330話 不意の一報

「ならば、1つ注意してほしいことがあります」


 矢沢は席を立つ前、ジャマルに警告を行う。当のジャマルはぶぜんとした表情を浮かべた。


「何だい?」

「こちらが支払う金額ですが、あまりに多すぎると金貨の価値が急落することが考えられます。そうなれば、この国が足元から揺らぎかねません」

「インフレを警戒しろってことかい。確かに、アモイは物価が高くなってるのは承知の通りだけど、実はお金自体も足りてないんだ。質のいい金貨が入ってくるのなら、それはそれで構わないさ」

「承知しました。それでは、お招きいただき感謝します」


 矢沢は一礼すると、席を立ってその場を後にする。


 身代金は安くしておけ、という脅し文句のつもりだったが、ジャマルはそれを跳ね返してみせた。今以上のインフレが起こっても別にいい、という投げやりな回答で。


  *


「恣意的にインフレを起こさせるなんて、そんなこと許せるわけないじゃない!」

「ああ、そうだろうな。すまなかった」


 矢沢はゲストハウスに戻ってからすぐに、凄まじい剣幕で怒鳴りつけてくるラナーに平謝りするハメになっていた。


 元はと言えば、ささやかな報復にと金の含有量を減らした金貨を出回らせ、アモイを収拾がつかなくなるレベルのインフレに陥れようかと冗談半分で言ったのだが、それがラナーの逆鱗に触れたらしい。


「あたしだってアモイを守りたいの! それを潰すなんて!」

「わかっている。ただの冗談だ」


 矢沢は怒りが収まらないラナーを何とかなだめようとするが、効果はなかったようだ。


 祖国であるアセシオンへ強い恨みを抱えているアメリアとは違い、ラナーは曲がりなりにもこの国を愛している。好きな人々が住む土地だから守りたいとハッキリ宣言しているのだ。


 そのラナーの前で不用意な発言をしたことは、矢沢のミスに他ならない。


 それに、矢沢はラナーが賛成したとしても実行はしないつもりだった。アモイの経済を混乱させてしまえば、まず貧困層が食事にありつけなくなってしまう。例え奴隷解放に成功しても、真の意味で解放された者たちが喜捨用奴隷と同じ末路を迎える可能性は大いにあり得る。


「何か都合が悪いことが起これば、弱者が前に立たされて尻拭いをさせられることになる。さすがにそのようなことはしないさ」

「はぁ、それならいいんだけど」


 ラナーは未だに訝しげな目をしていたが、それ以上の追及はやめてくれた。矢沢は安堵のため息を漏らしながらベッドに座り込んだ。


 すると、愛崎が少し不機嫌そうに眉を吊り上げて入室してくる。


「艦長、大神官からの使者が来ています」

「大神官? わかった。通してくれ」


 夜になってから時間は経っていないが、それでも来客というのは珍しい。特に、大神官は銀と話をしたばかりだというのに。


 やって来たのは、全身に銀白色の甲冑を着込んだ若い男のエルフだった。彼は入室する際にきびきびした動きでラナーに一礼する。


「ラナー様、お久しぶりです」

「セクルくんじゃない。久しぶり」


 使者はどうやらラナーの知己のようで、ラナーは軽く手を振って朗らかな笑顔を向けた。セクルと呼ばれた使者も、表情こそ兜で見えないが口元は笑っている。


 しかし、ラナーとの話は早々に切り上げ、セクルは矢沢に目を向けた。


「あなたが灰色の船の艦長殿と伺っております。大神官様からの忠告を届けに参りました」

「忠告?」

「そうです。猊下はサファギンの襲撃を警戒せよ、と仰っておりました。それに加え、奴隷の容認派による攻撃も危惧されております。最悪の場合、どちらかの勢力に便乗する形で2つの勢力を同時に相手することになりかねない、とも」

「ふむ、そうか……承知した。彼には心より感謝すると伝えておいてくれ」

「承りました」


 セクルは胸に手を当て、軽く一礼してから立ち去ろうとする。あまりにあっさりとしていたように思えるが、矢沢はそんなものかと思いながらも彼を見送る。


 一方、ラナーは何か思うことがあったのか、声をかけて彼を引き留めた。


「セクルくん、聞いておきたいんだけど、そっちはどう思ってるの? あたしがやってること、やっぱりおかしいと思う?」

「……私にはわかりません。それでは」


 セクルは最初こそ答えることを躊躇っていた。ラナーに返した言葉も、言葉面では中立を装っていたものの、声色は彼女を否定するかのような暗いものだった。


「……サファギン?」


 その横では、愛崎が頭に疑問符を浮かべているかのようにキョトンとしていた。何のことだったか、よくわかっていないようにも見える。


 そこに、ラナーが神妙な表情で言及する。


「サファギンは海に住む種族なの。もしかすると、あのドラゴンを倒したことと関係があるんじゃないかなって思ってる」

「海に住むってことは、人魚か何かか。そんなのもいるんだなぁ」

「そう。あのドラゴンと戦った海域の真下には、バルトネウムっていうサファギンの国があるの。そこだと、セグルトム種っていう海竜を崇めてるのよ。そして、あの戦ったドラゴンがセグルトム種。つまり、海神様を倒したあたしたちに敵意を向けるかも、ってこと」

「マジかそれ、艦長!」

「ああ。すぐに連絡を──」


 恐怖に慄く愛崎に応えた矢沢は通信機を取ろうとするが、逆に通信機から着信の呼び出し音が鳴る。このタイミングでは何か都合が悪いことが起こったに違いないと悲観的になりながらも、矢沢は回線を繋ぐ。


「こちら矢沢、どうした」

『かんちょー! やばいですよ、周りを半魚人だか人魚だかよくわかんない連中に包囲されてますっ!!』

「くそ、遅かったか! 今すぐ戻る!」

『は、はいいっ! 今すぐヘリを出しますっ!』


 矢沢は直ちに通信を切り、荷物をまとめ始める。佳代子も涙声になっていたくらいだ、よっぽど事態は深刻に違いない。早く行かねばと自分に言い聞かせながら。

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