143話 待ち受けるもの

「出ろ」


 自衛隊員に呼ばれたシュルツは、言われるがままに居房を出た。


 遂にこの日が来たか、と考えながら通路を歩き、あおばの飛行甲板に連れ出された。

 エンジンを稼働させるヘリの前にいたのは、他でもない矢沢圭一だった。


「おめでとう、君はベルリオーズ伯へと引き渡される」

「な……?」


 シュルツはどういうことかと聞き返したが、彼は二度も同じことは言わなかった。


  *


 彼の反応は予想の範疇だった。

 ヘリ甲板でベルリオーズに引き渡すと言った時のシュルツは、しばらく開いた口を塞ごうとはしなかった。

 それもそうだろう、今まではフランドル騎士団に引き渡されると散々言っていたのだから。


 SH-60Kはエイトランドの郊外、ベルリオーズとの合流地点に向けて飛行している。シュルツと奴隷化された被害者のリストを交換するために。

 もちろん、今回の作戦行動にアメリアは外してある。シュルツと共にいることを、アメリアは拒むだろうとわかっていたからだ。


 シュルツは矢沢が強引に矯正させたせいで、アメリアとの関係は破壊されたままだ。そして、もう二度と元に戻ることはないだろう。

 それを彼自身も悟っているのか、シュルツは顔も見ずに矢沢へ声をかける。


「……アメリアは元気にしているか?」

「ああ、大丈夫だ」

「それならいい」


 落ち着いてきたのか、先ほどのような驚愕の表情を作ることもない。ただどこかに移送される囚人のように、手を胸の前で組み合わせて俯いていた。

 それ以上話すことはない。矢沢は彼と隣り合っている右脚のホルスターに納められた9mmけん銃を奪われないよう気にしながらも、眼下に広がるアルルの大森林をぼんやりと眺めていた。


 そこに、再びシュルツから声をかけられる。


「ベルリオーズ様が引き取ってくれると言っていたな。まさか、取引でもしたのか?」

「連行された邦人のリストが交換条件だ。行方がわからない者がまだ3000名近くいる。全て探し出して保護する」

「あんたたち、本当にその人たちのことを大事に思ってるんだな。その、ニホンとかいう国ってのは、仲間意識が強いもんなのか?」


 シュルツは他意など全くない、純粋に興味で矢沢に問いかけていた。声色からもそれがわかる。皮肉を言うような口調ではなく、口をついて出たような軽さだった。


「我々自衛隊は国民の生命と財産を守る部隊だ。地震や津波が起きれば助けに行き、外国から攻撃があれば迎撃する。日本では当たり前のことだ」

「当たり前、か……こっちの当たり前とはずいぶんと違う」


 シュルツは鼻で笑った。何がおかしかったのか知らないが、彼は続ける。


「領主軍や近衛騎士団は、それぞれの領地や皇帝のために戦う。補給がヤバければ領内の村からでも略奪を行う。そういうことはしないのか?」

「国民に被害を与えるなど言語道断だ。この世界では進軍には略奪が付き物なのだろうが、私がいた世界では車両や航空機、艦艇など全てのアセットが部隊を支援する。その部隊も含めて、全てが国民のために戦う盾となる」

「なるほどな……」


 シュルツはそれだけ呟くように言うと、再び沈黙を守った。

 彼とはこれ以上話すこともない。ただ、奴隷商売も少女買春も行わないように祈るだけだ。


 もちろん、それが保証されるわけではない。ベルリオーズがシュルツの返還を求めたのは、彼に奴隷商人としての高い価値を見出しているからに違いない。ベルリオーズに強要されれば、再び奴隷商人として邦人の身柄を売り捌いてもおかしくはないのだ。


 それをやめさせるための行動は止めるわけにはいかない。今もどこかで、日本人が望まない労働や搾取を受けているはずだからだ。


 機内には再び沈黙が戻った。同行している愛崎や佐藤、お喋りの大宮さえも神妙に口を閉じ、重々しい雰囲気がヘリのキャビンを満たしていた。


  *


『予定地点に障害物無し。着陸します』


 パイロットである萩本の一言がインカムから聞こえたと思うと、ヘリが地面へと降下を開始した。


 エイトランドの郊外は広い牧草地となっており、土壌が柔らかいために車輪式ヘリが着陸するには不向きな土地ではあるが、萩本はここに着陸を強行した。

 幸いにもタイヤが地面に埋まることはなく、SH-60Kは牧草地に着陸してエンジンを止めた。


「お待ちしておりました」

「お出迎えに感謝します」


 待ち受けていたベルリオーズの一礼に矢沢も応える。それに続き、佐藤らもベルリオーズに一礼した。


 ベルリオーズの背後には3名の兵士がいて、そのまた後ろにはクリーム色の天幕が張られており、野戦司令部のような様相を呈していた。

 それに加え、驚くべき人物までもが矢沢らを出迎えていた。


「お久しぶりです」

「あなたですか……帝都以来ですね。アリサも元気そうで何よりだ」

「ええ、色々大変だったけどね」


 アリサは隣の大男を差し置いて矢沢に握手を求める。矢沢は軽く応えたが、気になっているのはアリサのことではない。


「ヤニングス騎士団長、あなたが同席するとは聞き及んでいませんが」

「ベルリオーズ伯とは旧来の友人ですので。それに加え、積もる話もあります」

「わかりました」


 ヤニングスは顔色一つ変えず、矢沢を天幕まで案内した。佐藤らやシュルツもそれに続く。


 この局面でヤニングスが出てくるということは、少なくとも相手はここが正念場だと考えているに違いない。

 何としても制するほかない。さもなくば、損をするのはこちらの方だ。

 損をするということは、それだけ多くの邦人たちを苦しみから解放させられないということでもある。


 陽光で照らされ、明るい光が差し込む天幕に入る。そこはもう戦場だった。

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