369話 漏れ出る不満
「母さん、餌やってきたぞ」
「あら、ありがと」
矢沢らが話し込んでいると、ふいに背後から声がする。自衛官たちが通路の方を覗くと、少女が汚れた服を着たまま歩いてくる。佐藤は軽く手を振り、少女に笑みを見せた。母と呼ばれた順子も微笑んでいる。
「やあ、かがみちゃん」
「お前も一緒だったか。今日は仲間も一緒なのか?」
「そうだよ。こちらが護衛艦あおばの艦長さんだ」
「ふうん」
かがみと呼ばれた少女は、おおよそ友好的とは思えない厳しい目を矢沢に向けた。元々釣り目であるが故に、さらに威圧的な印象を受ける。
身長はおおよそリアと同程度で、高身長ながら豊満な胸を持つ母親とは全く似つかない幼児体型。顔立ちは母親そっくりだが、やはり目元は全く似ていない。服装はやはり粗末な麻の着物で、ウルフカットの髪もお世辞にも手入れがされているとは思えず、ただ整えているだけといった風情だ。
かなりの高身長であることを除けば古き良きお淑やかな女性といった雰囲気の順子とは違い、かがみの場合は野生児といった言葉が似合う。
彼女の敵意に反応したのか、ミルは腰をやや落として犬歯を見せ、あからさまに威圧する。
「ふしゃー! ヤザワ様を怖い目で見るにゃ!」
「な、何だよお前。俺が何したってんだ」
かがみはミルの威嚇に驚いたものの、すぐに彼女へ視線を移して拳を握る。瞬く間に一触即発の空気になってしまったので、慌てて矢沢が止めに入る。
「待て待て。ミル、今すぐ退いてくれ。かがみちゃん、まずは話し合おう」
「にゃ……わかりましたにゃ」
「わかった」
すんでのところで両者の衝突を回避できたところで、今度はかがみが矢沢に目を移す。
「艦長直々に来たんだったら、当然俺たちを助けるつもりなんだよな。脱出計画はあるのか?」
「すまないが、まだ用意できていない。今日は下見といったところだ」
「な……くそ、こんな生活がまだ続くのか」
「ごめんよ。あたしらも来たばっかりでさ」
「……ここの養豚場、庶民向けの安価な豚を生産してるところなんだ。肉質もあまり気にしちゃいねえし市場原理も働かないせいで、仕事は俺たち奴隷が担わされてる。上の連中は専門職が丁寧に育てた質のいい肉を食って力をつけて、常に上に立とうとするんだが、庶民にはそれが許されない。俺たちは何も悪いことなんてしてないのに突然さらわれて、あのドラ猫共のエゴに1年以上付き合わされてる。やりがいもへったくれもない」
矢沢と環は謝罪するものの、落ち着かないかがみの苛立ちが織り交ぜられた文句が空しく部屋に響き、誰もが口を閉じる。
自衛隊には時間が必要だが、彼女ら拉致被害者にとっては、少しでもここにいる時間を減らしたいし、早く逃れたい。彼女らの気持ちを考えれば早く助け出したいが、それもできない。
「ま、いいさ。俺たちは目の前に垂らされたエサを延々と待たされる犬みたいなもんだ。武器を持って国民を守るのが仕事だってのに、こうやって目の前で無駄話してるだけだもんな」
「かがみ、やめなさい」
「……ああ、わかったよ」
さすがに目に余ったのか、延々と呪詛の言葉を吐き続けるかがみを順子が叱りつけた。それでようやく止まったものの、根本的な問題は何も解決していないのは変わらない。
「で、お前らは何しに来たんだ。俺たちを助けに来たわけじゃないなら、無駄話をしに来ただけか?」
「ま、まあね。今は協力者が僕たちと当局の会談をセッティングしてくれてるらしいから、その合間に紹介だけでもしておこうと思って」
「やっぱり暇つぶしじゃないか」
佐藤が苦笑交じりに言うと、かがみはなおさら呆れてため息をつき、汚れた上着を脱ぎながら居間へと上がっていく。下には何も着ていなかったようで、露わになった背中を見せながら右手にある薄暗い部屋へと引っ込んでいった。左のわき腹には火傷の跡にも見える黒く焦げた個所があり、思わず注意を引かれる。
「俺は風呂に入るから、後はよろしくやっといてくれ」
「ごめんなさいね。あの子ったら血の気が多くて」
「いえ、元気なのはいいことです」
順子が困り果てた様子で謝罪すると、矢沢は軽く笑みを返した。自身も幽閉された身ゆえに彼女の気持ちは痛いほどわかるし、この状態から早く連れ出したくもある。
次ここに来る時は、全員を連れ出せるといいのだが。
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