番外編 ダイヤとロード その1

 療養中の間、矢沢はフランドル騎士団や上陸班がもたらす情報を分析しつつ、地球の情報もできる限り分析し、帰還後の状況を推測しようとしていた。


 帰還に成功したとしても、どこに出てくるかわからない。それこそ戦闘海域に放り出されることがあれば、せっかく地球に戻ったのに誰かから攻撃され全滅、という笑えない冗談もあり得る。

 だからこそ、状況分析は重要だ。向こうでは大きなイベントを経て状況が変わっているかもしれないが、それでも推測は重要だ。


「ふぅ……休憩するか」


 矢沢は書類整理を終えると、艦長室のソファに寝転がり仮眠を取り始める。


  *


 2025年の初秋現在、地球では新たな時代の局面を迎えつつあった。


 20世紀初頭は第1次世界大戦を経て、日本という新大国の隆盛と、旧来の支配者たる西ヨーロッパ諸国の没落が起こった。これらは後に続く第2次世界大戦の布石と言ってもいいイベントだった。まさに20世紀という激動の時代の幕開けにふさわしい時期だ。


 続く20世紀中頃、ヴェルサイユ体制下の各国は警戒を続け、そして米国の失策により世界は『持てる国』と『持たざる国』に分けられた。

 何を持っているか。そんなものは海藻でも理解できる。石油や鉄鋼などの戦略物資と、作った商品を売り捌く経済圏だ。持たざる国は経済的に困窮し、それらを求めて他国へ侵攻した。それが第2次世界大戦だ。


 当然ながら、大戦は持たざる国こと枢軸国が敗北した。第一次ニューディール政策が失敗した米国は戦争特需で経済を回復するどころか大きく伸長させ、米大陸の莫大な資源に裏打ちされた圧倒的な戦力で枢軸同盟を蹴散らし、同じく無限の信用を背景にした膨大な資金で連合国を支援した。その一方で破産しかけた話もあったが、日本の降伏によってそれは回避された形になる。

 その結果、連合国はファシストを倒して勝利し、核兵器という金の卵を得た世界は戦後レジームという体制下で新たな時代を歩み始めた。


 しかし、戦後レジームは平和などではなかった。フランス革命で古い王族を倒した国民の力は、第2次世界大戦で独裁者を倒したが、新たに共産主義という人権の敵と対峙することになった。ファシストを倒すため英米らとくつわを並べたソ連は、世界の本当の敵だったのだ。


 最初からそれをわかっていたのか、ただ敵を作っただけだったのかは伺い知れないが、その共産主義に戦いを挑んだドイツは連合国に滅ぼされた。米国は戦争末期に気づいたが、時既に遅し。ソ連は膨大な数に上る青年の命と引き換えに、まんまと金や技術、領土を我が物とし、版図を広げて第2次世界大戦で最大の利益享受国となった。


 冷戦が始まり、世界は東西に分断された。西側こと民主主義国家、そして東側こと社会主義国家だ。

 ただ、度重なる衛星国同士の衝突という代理戦争を何度も経ると、経済状況が悪化したソ連の崩壊という結果で冷戦は幕を閉じた。


 そこからは第3世界やテロリストが複雑に絡み合う非正規戦の時代になるかと思われた。2001年のニューヨークにおける旧世界貿易センタービルへの旅客機突入はそれを象徴すると誰もが思っていた。


 しかし、テロリストはただの新勢力に過ぎなかった。次なる本当の敵は、冷戦期からずっと牙を研いできた中国だったからだ。

 中国は軍拡を進め、ロシアを超える軍事力を手にしつつある。ソ連が戦争で手に入れた版図を、中国は金と既成事実で手に入れようとしている。日本はその中国という『赤い帝国』と対峙しているのだ。


 護衛艦あおばは東京を狙う北朝鮮の中距離弾道ミサイルに対応するだけでなく、日米艦隊の艦隊防空や東京を狙う中国の弾道ミサイルの迎撃も担う。だからこそ、単独での警戒任務だけでなく、艦隊行動も可能な普通のイージス艦として建造されているのだ。


 とはいえ、今のあおばはまだ完全な状態ではない。乗員の錬成が済んでいないからだ。弾道ミサイルの警戒や迎撃訓練は行ったが、多国間での艦隊行動や戦闘はまだ未経験。その錬成も兼ねて、あおばは日米豪印の合同演習に参加する予定だったのだ。


 そのはずが、今や拉致された邦人を救うために現地住民や反政府組織と結託し、拉致した国との交渉に臨んでいる。

 中国との脅威はどこへやら。あおばの敵は、剣を持ち、魔法を使う異世界の人間や、ドラゴンやエルフのような、未知の存在たちだ。


「……はは、変な話だ」


 矢沢は小さく息をいた。


 まるでゲームの世界に現実逃避しているかのような話だ。

 自衛隊が敵と勇猛果敢に戦い、正義を成す、ヒロイックな戦争もの。自国軍隊が活躍する話は他国では普通だが、日本ではあまり歓迎されない癖に、一部の右翼やミリオタと呼ばれる人種が好んで見るコアなパトリオティズム・ストーリーだ。


 ソ連の主敵は米国と欧州であり、彼らは中南米や欧州でスパイ活動を行って積極的に社会主義国を増やした。一時的にはNATOを踏み潰せる戦力を保持していたが、財政難は誤魔化しきれず根比べは信用に勝るNATOが勝利した。


 日本はソ連に対応こそすれ、主敵と思われていなかったせいか極めて楽観的だった。各国や自衛隊が常に準戦時状態だったのに対し、日本政府はまるで周囲には敵がいないかのように自衛隊の予算を小さく編成し、最低限の防衛力しか備えなかった。

 冷戦崩壊後は、その最低限の防衛力さえ削られ、もはやまともな戦闘力は期待できなかった。そんな中で中国の脅威が爆発的に増大し、ロシアも戦力を復活させつつある。今更ながら自衛隊を増強してはいるが、防衛予算は未だに敵なんていませんよと言いたげな最低限の額しか配分されない。


 中国の主敵は米国だが、日本という島国が海へ出るのを邪魔している。しかし、彼らにとって都合がいいのは、日本が地域大国として東南アジアや南アジアにミリタリープレゼンスをほとんど発揮していないことだ。専守防衛の名の下に、政治交渉の裏打ちとなる攻撃的な軍事力を展開しないことで、日本は中国の跋扈を許している。

 彼らは確実に日本の排除か併合を狙っている。そうしなければ、核心的利益をもたらす太平洋は米国が抑えたままだからだ。

 アジアから米国のプレゼンスを排除して中国の支配権を得るには、どうしても日本とインドが邪魔だ。だからこそ日本は米豪印と手を組み、QUADと名乗って関係を強化しているが、肝心の軍事力と影響力に乏しければ抑止効果は大きく減衰する。


 歪な政治、歪な国、その根源たる国民の無関心。現実はあまりに厳しい。


「ヤザワさん、大丈夫ですか?」


 静かな部屋に突然響いた少女の声。うとうとしていた矢沢は驚き、ハッと目を覚ました。

 声の正体はアメリアだった。不安げな瞳が矢沢の顔を覗き込んでいた。


「アメリア……どうしてここに。ノックはしたのか?」

「何度呼んでも出てこないし、鍵も開いていたので何事かと思って入ったんです」

「ああ、そうだったのか。すまない」


 矢沢はソファから起き上がると、体をほぐすため腕を大きく上げて伸びをした。体が硬くなっているのか、少しばかり疲れが来る。


 先程まで情報分析に注力していたせいか、脳がフリーになっても政治のことを考えてしまっていた。いや、フリーになったからこそ、愚痴にも似た考えが次々に出てきたのだろう。


 政治は劇薬だ。簡単に敵を作るし、過激な思考に陥りやすくなる。

 自衛隊員として、なおかつ1つのコミュニティを守る責任者として、徹底して現実主義と合理主義を貫く必要がある。それを改めて決意し、矢沢は息を整えた。

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