、向こうは交渉する気がないみたいで。しょうがないから、民間から直接当たってみようかなって思ってたから」

「それでうちに来た、っていうわけか……」

「ま、そんなところかな。そういうわけで、ルアンくんにはあたしたちのためにしっかり働いてもらうからね」

「待ってくれ! 働くなんて言ってない」

「何言ってるの。あなたの答えはハイかイエスに決まってるんだから。あたしたちには店の評判を下げる力があるし、それでなくても武力でルアンくんを連れ去って、別の国で奴隷にもさせられるんだし。どうする?」

「ううっ……」


 波照間のきつい一言を貰ったルアンは、玉のような冷や汗を流しながら俯いていた。


 ルアンはもはや波照間の手の内だ。拒絶するということは、そのまま身の破滅を意味する。


 ついに決断したのか、ルアンは辛そうなうなり声を上げながら、ゆっくりと小さく頷いた。


「うううう……ああ、わかったよ」

「ふふん、じゃあ交渉成立ね。よろしく、ルアンくん」

「くそ、くそぉ……」


 大型契約を取りまとめた波照間は上機嫌だったが、ルアンの顔は絶望の色に染まりきっていた。幽霊のように虚ろな目を地面に投げかけ、死にかけた魚のように口をパクパクさせている。


 彼も彼の商売があるのだろうが、そんなことはどうでもよかった。いや、慈悲をかけたくはなかった。


 艦長さんは「こちらにはこちらのルールがある」と言って慈悲をかけたがるけど、それはつらい思いをする邦人たちを冒涜するんじゃないか、と波照間個人は思っている。


 もちろん、今後の日本政府を交えた外交交渉も考えて、相手との摩擦をなるべく抑えるやり方は間違っていない。自分が決断を下す場面に遭遇すれば、同じ選択をするだろう。


 ただ、幹部として異を唱えることはできても、その最終決定を下すのは艦長さんだ。そして、自分たち特殊作戦群、いや、自衛隊の部隊全ては、政治が求める終末状態を実現するために動く駒なのだ。


 古今東西、様々な場所で残虐行為は行われてきた。現地住民を標的にした略奪、暴行、レイプ、そして処刑。枚挙に暇がない。


 ただ、この世界はそのような目に遭わずに済む。艦長さんがそれを許さないように厳命しているからだ。とても運がいい。そうでなければ、自衛隊員も邦人も、彼らの暴虐に対してそれ相応の「報復」を行ったかもしれないのだから。

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