133話 引き際
「まだ追い付けんのか!?」
「相手方は何らかの方法で風を受けず高速を発揮する手段を持っています。こちらも30ノット前後の魔力推進船は存在しますが、そもそも沿岸警備用の3人乗りボートですので攻撃には向かないかと」
「くそが……!」
ザップランドは青筋を立てて机に拳を叩きつけた。ヤニングスが集めた情報を与えた結果がこれだ。
グリフォン隊が壊滅したと聞いたのが約1時間前。半数以上の損害は部隊の壊滅を意味し、再編を余儀なくされる。
だが、反復攻撃を行うほどの余力もない。報告にあった空飛ぶ天馬の攻撃はもとより、フランドル騎士団の執拗な補給線への妨害活動で物資の流れが滞っていたからだ。
計画ではグリフォンの攻撃と同時に艦艇での包囲も行うつもりだったが、フランドル騎士団の偵察を察知したことでベイナの艦隊を東に移動させており、包囲網に穴が開いてしまっていたのだ。そこを敵が通過したことで取り逃がし、速力差で追いつけずにいる。
「なぜだ、奴らはサザーランドを引っ張っているのだぞ!」
「アリサの調査では、サザーランドを牽引している客船は理論上で10万トン前後の総重量を持ち、最高で22ノット程度の速力を誇ります。客を降ろしたことで軽くなっているのなら、サザーランドを曳航しても18ノットは出るかと」
「それでは追い付けんではないか……」
「ですから高速艦を中心とした小規模の打撃艦隊を編成すべきだと提案していました。それを蹴ってひたすら戦力を不用意に集めたのはあなたです」
頭を抱え半ば恐慌状態に陥ったザップランドに、ヤニングスはただ呆れるばかりだった。
基本的にザップランドは戦術や行動レベルでしか物事を見ない。その上の作戦レベルや戦略レベルでの行動はほとんど取らないのが彼の無能たるゆえんなのだ。
こちらが情報を流したことで、相手は何らかの妨害手段に打って出ることは明白だった。さすがに直接攻撃でそれなりの出血を強いられたことは、敵の戦力想定や行動からは予想していなかったが。
その後は思考を修正し、積極的に拠点攻撃をすると想定して陸軍部には物資集積地を分散させたが、海軍部はザップランドの指示で自らの作戦を潰してしまう愚を犯した。
しかし、ザップランド自身はそれを認めようとはしない。
「攻撃力の低い高速艦だけで敵を倒せると思っているのか? 奴らを倒すには流星が必要なのだ!」
「確かに高速艦の積載余力では流星部隊を多く乗せることはできません。しかし、圧を与えることはできます。敵は水平線の向こうから攻撃する能力を持ちます。戦場に到達できなければ、こちらがタコ殴りに──」
「それ以上言うと首を刎ねるぞ」
ヤニングスは口を閉ざさざるを得なかった。ザップランドが魔法で作り出した炎のナイフを首筋に近づけてきたからだ。あまりに突然のことで、司令部に詰めていた幕僚たちも驚いてザップランドに目をやっていた。
もちろん、この低級魔法で首を切られた程度で死ぬことはない。ヤニングスには強力な魔法防壁の守りがある。それでも止めるのは、首を刎ねるという表現が直接的なそれではないからだ。
「……失礼しました」
「それでいい。次の作戦はあるか?」
「どうやら、敵は損傷を負った状態であることに間違いはなさそうです。ただし、戦闘能力に影響があるとは言い切れません。航続距離等も不明ですので、撤退を進言します」
「負けを認めろ、というのか?」
「戦は勝つものではありません。負けないためにするのです」
ヤニングスは静かに言い切る。
これまでアセシオンは神の秘宝や強大な軍事力を背景に、熾烈な侵略戦争を続けていた。それ故に、アセシオンの軍部は戦争の『役割』を見失ってしまっていたのだ。
「戦争はあくまで外交手段です。今すぐに対話の用意を、とは言いませんが、ここは撤退して態勢を立て直し、航路や街道の封鎖を避けるために軍を拠点防衛と補給路確保に特化させましょう。物資集積所は地下に構築すれば、例の飛翔する槍を避けられるはずです」
「陛下の命令は奴らの駆逐だ。ダリアの巫女がいる限り、奴らの物資は無尽蔵だぞ」
「残念ですが、例え彼らを駆逐できたとしても、ジンが国家の存続と陛下の命を脅かします。知っての通り、彼らに対抗するなど自殺行為です。我々は灰色の船を排除できませんが、逆を言えば彼らも我々を倒せない。軍を再編し、対等な講和に持ち込むのです」
ヤニングスが考え得る最良のシナリオは、どう考えても講和と奴隷廃止しかなかった。
前門の虎、後門の狼。この国にはもう逃げ道がない。
だが、ザップランドは予想通り頭に血を昇らせ、怒りの形相をヤニングスに向けた。
「それは我々が海賊ごときに屈したことを意味する! それはあってはならん!」
「ですが、実行しなければジンに逆らって滅ぼされた哀れな国家だと歴史に記録されるのです。名誉は後から挽回できますが、滅びてしまえば汚名返上はできません。ここで艦隊を失えば、物資や奴隷の運搬さえできなくなります」
「く……」
さすがのザップランドも、その現実を突きつけられて押し黙ってしまった。
包囲に失敗し、離脱された後は先のハイノール島沖海戦のような各個撃破の未来が待っている。だからこそザップランドはヤニングスに意見を求めたのだ。
「……わかった。各艦に撤退命令を出せ。作戦中止」
「了解。全艦隊へ次ぐ、作戦中──っ!?」
撤退をヤニングスを告げようとしたところ、ヤニングスの表情が途端に青ざめてしまう。
「どうした?」
ザップランドが問いかけると、ヤニングスは彼の方を見ずに呟く。
「……サリヴァン伯爵と近衛騎士団の艦隊が攻撃を受けています。伯爵の旗艦セルヴァル、そして我が艦隊のエクセラバードが炎上中。おそらく放棄されるでしょう」
「なんだと!? まだ連中とは会敵していなかったはずだ」
「先のパラメトル基地攻撃に加え、グリフォンの空襲でもわかっていたことですが、敵の位置を把握すればどこにでも攻撃を加えることができるようです。ここまで攻撃的な彼らは初めてです。今回の作戦は、彼らを怒らせただけだったのかもしれません」
「奴らめ……! クソが!」
ザップランドはやり場のない怒りを脚に込め、自らの机にぶつけた。破壊された机は部屋の隅に転がり、幕僚たちの目を引くばかりだった。
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