347話 蘇る護衛艦

「ごくり……」


 引っ込み思案な人魚の姫が息を呑んで見守る中、護衛艦かがのサルベージが開始された。


 アメリアが泡の中で魔法陣を展開し、魔法を発動させる。


「では、行きます。秘跡・サンクチュアリ!」


 魔法陣が明るい紫の光を放ち、闇に覆われた海底を染め上げる。


 すると、かがの艦首部分が持ち上がり、水平を維持するようになった。それと同時に周囲へ散らばっていた瓦礫も集まり始め、次々に船体部分と融合していく。


 奇跡というレベルではない。もはや物理法則を超越した何かだ。まさに、神の肉体から生まれたという神器に相応しい、いや、それ以上の光景だろう。


 この力のおかげで、あおばは今も機能を喪失せず、世界の海に展開できる能力を維持できている。改めてこの世界にいたという神の強大さを間接的に感じると共に、強い感謝の念も抱いていた。


 もちろん、この力を提供してくれたダリアにも。


  *


 2日後、かがの船体をほぼ完全に修復することに成功した。電装品など艤装のほとんどや艦載機は未だに使用不能だが、海に浮かぶことができれば曳航中に作業を行えるので、今は無視されている。


 次の段階は、いよいよ護衛艦かがを水面まで浮上させる作業となる。


 既に水に浸かってしまっている以上、船体全てを覆うと大量の空気を必要とするので効率が悪い。そこで、船体外周を覆うように空気のリングを形成し、格納庫にも空気を注入することで浮力を得る方式を採用した。上部構造物は真っ先に水が抜ける上、船体下部には注水されたままなので、ひっくり返る心配も少ないと判断されたためだ。後の排水は注排水装置を復活させ、自力で排水することになる。


 日の出と共に作業は開始され、魔法で海水から空気と水素を合成し、高い浮力を持った泡を形成する。それを密閉した格納庫に注入し、さらに船体の周囲へ泡を形成、魔力で固定する。


 浮上に必要な空気量を超えたところで、かがの船体が海底を離れ始める。魔法の支えなしで空気の力のみを使い、自衛隊最大の護衛艦が海面を目指す。


 浮力は最低限を保っているが、海面に近づくにつれて海水温が上昇するので、やや船体の上昇速度も上がっていく。前部ファランクスCIWSが、本来の白磁の塗装を陽光の下にさらけ出す。


 そして、あおばの乗組員たちが固唾を呑んで見守る中、護衛艦かがの艦首部分が海面を割って姿を現した。水しぶきが夕陽を照り返し幻想的な姿を映し出す中、艦橋が陽光を遮る形で浮上、少し遅れて飛行甲板の大部分が日の入り近い空の下にさらけ出される。


 ようやく格納庫の直下まで浮上した護衛艦かがは、まるで浴槽から溢れ出す湯水のように飛行甲板から海水を流している。その他の開口部からも吐き出される海水に、本当にかがは沈没していたのだと乗組員たちに思わせる。


 こうして、護衛艦かがは異世界の海に召喚されたのだった。


  *


『こちら掌帆長、かがの曳航準備を完了しました』

「よし、ありがとう。これより、我々はアモイのダーリャ港へ向かう。針路088、両舷前進原速」

「針路088、両舷前進原速。ようそろ」


 矢沢は艦尾で作業していた掌帆長に礼を言うと、艦橋の航海科員たちに指示を出す。隊員たちの返答の後、護衛艦あおばは曳航索具で繋がれたかがを引っ張りながら、東へと針路をとった。


 現在もアメリアはかがに乗り込み、注排水装置と錨を中心に修復作業を行っている。その次は失われた資料の修復を行い、頃合いを見て艦内の遺体捜索に移る。兵装も一応復活させるが、主要な電装系は後回しになるだろう。


 どのみち、かがをドックから出た直後の完全な状態に修復できたとしても、乗組員がいないのでは引っ張られることしかできない、ただのお荷物になるのがせいぜいだ。


 考えることは多い。かがは邦人村の防空要塞兼航空機の発着場にするしか使えない代物だが、これの保守整備にも人員は割かねばならない。


 矢沢は艦橋要員たちにバレないよう小さくため息をついた。邦人はまた戻ってきたが、それも全員ではない。まだ取り返すべき邦人たちは数多く世界に散らばっているのだ。彼らを一刻も早く解放するため、使えるものは使いたいが、かがはその「使えるもの」に当てはまるとは、あまり思えない。


「ねえ、ちょっと大丈夫?」

「ん? ああ、ラナーか」


 艦長席でぼんやりと考え事をしていると、どこからか現れたラナーが艦長席を回転させ、じっと顔を覗き込んでくる。


 あまりよくない顔は見られたくないと思い、そっぽを向こうとするが、逆にラナーを怒らせるだけだった。


「ねえ、聞いてるのってば! どうなの?」

「む……大丈夫とは言い難い。考えることが多すぎてな」

「それじゃ、あたしも頼ってほしいな。せっかく仲間に入れてもらったんだから、やっぱり頼ってほしいっていうか」

「そうか、わかった。今はラナーに聞いてもらえそうなことはないが、その気持ちだけでも嬉しい」

「ま、そういうのはお互い様ってね。お母さんだって、何かあれば助け合える人を見つけられたらいいねって言ってたし」


 ラナーは背中に手を回し、ねっ、と首をわずかに傾けて笑顔を見せる。矢沢からしてみれば、それよりも彼女の顔越しにクスクスと声を押し殺して笑っている女性の当直士官の方が気になっていたのだが、口には一切出さずにしておくことにした。


 ああ、と生返事だけを返しておき、外へと目を向けようとしたところ、艦橋に無線通信が入る。


『こちらピーサード。スプラウトウルフ、応答せよ』

「こちらスプラウトウルフ、どうした?」


 矢沢は通信機を取り、連絡相手に直接話しかける。


 使用されるコールサインは、つい最近波照間が使い始めたものだ。声も波照間のもので間違いない。その彼女が入港前にコンタクトしてきたということは、何か早めに伝えておくべき話があるのだろうと矢沢は予測していた。


 すると、予想通り波照間は声をやや押し殺して返答する。


『艦長さんですか……その、そこにアメリアちゃんはいますか?』

「いや、アメリアは艦にはいない。どうした?」

『いえ、いいんです。艦長には先に話しておこうと思いまして……』


 波照間はそう言うと、矢沢に本題を打ち明けた。


 アメリアが聞けば喜ぶことなのだろうが、傍にいたラナーは複雑な顔をしていた。


 以前にラナーは自ら地獄耳だと言っていた。ヘッドセットから聞こえる僅かな音声も聞き取れているのなら、彼女にとっては触れにくい話題でもあった。


 とはいえ、これでアメリアとラナーが築いてきた友情が壊れるのだとすれば、所詮はその程度の仲だった、ということでもある。


 矢沢は聞き終えると、波照間に撤収命令を出し、そのまま通信を切った。

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