177話 お風呂は要注意

 午後から始まったサリヴァン伯爵との会談は、言ってしまえば外見的には失敗、本来の目的で言えば成功に近いものだった。

 矢沢は皇帝とダリア領の交換を持ちかけたが、皇帝を追い出した張本人であるサリヴァンが応じるはずもなかった。


 それからは短い意見交換を終え、昼過ぎには解放された。


 全くもって実りのない会談だった。相手は一切の要求を拒否するどころか、こちらに賠償金を払えと何度も迫ってくる。しまいには怒り狂ったロッタが抜刀しかける場面さえあった。


 この会談は向こうがセッティングしたはずだが、明らかに対話を拒否する姿勢を持っている。そのやり口は皇帝とほとんど違いはなかった。あれはこちらから要求したとはいえ、招待されたのはこちらだった。


 だとすれば、考えられる展開は1つ。矢沢は警戒を怠らないことに決めていた。


  *


 ローカー侯爵の計らいで、矢沢らには城の風呂を貸してもらえることになった。風呂には毎日入ることが日本では当たり前だと説明すると、最低限の礼儀として貸与すると言ってくれたのだ。さすがに皇帝の湯船は禁止されたが、従者用の風呂でも日本の銭湯よりは設備が整っており、石鹸やシャンプーも完備されている。

 配慮が行き届いているのはさすがだ。どうやら衛生面の改善もヤニングスの提案らしく、中世や近世のヨーロッパでは考えられないほどに衛生が気遣われている。


 アメリアとロッタも風呂には満足していたようで、風呂の順番を待っていた矢沢に手を振ってくる。


「もう大丈夫ですよ!」

「さすがは先進国の城だ。あの船の設備にも負けず劣らない」


 どうやら風呂には大満足だったようだ。特に風呂の制限が厳しいあおばで暮らしているアメリアは、久々の入浴で身も心も洗われたらしい。普段は見せないような蕩けた笑顔を見せている。


「それはよかった。では、佐藤と愛崎も呼んでこよう。アメリア、私と来てくれ」

「はい、了解です!」


 アメリアは満面の笑みを浮かべながら矢沢の後をついてくる。

 風呂は混浴だったために、男女で時間をずらして入浴することに決めていた。矢沢は風呂場の護衛兼連絡役として風呂場の前に残っており、何かあった場合には風呂場に駆け込んで3人の護衛をすると共に、3人の魔法による援護を受けることになっていた。


 そして、次は女子3名が丸腰になる矢沢らの護衛をすることになっている。ロッタはフロランスと風呂場に残り、誰かが侵入して罠を張らないよう警戒している。


 前回の皇帝による攻撃は、矢沢に強いトラウマを残していた。外交に対するスタンスが、明らかに地球とは違うことを思い知らされたのだ。


 だからこそ、こうして厳重に警戒を行っている。石橋を叩いて渡るような慎重さが、この場面では求められている。


 アメリアもわかっているはずだが、さっきから警戒の「け」の字もなく、ただ浮かれているようにしか見えなかった。


「アメリア、頼むから注意を怠らないでくれ」

「いいじゃないですか。儀礼とはいえ、いいお部屋やお風呂まで貸してくれたんですから」

「サリヴァンはそうではなかった。奴は我々を敵として見ている」

「……それは、そうですね」


 アメリアも考え直したのか、頬を叩いて真面目な表情に戻す。まだ戦士としての矜持は持ち合わせていないが、それ以前に年頃の少女だ。それくらいは許してやろう。

 そう思っていた矢先、アメリアは眉根を寄せて神妙な顔つきになり、腰を落として戦闘態勢を取る。


「っ、やや強めの魔力です。まーくん!」

「だから銀だって言ってるでしょ!」


 まーくん、もとい銀が姿を現すと、2人はそれぞれ両手に光の剣を召喚した。すぐにでも戦える準備を取り、廊下のあちこちに目をやる。


 矢沢も9mmけん銃をレッグホルスターから抜くと、安全装置を外してトリガーに指をかける。何がどこから来るかわからない以上、トリガーディシプリンなど守る意味はない。


「アメリア、銀、どこから来るかわかるか」

「待ってください……はい、わかりました! 風呂場の方です!」

「いえ、アタシたちの部屋からもよ!」

「く……やはり謀られたか」


 矢沢は怒りをこらえきれず歯噛みする。やはり敵対者が考えることは一緒か。

 敵はローカーかサリヴァンか。どちらにしろ、アセシオンとはもう対話にはならない。矢沢は2人に叫んだ。


「まずはフロランスを救助する! 彼女は最重要護衛対象だ!」

「「了解!!」」


 アメリアと銀が同時に返答すると、踵を返して風呂場へと戻っていく。

 強大な力を持つ巫女の力。今回の狙いはそれか?

 矢沢は廊下を駆け抜けながら、通信機を取り郊外で待機しているヴァイパー3へと連絡を取る。


「こちらマルヒト、ヴァイパー3応答せよ」

『こちらヴァイパー3、問題発生ですか? 送れ』

「敵襲があった。援護を願う。送れ」

『了解。直ちに出撃します』


 三沢は事務的に返すと、すぐに通信を切った。対応が早いのは助かる。

 敵は確実にこちらを潰すつもりだ。絶対に阻止しなければならない。矢沢はただフロランスの身を案じて風呂場への通路を駆けていった。

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