322話 否定された人間性

 矢沢とジャマルの会談は次に持ち越しとなったが、まだ言いたいことがある者がいた。

 ラナーはジャマルに厳しい目を向ける。


「お兄ちゃん、あたしに何か言うことはないの?」

「……あれは私の決定じゃない。従うしかなかったんだよ」

「あたしをだますような演技もして、マウアのことまで裏切ろうとしたじゃない! そんな言い訳が立つと思う? 結局、あたしのことは将来子供を産ませるための穴としか考えてなかったんでしょ」

「口を慎めラナー。そんなことは思ってない」

「口を慎め、ですって? 本当のことじゃない!」

「そんなわけないだろう! あれはラナーを守るためだったんだ」

「誰から守ってたの? あたしの記憶を奪って改竄してたパパから守ってくれたの? それどころか、あたしの記憶を改竄してお人形みたいに扱ってたじゃない! 話にならないわ」


 ラナーは机を強く叩いて怒りの形相をジャマルに向けると、席を立ってその場を後にしようとする。


 矢沢がラナーと出会った時は仲のいい兄妹といった雰囲気だったが、今ではそんな時期があったとは微塵も思えないほどに関係が悪化している。


 言い方からして、ラナーはジャマルが自分の記憶を消したことに反抗しなかったばかりか、自分から協力しようとしていたことに激しい怒りを覚えているのだろう。


 それに関してはマウアも似たようなことをしていたが、マウアとジャマルの違いは、少しでも相手のことを尊重しようとしていたか、ということだろうと矢沢は考えていた。


 マウアは対立して矛を交えることもあったが、彼女の言い分も一理あった。矢沢がスパイなのは何も間違っていないし、未知のリスクを冒すよりは現行の制度のままの方がいいに決まっている。その意見を表明し、ぶつけ合ったことで、マウアはラナーと『対等』だった。


 一方でジャマルは違う。だまし討ちのような形でラナーの記憶を奪い、彼女の『言葉』を全て消し去った。そして、何事もなかったかのようにラナーを自分の手中に収めようとさえしていたのだ。


 自己を否定されることがどれだけ辛いことかは、矢沢にも想像が及ばないが、自分自身が作り上げてきた記憶を奪われ、誰かにとって都合のいい記憶を植え付けられる。それはどこからどう見ても、基本的人権さえ無視した人間性の否定に他ならない。それでは、あまりにむごすぎる。


 できるのなら、ラナーをこのまま行かせて1人にしてやりたかったが、今はそうさせられない。矢沢はラナーの腕を掴み、退室を阻止する。


「ネモさん、離して」

「ダメだ。君を1人にはできない。また以前のように記憶を奪われれば、今度は元に戻せるかどうかわからない」

「っ……わかったわよ」


 矢沢に対しても憤慨している様子だったラナーだが、記憶のことを言及すると一転して涙目になり、怯えた表情を浮かべた。後はそのまま着席してもらうだけでよかった。


 詳しく分析しなくともわかる。ラナーは記憶を奪われたことがトラウマになっているらしい。自分を否定されて人形のように扱われれば、そうやって恐怖を抱いてしまうのも仕方ないのだろうが。


「どうやら、ラナーはあなたに対して恐怖感を抱いているようですね。人としてではなく、ただの物品と同じ扱いをされたのです。怒りもひとしおでしょう」

「私はラナーを物品扱いになどしていない。あれはラナーが少しでも大人になればと……」

「自由意思を否応なしに遮断し、自分たちに都合のいい思考をすればいいと。ならば、私もこの場であなたに対し苛烈な洗脳を行い、国ごと我々に従わせるようなことをしても、文句など一切言わない、という認識でよろしいですかな」

「それとこれとは話が別だ。これは家族の問題だぞ」

「家族なら何をしてもいいというのなら、ラナーが我々にあなたの洗脳を依頼すればいいだけです。神器の力はセーランという神の力そのもの、他人の力に等しい」

「……どうやら、あなたとの押し問答は際限がなさそうだ」


 ジャマルは苦笑いしていたが、怒りを抑えているのは言い方でわかる。


 どうせ耳には届かないとはわかってはいるものの、矢沢は言わずにはいられなかった。静かに息を整え、ジャマルの目をじっと見据える。


「ラナーの怒りは、外でロウソクを灯しているという人々のそれと同質のものです。我々も同じ怒りを抱いている。人を人とも思わず、ただの物と同じ扱いを続ける。この怒りは国をも超える。いや、国境や政治の都合などで縛られてはならない」

「常識はどこも同じじゃない。そちらとこちらの常識は違う、ということだ」

「ですが、この世界でも常識は変わりつつあります。それを認めなければ、あなた方は昔の轍を踏むことになる。以前のアモイでは貴族が排除されたようですが、今回排除されるのはどこの家でしょうかな」


 もちろん、これはアモイの統治者が王族しかいないことにかこつけた当てつけに過ぎない。それもジャマルはわかっているのか、ため息をついて立ち上がった。


「そもそも、人というのは最初から平等ではない……配られたカードで、どう勝負をするかが問題なんだよ」

「こちらが扱えるカードは、そちらにとっては不本意な結果ばかり招くものでしょう。できれば、それを使いたくはありません」


 ジャマルは何か別のことを言いかけたが、差し障りのない言葉に置き換えた。それが何だったのかは知る由もないが、矢沢は頷くに留めた。

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