371話 ひっつき虫

 奴隷にされた拉致被害者たちの生命が危機にさらされていることを鑑みれば、悠長に時間をかけるわけにはいかない。これまで貿易など経済面でのアプローチを行わなかったのは、時間をかけすぎてしまう上に、多くの国々に邦人が散ってしまい、どの国とも有力な協力関係を築けなかったからだ。他国との戦争リスクなど予測不能な部分も多く、国家レベルの諜報能力がない現状で採用することは困難だった。


 戦争の主導権を握るのは紛れもなく経済だろうが、自衛隊は基本的に戦争をよしとしない。日本政府と同じく、できることは基本的に直接的な対話だけだ。これが戦争準備や同盟構築を目的とするなら、マオレンが欲しているタングステンや高級な布製品の市場に介入してしまうこともできただろうが、今回は事情が違い過ぎる。


 シュルツがやっていたこともそうだが、アモイの一件もあまりにも衝撃的すぎた。子供を慰み者にし、強制的に極度の貧困へ追いやり、食料を求める子供をなぶり殺しにする。あれを見せられれば、悠長に市場操作などやっていられるわけもない。


 今回も金銭での篭絡、もしくは武力での屈服といった直接的な手段を取ることになる。もちろん後者は使いたくないが、今となっては有力な選択肢の1つとなっている。邦人たちには、あまりに時間がなさすぎるのだ。


 それを念頭に置けば、取れる手段は限られてくる。


 パロムの家へ帰還する途上、矢沢は新たな作戦行動の計画を練っていた。衛生科の派遣隊員たちが入手してくれた情報に基づけば、迅速に解決へと漕ぎつける可能性も高い。


「ヤザワ様、何かお考えごとですかにゃ?」

「ん? ああ、色々とな」


 相変わらず腕をホールドしてくるミルは、心配そうに矢沢の顔を覗き込んでいた。余計な心配をかけることもないと考えた矢沢は、軽く流しておくことにする。


 だが、ミルはそれでも食い下がろうとする。


「何かあったら、アタイもお手伝いしたいですにゃ! だから、遠慮しないで相談してほしいですにゃあ!」

「その気持ちだけで充分嬉しいと思っているが、今は私も何から手を付けるべきか判断に迷っている。しばらくは大丈夫だ」

「うー、そうですかにゃ……わかりましたにゃ」

「わかってくれたようでよかった。さあ、手を離してくれ」

「イヤですにゃ」


 事情を話した際は不満そうに眉をひそめながらも了承してくれたが、離してほしいと言った途端にミルはそっぽを向いた。どうしてもひっつき虫でいたいらしく、移動が制限される矢沢にとっては迷惑千万だった。


 そもそも、知り合ってから数時間しか経っていないにも関わらず、なぜこんなにも矢沢のことを懇意にするのか全く理解できなかった。そこで、矢沢は単刀直入に聞いてみることにした。


「ミル、なぜ私にこうも執着する?」

「にゃ? どういうことですかにゃ?」

「私たちはまだ出会って間もない。互いのことも知らないはずだというのに、なぜミルは私にこうもべったりくっついたりと馴れ馴れしいのかと思ってな」

「あー、それのことにゃら……」


 矢沢が問い質してみるが、ミルは首を傾げて思案するだけで、しばらくは何も言ってこなかった。黙って見守る佐藤や環、クスクスと1人で声を押し殺しながら笑っていた大宮は助けになりそうにない。


 いい加減辟易していたところ、ミルが出し抜けに腕を掴む力を強くしつつ、顔を近づけてきた。


「やっぱりこれしかないですにゃ! ヤザワ様はあの灰色の船を従えるリーダーで、これまで2つの国を陥落させた上に小国まで従えた、すばらしいリーダーですにゃ! そんな人に憧れないわけがないですにゃ! しかも、男前でカッコイイですにゃ」

「全く、それはお世辞だろう……」


 矢沢は呆れてミルの言葉を聞き流した。2つの国を攻め落としたというのは事実ではないし、あれも不手際が続いた故でのこと、ただ上手く事が運んだだけの結果論でしかない。それに、矢沢が顔でモテたことはないので、これもお世辞の範疇を出ない。


 それでもミルはかぶりを振り、精一杯に説得してくる。


「そんなことありませんですにゃ! 2つの国を屈服させたことは事実ですし、それにカッコいいのはホントにゃ!」

「全く……ああ、ありがとう」


 これ以上は埒が明かないと判断した矢沢は、この話題を切り上げることにした。ここまで媚を売るとなると何か裏があるはずだが、それを語る気は全くないようだ。


「ま、いいじゃないですか。それでなくとも、艦長はこっちに来てからだいぶモテてるんですから」

「ふふふ……」


 矢沢が困っていることをいいことに、大宮は遠慮もなくからかってくる。環も笑いを堪えきれずにいるようだ。


「ああ、どうもそうらしい」


 大宮の無礼講は今にも始まったことではない。しばらくはこの状態が続くことを考えれば気が重くなったが、それでも敵対するよりはマシだろうと考えることにし、このままミルを連れて歩くことに決めたのだった。

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