333話 王女の決意

 サファギンと話をするらしい矢沢と別れたラナーは、マウアと共に右舷格納庫前まで移動する。近くには誰もおらず、話を聞かれる心配もない。


 ジャマルとの対談の報告にしては雰囲気が物々しいとラナーは感じていた。マウアの表情は硬く、何か思い詰めているようにも見える。


「ねえ、話って?」

「ジャマルとの話よ。何かなかった?」

「多分、マウアちゃんが思ってる通りだと思う」

「決裂ってわけね。あいつの立場もあるし、まぁしょうがないけど」


 はぁ、とマウアはため息をつくと、格納庫の壁に背を預けて腕を組む。


「それで、改めて聞くけど、今後はどうするの?」

「今後って?」

「決まってるじゃないの。今は王族だけの秘密で市民には知らされていないけど、あなたがこの船と通じてるってことを知られたら、それこそ売国奴呼ばわりされかねないわ。ジャマルはそのカードを切ってラナーの主張を消し潰すこともできたはずだけど、それをしなかったのは今でもラナーの身を案じているからよ」

「そんなの、信じられるわけないじゃない……」


 マウアは諭すように言うが、ラナーには全く信じられなかった。


 自分の大事な記憶を奪うのを傍で見ていて、助けようともせずに、それどころか積極的にだまそうとしていた。そんなジャマルが、ラナーの身を案じているなど、信じられるわけがない。


 だが、ラナーは続ける。


「ジャマルはあなたのことが好きなのよ。だからこそ、あのヤザワとかいう男にも敵意を見せて潰そうと嗅ぎまわってたし、今だってあなたのことを守ろうとしてる。私だって最初は信じられなかったし、あいつのことを恨んだけど、あれだけラナーの思想に感化されて蜂起してる国民には内通のことを秘密にするなんて、ラナーを守るためとしか思えないのよ」

「そんなこと、言われたって……」

「今ならやり直せるわ。ジャマルと腹を割って話をして、あなたの言葉を伝えなさい。今の国王はジャマルよ。あなたの願いごとなら、もしかすると叶えてくれるかもしれないわ」

「……考えてみる」


 ラナーは短く返答すると、マウアから目を逸らして海に視線を向けた。


 海面は真っ黒で、時折灰色の船が発する光を波が照り返している。


 どこまでも続く、海よりも深い闇の一部を垣間見たラナーは、自分の意思でアモイに反抗した。その結果として国を追われたとしても、ネモさんと共に歩むことができるのなら、それでいいと思っていた。


 ただ、それでもマウアの言葉が真実なのであれば、もしかすると、またもう一度、あの屋敷に戻って暮らせるのかもしれない。


 ラナーは外国まで戦争に行くことも多いが、基本的にそこはアモイの領内に組み入れられることになる。そこが外国だと言っても、実質的にはアモイとそこまで変わらない。


 一方で、ネモさんたちの艦隊は、本当の意味で「世界」を見てきたのだろう。だからこそ、ラナーに道を教えてくれた。この国を少しでも良くできるような手段を考える時間もくれた。


 楽しい時間は過ぎ去るものだけれど、そこで作り上げたものは一生の宝物。ラナーは彼らと共に作った楽しい時間と、作り上げたことを失くしたくなかった。


 結果的に追い出されたとしても、それはそれでいい。ネモさんと共にいれば、楽しい時間はまだまだ続く。たとえ国を変えられなくても、自分が打った楔はいつか穴を押し広げ、願いという種が芽吹くだろうとも思えた。


 どちらを選ぶかなんて、できそうにない。アモイに残れるなら残りたいし、この船と共にありたいと思う心もある。


 ただ、どちらかは決めなければならない。もしジャマルが話を聞いてくれるのなら対話をするべきで、受け入れられないのなら戦い続ければいい。それでも追い出されるのなら、それはそれでいい。


 ラナーは決心をつけた。もう嫌いになった兄だが、それでも話だけはしようと。


 ちょうどサファギンとの対面を終えたネモさんが戻ってきたところで、ラナーは彼に話しかける。


「ネモさん、どうだった?」

「ああ。どうやら私たちは彼らにとって好ましいことをしたらしい。敵対視されるどころか感謝された」

「あら、やっぱりそうだったのね。なんだか雰囲気が違うと思ったけど」


 そこに、小さな笑みを浮かべたマウアも割り込んでくる。腰に右手を当てると、よくやったと言いたげにウインクを送った。


「おかげさまでな。ところで、そちらの話というのは済んだのか?」

「ええ、まあね。ラナーはこれからどうするのかって話だったけど、決心ついたみたい」

「そうか。よかったな」


 矢沢はラナーに向き直ると、真面目な視線と共に口元を緩めた。


 だが、彼にも話さなくてはいけない。これから自分が何をするのかを。


「ネモさん、あたし、もう1度お兄ちゃんと話をしてくる」

「その方がいい。家族の問題だ」

「それだけじゃないの。あたしが作りたいアモイのことを、ちゃんと話し合わなきゃ」

「そういうことか。わかった」


 思った通り、矢沢は迷うことなく頷いてくれる。彼はどんな時にもラナーを応援してくれる、とても頼りになる人だ。それは今も変わらない。


 胸の奥が熱くなるような気分になりながらも、ラナーは次の言葉を継いだ。


「もしもアモイから追い出されるようなことがあったら、あたしもこの船と一緒に旅をしたいの。いい?」

「もちろんだ。君の力があれば心強い」

「ラナーがそう決めたのなら、もう文句はないわ。というか、何を言っても聞かないでしょ?」

「当たり前じゃん! やるだけやって、ダメなら仕方ないもの」

「ふふ、いい顔になったじゃない」


 ほら、と言いながら、マウアはペチペチと両手で頬を軽く叩いてくる。ラナーはもちろん嫌がって離れようとするが、マウアは払いのけようとする腕を掴み、自身へ引き寄せて抱きしめる。


「でも、心配なのは変わらないわ。たまたまいい連中だったからいいものの、本当にこの国をメチャクチャにするような侵略者だったら、どうなってたと思う?」

「それは……」

「あんたは思慮が足りなさすぎ。私がどれだけ心配したと思ってんの? あなたが売国奴だって呼ばれて、いろんな人から石を投げられるようなことになって、王族からも見捨てられるようなことがあったら、どうするつもりだったのよ……」

「……っ」


 気づけば、マウアは顔をラナーの頭に押し付けて泣いていた。温い涙が頭に落ちてくるのを感じる。不快に思うようなこともなく、むしろ心配してくれたことへの感謝の気持ちが溢れ出しそうになっていた。


 もちろん、堰を降ろして伝えたいことを遮断するつもりはなかった。ラナーはただ一言、マウアに伝える。


「ありがとう、マウア……」

「ええ、いいわよ」


 マウアはふふ、と笑うと、より一層ラナーを抱きしめる腕の力を強めた。

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