383話 自分のためになら
「よし、これで大丈夫かな」
「ん……」
絵里は佐藤の目をじっと見つめ、感謝の代わりとした。前々からこのような態度をとることはわかっていたので、何も言わずとも絵里が何を伝えたいかはそれなりにわかる。
彼女の左目にはガーゼが当てられ、包帯で頭を巻いて固定されていた。麻酔の類など全くないまま消毒をしており、大人でも耐えがたいほどの激痛を感じたはずだが、絵里は全く動じることなく治療を終えた。既に痛覚さえなかったのか、それとも絵里の痛みへの耐性がそこまで高かったのかは定かではない。
ひとまず3人の応急処置は終えたが、とても翻訳作業を依頼できるような状況ではなくなってしまった。
佐藤は今すぐにでもアメリアを呼んでどうにかできないか相談しに帰るつもりだった。血まみれになった座敷を立ち、お大事に、とだけ伝えてその場を後にしようとする。
「おい、待てよ」
その2人を引き留めたのは、他でもないかがみだった。ちゃぶ台に寄りかかり、怪訝な目を佐藤らに向けている。
「お前ら、何しに来た。ただ俺たちがなぶり者にされているのを見物しに来たわけでもあるまい」
「それは……頼み事があったんだけど、そういう状況でもないからね。ひとまず君たちの回復を待つことにしようと思って」
「その頼み事ってのは、俺たちを助けてくれる作戦の布石になるんじゃないか? そうじゃないなら殴るが、もしそうなら協力しない手はない」
「その通り。これ以上、絵里ちゃんやかがみに何かあったら……」
かがみは至って平静に、順子は涙声で訴えかける。絵里も仏頂面を貫いてはいたが、佐藤を射抜く視線は、かがみと同じ意思を共有していることを窺わせた。
だが、本当に今頼んでもいいのか。ここは3人の治療を優先させるべきではないのか。ここで無理をさせて病状が悪化することがあれば、佐藤は死の責任を負うことになる。
「佐藤さん、今はそれどころじゃないと思います。帰りましょう」
環も同じ結論に達したようで、神妙な表情で佐藤を見つめていた。
「わかってる。ごめん、3人とも。今は無理をさせられない。治療ができるかもしれない人に頼んでみるから、それまでは待ってほしいんだ」
「わからん奴だな。俺たちは早くこんな地獄からオサラバしたいんだ! そのためなら何だってする! 少しばかり苦しかろうが、それが俺たちのためになるってなら、いくらでも我慢してやる! あんなクズ共にかすり傷をつけられるくらいなら、自分のために働いて手足全部なくす方がマシだ! いや、ここで死んだっていい! それが俺たちのためになるならな!」
かがみは佐藤の右脚に吊っていたホルスターから9mmけん銃を奪い取ると、銃口を自らのこめかみに押し付けた。その際、素早く安全装置を外し、スライドを引いて弾を薬室に送り込む動作までやってのけた。佐藤と環が呆気に取られる間のことで、押さえ込むことさえできなかった。
「あんた、何やってるのさ……!」
「それくらいの覚悟はある。クソ共になぶられて惨めに死ぬより、自分たちのために戦って死ぬ方がずっといい」
不安に駆られて口をパクパクさせるだけだった佐藤に代わり、環が怒りの形相でかがみに迫るも、当のかがみは一歩も引かない様子だった。それどころか、拳銃のトリガーにかけた指に力を入れる始末だ。
「ちょっと……早川さん、あんたの娘だろ? 止めてやりなよ!」
「……あたしも、そう思う。それでなくても、かがみは言い出したら聞かないもの」
「あんたまで……」
環は順子に言い聞かせるが、順子も声を震わせ、かがみの意見に賛同する。無論、環は呆れて物も言えない様子だった。
だが、絵里はかがみの背後から近づくと、トリガーの間に指を入れて発砲できなくし、銃を強引に奪ってかがみをその場に引き倒した。
「うぐ、何しやがる……!」
「てぬるい。こうする、ほうが、ずっといい」
今度は絵里が佐藤の前に立ちはだかる時だった。しかし、かがみが取った行動とは違い、銃は佐藤の股間に突きつけ、更にどこからか持ち出したショートソードを佐藤の腰に回していた。
「うそだろ……」
「たたかわせろ。さもないと、まっぷたつか、たまつぶし」
絵里は全く感情を宿していない棒読み口調で語りかけた。心なしか、かがみの怒りよりも威圧的に聞こえる。
頼み込むはずの3人に、断る意思など微塵も見受けられなかった。先ほどマオレンたちに痛めつけられたばかりだというのに、闘争心は一切失っていないどころか、激しく燃え上がっている始末だ。
こうなれば、もう選択肢などなかった。佐藤はつばを飲み込んで小さく頷いた。
「わ、わかったよ。依頼をしに来たのは、レン帝国の情報を解析するために文書を翻訳する手助けをしてほしいからなんだ。かがみちゃんなら、それができると思ってさ」
「確かにできるな。奴らの屋敷から本を奪ったりもしたからな。さっき燃やされたのだって、俺が作った連中の言葉の辞書だ」
「そ、そうだったのかい!?」
「内容は頭に入ってるぞ。何も問題ない」
「いや、それを復元できれば大きな助けになるはずだ。一から作り直すのも大変だし、復元できる人を知ってるから呼んでみるよ」
「もう灰になっちまったんだぞ。できるもんか」
「元に戻るんだな、それが」
かがみは信じられないと言いたげに怪訝な顔をするが、佐藤は得意げに言う。後ろでは環も笑みを浮かべながら何度も頷いていた。
無論、その辞書を復元できる者といえばアメリアのことだ。彼女の業務は増えてしまうことになるが、ここは忍んでもらうしかなかった。
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