291話 へりくつ

 矢沢に寄りかかり、堰を切ったように泣き始めたマウア。矢沢は肉まんより遥かに大きい彼女の胸に口元を塞がれながらも、どうにか引きはがして離れる。久々に触れた女の感覚にドキリとしながらも、ここで暗殺を企てられていたらシャレにならないと、緊張の糸に支えられた理性が訴えていた。


 支えるものが無くなったマウアは膝をついて崩れ落ちるが、それでも涙は止まらない。


 一方で、ラナーは先ほどまで呆気に取られて口をぱくぱくさせていたが、自分が何を言うべきか気づいたのか、はっきりと力強い目線をマウアに投げかけた。


「ごめん、マウアちゃん。迷惑かけたけど、やっぱり今の状態は納得できない」

「本当にいいのか?」

「くどいよネモさん。もう決めたって言ったでしょ」

「……ああ、そうだったな」


 ラナーの目はどこまでも真っ直ぐだった。何度聞いても同じ答えを返してくる。それだけ、彼女には決意がある、ということだ。


 ラナーはもはやマウアに振り返ることもなく、王城へと歩み続ける。矢沢らを迎えに来た使用人や王族らしき男とすれ違っても、そちらを気にすることはなかった。


 どこまでも自分の信念を貫く、強い女の子。それがラナーという少女なのかもしれない。


  *


 王城には幾つかの会議室があるようで、矢沢らはその中でも海に面した大きな窓を擁する部屋へと案内された。そこからは洋上を行き交う船舶たちがよく見え、あおばの姿も確認できた。


 一般的な会議室と同程度の広さに、木製の長机を中心に据えて向かい合うように2列の椅子が配置されている。


「こちらへどうぞ」

「ええ」


 ヘリの前まで迎えに来た筋肉質の巨漢エルフ、メロー・アミドが体格に似合わない優しげな口調で着席を促してくる。周囲への警戒のために環と大宮、愛崎は立ったままだったが、矢沢とラナーはそのまま着席する。


 メローはオールバックにした長髪を少しばかり整えると、同じく席について矢沢と向かい合った。脇には幾つかの書類も用意されていて、相手方の交渉の用意が十分にできていることを暗に物語る。


 一佐ともなれば、外国との交流の機会も何度かあるが、外交交渉というのはやはり雰囲気が全然違う。軍との交流ではよくある和気あいあいとした空気は全く存在せず、ただ張り詰めた空気だけが会議室を支配していた。


 そんな中、メローは細いながらもくっきりとした眉をほんの少し下げ、最初の言葉を口にした。


「我々はあなた方の活動に深く憂慮しています。領域の侵犯のみならず、世論工作を目論もうとしていたこと、喜捨用奴隷の拉致。そして、主要基地への襲撃はどれも目に余ります」

「それに関しては全く申し訳ない。ですが、我々の仲間を救うためには必要なことです。特に、あなた方が喜捨用奴隷と呼ぶ拉致被害者の救出には一刻の猶予もありませんでしたので」

「彼らは教会と政府の管轄です。彼らは管理されている」

「とてもそうには見えません。スラムでは市民になぶられ、しまいに餓死した邦人少女の遺体も発見されています。これ以上、彼女のような犠牲者を増やしてはならないのです」


 最初から相手方への非難の応酬。わかっていたこととはいえ、最初はこうなるのは仕方ない。


 ここからどうやって望む結果を得るか。それが外交交渉というものだ。最終目的はアモイに存在する邦人の全員帰還だが、それを妥協させられる可能性もある。


「その少女についてはお悔やみを申し上げます。ですが、それとこれとは話が別。好き勝手をされた以上、その代償は払っていただかなくては」

「代償とは?」

「灰色の船の技術情報の提供、もしくは、戦争への協力です」


 メローは一切言いよどむこともなく、はっきりとそう言った。技術か戦力をよこせと。


 だが、そんなことができるはずもない。技術情報の開示は意図的な情報流出という重罪であり、他国の侵略戦争の手助けなど、邦人の救助にも結び付かず何の正義もない。


「どちらもできかねます。技術情報は全て日本国の同盟国である米国との安全保障にかかわる条約や技術移転にかかわる取り決めの効力があり、決して第三者への開示は許されません。戦争協力に関しては、我々が行っていた自衛権の行使や邦人保護任務の範囲には当たらず、私の権限を完全に超えます」

「では、本国に取り次いでもらいたい。これは国家間問題です」

「今はできません。そもそも本国に戻る手立てがありませんので」


 矢沢は顔色を変えることなく、練習してきたセリフを繰り返す。矢沢の手に余る問題ならば越権行為であることを理由に拒否できる。それを繰り返していけば、現実的な落としどころは見えてくるはずだ。


 本国との交渉はできない。それはメローの頭を悩ませるには十分だったようだ。彼はうーむ、と唸ると、腕を組んで難しい顔をする。


 矢沢はそこでもう一押しをすることにした。


「過去に大きな齟齬があったことは不幸ですが、今は話し合いの場を設けて互いに意思疎通を図れています。ならば、相互協力を目指すべきです。一介の自衛隊員である私ができることはたかが知れていますが、それでも協力できる場面はあるはずです」

「私は王から、あなた方に過去の清算をさせるよう仰せつかっています。その話はまだ早い」

「謝罪、という形ではいけませんか」

「基地や奴隷の損害を謝罪で済ませろと?」

「我々は邦人救助の任務を遂行しているまでです。我々の世界での国際条約によれば、この惑星全体はどの国の管轄権も及ばない公海であり、我々の自衛権行使も自由に行えます。それに、出どころに問題がある『奴隷』を売ったのはアセシオンのはずです。我々が過去の件に関して取れる選択肢は謝罪しかありません」

「いえ、まだあります。相互協力をすべきだと仰っていましたが、それであなた方が行うことを過去の清算としたい」

「では、協力の内容を履行するのであれば、我々は邦人の奪還を続けてよいということでしょうか。謝罪しなくてよいということは、それは過ちではなく任務だと認めることになりますし、それを続ける一方で協力内容も拡大していけば、今後の活動も許されるということです」

「な……!」


 矢沢のあからさまな屁理屈に、メローの顔も歪む。


 最後の方は挑発に近いが、それでもこれは敵との交渉だ。少しでも理屈が通る可能性があるのなら、それを言い続ける必要がある。


 決して交渉はなれ合いではない。互いに利益を求めるための場所だ。こちら側に出せるものがほとんどないとすれば、その「ほとんどない」の中でもあるものを出せるように話し合いを続けること。それが今求められるものだった。

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