285話 落とし前

 矢沢とラナーの救出は成功したが、それで全てが解決したわけではない。

 アモイには未だに1000名近くの邦人が拉致されている上、国内への潜入によって彼らの印象は悪くなっただろう。こうなってしまっては、解決への道のりが遠のくばかりだ。


 矢沢は艦長室に状況判断を行った佳代子と作戦立案の責任者である波照間を呼び出し、今回のダーリャ基地襲撃について意見を聞いていた。


「私を助けたことは心から感謝している。だが、最初から私の身柄確保を行ったのはなぜか、それを聞きたい」

「それは……かんちょーが連れ去られたらまずいと思ったんですよう。そのまま交渉するとしても、わたしたちが譲歩させられるのは目に見えてますっ」

「私も同意見です。工作が失敗した以上、手札をイーブンに戻すべきだと考えました」

「手札をイーブンに、か……」


 矢沢は机に腕を置いてくつろぐ姿勢を取ると、小さくため息をつく。


 まず、アモイに工作部隊を送ったのは交渉の下地とするためだった。結果的にそれは敵対行為とみなされ、アモイからの不興を買った。まさに失態もいいところだ。


「順序が逆だったのだろうな。あまりに拉致被害者を救出する、という思考に囚われ、国際関係で最も重要なことを忘れてしまっていたようだ」

「……そうかも、しれませんね」


 矢沢の後悔に満ちた言葉に、波照間も思いつめた表情で同意する。


 結局のところ、アモイには何の落ち度もない。確かに他国や他種族への扱いは極めて非人道的で、奴隷は人とも思わないおぞましい国家だが、それでも彼らは『自分たちが決めたルール』に従っているだけに過ぎない。それを悪と断罪するのと、拉致被害者を助け出すのは全くの別問題だ。


 自衛隊は正義のヒーローではなく、政治家でもない。


 文民統制を受け、国の命令を受けて動く実力組織という前提条件が崩れ去った今、矢沢に必要なのは『政治家』『外交官』としての能力に他ならない。


「我々は日本を代表する存在ではないと思っていたが、そうではない。我々は日本政府の組織であり、私は日本の関係者全てに責任を持つ日本の代表者だ。自衛隊の基本原則だからと、国民の救助ばかりを考えているのは間違いだった。重要なのは、いかに拉致問題を解決するか、ということだ。日本政府の北朝鮮による拉致問題の対応と何ら変わることはない。私は政治家としての立場も要求されている」


 矢沢は2人の目を見ながら、そして自分に言い聞かせるように言葉を続けた。


 上位組織が存在しない今、護衛艦あおばの行動は『日本そのものの意思』として受け取られることになる。そうなれば、おいそれと武力の行使や工作活動を行い、敵対国を増やすリスクを高めてはならないのだ。


 まずは交渉。これが全ての原則だ。


「今更遅いかもしれないが、私たちには外交官にならなければならないのかもしれない。自衛隊としての思考を捨て、まずは相手の面と向かって交渉を行うべきだ」

「あはは……同じミスの繰り返しですね」


 矢沢が出した結論に、佳代子も苦笑いをするばかりだった。


 以前はむやみに実力行使を行ったことで相手の不興を買ったが、今回は交渉を行うためと称して敵に浸透作戦を行った。それがバレて敵対関係に陥ったのは結果論でしかないが、それでも「手段としては間違っていた」という結論に至るのは変わりない。


 まずは相手の顔を見て話をし、それで否定的な反応が来るのであれば表と裏から交渉を行う。それを鉄則とすべきだ。


 矢沢の結論はそれに帰結する。そうでないと意味がない。


「私はアモイの政府と交渉を行うために、ダーリャへ戻ることにする」

「ふぇ、大丈夫なんですかぁ!? だって、こないだまで捕まってたのに……」

「今は違う。それで捕まえるようなことがあれば、それは明確な敵対行動ということになる。その場合は全面対決も厭わない」

「うわぁ……思い切ってますね」

「誠意と覚悟を示すにはそれしかなかろう。我々がすべきは対決ではなく対話だ」


 佳代子は目を見開いて驚くばかりだったが、矢沢はただ当然のように言う。


 どこかで聞いたことのある台詞だが、基本に立ち返るにはそうするしかない。そうするべきなのだと矢沢は自分に言い聞かせる。


 それなら、と波照間が口を挟む。


「相手の出方を伺うために、様々な局面を考慮して作戦を立案する必要があります。艦長さん、まずは幹部会議を開きましょう」

「無論そうするつもりだ。その後の作戦立案は君に任せたい」

「はい、承知しました」


 波照間は顔色一つ変えず小さく頷く。日本の裏の実働を担当してきた波照間らしい反応で、矢沢は心底安心していた。


 次に、矢沢は佳代子だけに目を向ける。


「君は私と共に外交のお勉強だ。私たちは護衛艦の幹部という立場だけでは済まされない。日本の代表者として、この世界でどう動くかが問われることになる」

「は、はいっ! わたしも役に立ちますっ!」

「いい返事だ」


 佳代子は表情硬く仰々しい敬礼をするが、それは彼女が自分を律し、緊張していることの表れだ。決してふざけているわけではない。


 ならば、と矢沢は机に広げたダリア製の地図を眺める。

 現在のアモイ勢力圏一帯が描かれた地図には、あおばの位置を示す船の模型が置かれている。


 首都まではそう遠くない。この一件に関係する誰もが今まで犯してきた全ての過ち、その落とし前をつけるために、矢沢はやるべきことを既に見据えていた。

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