103話 ベルリオーズ伯の危惧
3時間程度に渡る枢密院会議が終了し、後の作戦立案や人事再編などは近衛騎士団と領主軍に任されることとなった。
今日の会議は終了したが、ベルリオーズ伯にはラフィーネにある自身の別荘へ帰る前に話をしておくべき人物がいた。
その人物に声をかけると、彼はすぐに振り返って一礼する。
「伯爵殿」
「ヴァン、その呼び方はやめてくれ。同じ釜の飯を食った仲だろう」
「はは、そうですね」
ヤニングスはベルリオーズの目を見ると、感慨深げに笑みを漏らした。
ヤニングスとベルリオーズはかつて近衛騎士団の騎士養成学校に同期で入学し、研鑽を積んだ仲間だった。ベルリオーズは兄が死亡したことで家督を継ぐことになり、伯爵の称号と領地を引き継ぐ代わりに養成学校を中退した経歴を持つ。
「ところで、話とは何ですか?」
「そのことだが、2人だけで話をしたい。いい場所はないか?」
「行きつけの高級レストランがあります。そこならば個室もあるのでゆっくり食事もできるでしょう」
「わかった、そうしよう」
ベルリオーズが頷くと、ヤニングスはかつての学友を連れて城下町へと消えていった。
*
ラフィーネの中央大通りから大きく外れた、庶民たちが集まる中規模な通りの近くに料理店『サルバシオン』はあった。
一般的に存在する居酒屋とは違い、この店は近衛騎士団における平民出身の騎士たちが食事を摂る場所として、元騎士団の平民騎士が創業したと言われている。騎士の称号が近衛騎士団の所属兵士を指すようになって久しいが、このレストランも同程度の歴史を持っている。
「ここです」
ヤニングスは薄桃色のレンガを組み上げた3階建ての建物を紹介すると、木製のドアを開けて中へと入っていく。扉には『準備中』と書かれていたが。
「あらいらっしゃい、あんた1人かい?」
「いえ、今日は連れも一緒です」
ヤニングスの姿を見るなり、灰色エプロンのおばさんが声をかける。ベルリオーズにとっては聞き慣れない声だが、ヤニングスは完全に顔なじみとなっているらしい。
「ははーん、ライザちゃんかい?」
「いえ、かつての学友です」
「おやおや、珍しいこともあるもんだ」
おばさんは強いくせ毛の黒髪を揺らしながら、ヤニングスの後に入店した男の顔を見る。
「おっとこれは……クリーフォークのところの。ご来店ありがとうございます」
「ベルリオーズです。準備中となっていますが、大丈夫なのですか?」
「もうすぐ開店するので、別に構いやしませんよ」
クスクスと笑いながら、おばさんは真新しい布巾でテーブルを磨き始める。ベルリオーズはお抱えの女中より手慣れた動きに感心していた。
「では、3階の隅を借ります。なるべく客は遠ざけてください」
「秘密の作戦会議かい。善処しとくよ」
「感謝します。まずはジャガイモの煮つけとエール、後はキャベツの漬物をお願いします」
「あいよ」
おばさんの言葉を待たず、ヤニングスは階段を上っていく。ベルリオーズも木材を多用した店内の暗めで静謐な雰囲気を楽しみながらヤニングスの後をついて行った。
*
「やはり、彼らとは講和すべきと、そういうことですね」
「もちろんだ。我が艦隊を損耗させられたら、エルフどころかただの海賊にすら対抗できなくなる。一番被害を受けるのは僕だ」
「その危惧は手前も同じです。彼らは明らかに危険です」
ベルリオーズがわななきながらテーブルを叩くと、ヤニングスも腕を組みながら頷く。
アセシオンの脅威は何もエルフだけではない。近辺の海域に出没する海賊たちも頭痛の種だ。彼らは交易船を襲って生計を立てている。皇帝の政策により没落した貴族も中には混じっており、同じく職を失った領主お抱えの魔法使いも海賊と化している有様だ。もちろん、彼らの統率力や戦闘力は侮れない。
まして、それを抑えるための領主軍艦隊を灰色の船に壊滅させられれば、もはやアセシオンの対外貿易は終焉を迎えるだろう。特権貴族たちは何を根拠に勝てると踏んでいるのかはわからないが、このまま行けば国の未来は暗い。
「手前はあくまで彼らの殲滅を支持していますが、それでも情報は欲しい。そのためには偵察と交渉が必要です。既に艦長へは手前がバックドアになると暗に伝えましたし、ライザも派遣する予定なので、彼女を窓口にできるでしょう」
「よし、パイプ作りは任せた。こちらも準備してみよう」
ベルリオーズはジャガイモの煮つけをつまみながら2杯目のエールを飲み干す。ヤニングス経由で敵の情報を聞いた時は卒倒しそうだったが、今は別の理由で倒れそうだ。不安と恐怖を紛らわせるには、飲食と喫煙が最も有効だと彼は知っている。
酒のせいかいつになく荒れるベルリオーズを見て、ヤニングスは諭すように声をかけた。
「疲れているのであれば、しっかり養生することです」
「わかっているさ。それより聞きたいんだが、お前はなぜ奴らを倒したいと思っているんだ? あんなの勝てるわけがない」
「倒したい理由ですか……」
ヤニングスはエールをちびちびと呑みながら思案していた。その間にもベルリオーズは焼きトウモロコシやピーマンのピクルスなどと合わせて次々にエールを飲み干していく。
「強いて言えば、忠誠心、でしょうか。手前にはそれしかありません」
「忠誠心ねぇ……」
「何か悪いことでも」
「いや、そうじゃない。お前は生真面目すぎるんだ」
ベルリオーズはすっかり赤くなった頬をゆるめる。政治情勢は日々変化しつつあるが、元学友は昔から何も変わっていないことに強く安心していた。
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