368話 限られた選択肢

 佐藤の事前説明でもあるように、マオレンの他種族への差別感情は凄まじい。そこで、安易に人族だとバレないよう、自衛官たちはフード付きのロングマントを羽織ることになった。どこまで通用するかは怪しいものの、何もしないよりはマシだろうということで衛生科の派遣隊員たちが使ってきた手でもある。


 1時間ほど歩くと、首都タンドゥの郊外にある牧場に辿り着く。何度もレン軍の将軍を輩出している名門家の所有地らしく、その領有地域も250ヘクタールほどと、皇居より広大な面積を持っている。低い木製の柵の内側にはアセシオンでも見かけた豚たちが飼育されており、中には資料でしか見たことのないような生物もいる。


 佐藤は無遠慮に柵を越えると、井戸の傍にある厩舎へと入っていく。


 人の所有地だろうに、入っても大丈夫なのだろうか。矢沢はミルに聞いてみることにする。


「ミル、勝手に入ってもいいのか?」

「別に誰も見てないし、来ることもないからいいですにゃ。アタイは入りたくないけど……」

「では、待機しておくか?」

「い、いやですにゃ!頑張ってヤザワ様をお守りしますにゃ!」

「わかった。頼んだぞ」

「は、はいですにゃっ!」

「あっはは、わかりやすいったらないね」


 矢沢がミルを置いていこうとしたところ、乗り気ではなかった彼女は少女には似合わない怒り顔を作ってやる気を爆発させ、いそいそと手早く柵を越えていく。その様子には環も面白がっているばかりだった。


 厩舎はアセシオンの城にあった設備より広く、豚以外の生き物も飼われている。それだけならばともかく、屋内は家畜が発する獣臭や糞便の臭いが充満していた。矢沢は慣れない臭いに顔をしかめ、思わず鼻を押さえる。環やミルも同様なようで、見るからに苦しげなしかめ面をしている。


「きったな……ううう、最悪にゃあ……」

「同意。こりゃひどい」

「おや、環もダメなのかい? いけると思ったのにな」

「こんなの慣れるわけないじゃないですか」


 もはや涙まで流すミルは鼻声で文句を言い、環も臭いに参ってしまっている。それを平然としている大宮が茶化し、クスクスと1人で笑っている。


「大宮2曹は大丈夫なのか?」

「ええ、これでも田舎で牛飼ってましたから」

「そうか、北海道出身と言っていたな」


 大宮の勝ち誇ったような笑顔を見ると、矢沢はふと彼の経歴を思い出す。観光目的で北海道に行ったことはないが、農業、特に畜産が盛んな場所だというイメージはあったので、すんなりと彼の出身地についても納得がいく。


 奥まで進んでいくと、事務所の入口が姿を現す。扉はやはり木製ではあったが、ゴムパッキンが施されており、気密性を確保して臭いが流れ込むのを防ぐ構造になっている。アセシオンやアモイには全く見られなかった様式なので、レンの独自技術だろう。


 人間1人通れるような狭さしかない通路を抜けると、小ぢんまりとした座敷と、その部屋の広さと同等の幅を持つ玄関に到達する。大きな紙張りの引き戸が開け放たれており、縁側には佐藤に加えて、ひと際高い身長を持つ女性が座っていた。


「艦長、早川さんです」

「ご無事でよかった。護衛艦あおば艦長の矢沢圭一です。会えて光栄です」

「早川順子よ。私も会えてホッとしたわ。来てくれたっていうことは、助けてくれるのよね?」


 女性はかなりの高身長で、座っている状態でも瀬里奈の身長を超えるほどの高さがある。栗色の髪は胸の下まで伸ばしており、体型もモデル体型とまでは行かないものの、それなりにいいスタイルをしており、よれよれの粗末な麻の着物を着ていようとも彼女の美しさがわかる。精悍な顔立ちは自信と希望に溢れていて、おおよそ1年近く奴隷として過ごしてきたようには見えない。外見からして、まだ20代か30代前半といったところだ。


 しかし、彼女の希望にはまだ応えられない。矢沢は女性の目を見ると、いいえ、と短く返答した。


「既に聞いておられるかと思いますが、現段階では救出作戦を立案できない状態です。レンとの交渉、もしくは邦人救出の目途が立つまでは、どうか我慢をお願いします」

「そう……わかったわ。でも、早くお願い。娘たちが一緒にいてくれるけど、それでも無理やりこんなところで働かされるなんて、辛抱ならないから……」

「承知しました。最善を尽くします」


 矢沢は順子に向かい、深々と頭を下げた。


 日本政府に頼ることができない中『あおば』だけで行動せざるを得ないとはいえ、あまりにも長く待たせすぎている。そのことを申し訳なく思いながら、この女性や家族を助けられるよう思いたかったのだ。


「それじゃ、まだまだ家畜と楽しくやる生活は続くのね……なんだか憂鬱だわ」

「申し訳ありませんが、今は耐えていただく他ありません。不用意に戦争を起こして、あなた方を危険にさらしたくはない」

「ええ、十分わかってるわ」


 順子は困惑と期待が混ぜこぜになったような複雑な笑みを浮かべた。口元は笑っていたが、目は不安そうに矢沢を見つめている。


 彼女のような人々を助けるのが自衛隊の目的。それは変わることがない。


 だが、今すぐできることは限られている。せいぜい、この場でレンのことや邦人の噂を聞くことだけだった。

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