90話 遅刻魔の入場

「ええ、大丈夫よ」

「そうか、助かる」


 矢沢は城門前で待たされていたフロランスと話をしていた。

 どうやら『秘跡・サンクチュアリ』と彼女が呼ぶ魔法は、建物などを修復するだけの魔法ではないらしい。


「わたしの魔法は癒しの儀式。艦艇の修理みたいな使い方はむしろイレギュラーで、本来は傷ついた人々を癒すための魔法なのよ」

「確かに、前回もそんなことを言っていましたな」


 矢沢はフロランスから『神の奇跡』と呼ばれる魔法の説明を聞いたことを思い出していた。


「話を聞く限り、アメリアちゃんはダリア王国で禁術指定されてた『ヒュプノシア』と呼ばれる魔法にかかってるわ。あの騎士さんも見逃してくれるらしいし、ここはわたしに任せて、あなたは皇帝とお話をしに行ったら?」

「わかった。そうしよう」


 こういう時、フロランスの理解の早さは大いに助かる。彼女はのんびりした足取りでアメリアと瀬里奈が待つ養豚場へ向かっていった。


 ならば、矢沢がやるべきことは1つだけだ。皇帝と話をして、ここから全員で脱出するのだ。

 現在この城にいる最高位の外交担当者はヤニングスらしく、彼と話をすることで日時を調整した。どうやら皇帝は親政をしている割に時間に余裕があるらしく、今日の夕方には会えることになった。


            *     *     *


 ファンタジーの城で王様と会うというシチュエーションでは、だいたいの人間は玉座の間に通され、玉座に座る王にひざまづいて謁見を行うという光景を想像するだろう。矢沢もそう考えていた。


 だが、実際はそうではなく、通されたのは応接間だった。60畳程度の広さで、中央部には長方形の木製テーブルと30脚ほどの椅子が配置されている。

 家具はどれも木目を隠す目的か暗い色のニスで覆われ、皇帝の威厳を強調するかのような直線的かつ対称的で、荘厳なデザインを持っている。所々にアメリアと共に倒したレゼルファルカと呼ばれる魔物の意匠も入っていることから、この動物が帝国か家のシンボルなのだろう。


 何が不満なのか、矢沢の護衛としてついて来たロッタが舌打ちをする。


「くそ、ここの家具はイースル製か。忌々しい」

「何か因縁でもあるのか?」

「イースルはダリアの同盟国だったシュミードで生産される最高級の木材だ。硬く丈夫で、何より木目が美しく、これが発する香りは虫を除ける効果がある。シュミードでは家具用として使われるな。本来は白い木材なのだが、ニスで真っ黒だ」


 ロッタは怒りを抑えきれないのか、近くの椅子に蹴りを入れた。ダリアの同盟国だった、という話から、シュミードという国はダリアを裏切ったか、アセシオンに併合されたのだとわかる。


 とはいえ、今そのことに触れる必要はない。矢沢は腕時計を眺めながら話し相手が来るのを待った。


 だが、待てど暮らせど皇帝は一向に現れない。かれこれ3時間は待っていたが、やはり現れる気配がないのだ。

 外は既に夜の帳が降りており、魔法で灯された炎の明かりが部屋を満たしていた。窓の外でも魔法の炎が城下町を彩っている。


「遅い! 何をしているんだ、あのクズは!」


 さすがに待ちくたびれたか、ロッタが椅子を次々に蹴飛ばしていく。

 気持ちはわからんでもない。時間はヤニングスから伝えられたものであり、本来ならば向こうが遵守すべき約束事だ。

 だが、この手法は見覚えがあった。


「これはロシアの外交手段と似ているかもしれないな」

「ろしあ?」

「私の世界に存在する国だ。その国の大統領はわざと遅刻をすることで優位に立とうとする。用法は全く違うが、日本でも遅刻者には『重役出勤』と言って揶揄する文化もある。遅刻は自身が権力者であることをひけらかす手段と捉えているのかもしれない」

「なんだと? 忌々しい!」


 本格的に堪忍袋の緒が切れたか、ロッタは両手に火球を生成しては辺り構わず投げつけ、内装を破壊していく。

 だが、こんなやり方はスマートではない。矢沢はロッタの肩に手を置いて引き寄せ、扉の方へ足を向ける。


「何をする、離せ!」

「帰ろう。彼は会談を放棄した」


 遅刻した者の話など取り合うことはない。矢沢は扉を開けて部屋を去ろうとする。

 そこに、狙い澄ましたかのように反対側の観音開きの扉が開け放たれ、黒いジャケットを着込んだ老齢男性が声を上げる。


「皇帝陛下が入られます」

「ロッタ、無視していい」

「だろうな。付き合う義理はない」


 扉の奥から大仰なファンファーレが聞こえてくるが、そんなことは関係ない。矢沢は足を止めなかった。幸いにもロッタも皇帝へ怒りが向いていて、矢沢がロッタと呼んだことは気にも留めていない。


「おい、そこの者ども、待たんか!」


 背後から別の声が聞こえてくる。振り返ると、顎や鼻の下に黒い髭を蓄えた男が前に踏み出していた。金の王冠や赤い外套を羽織っており、明らかに周囲の者たちとは雰囲気が違うことから、彼が皇帝なのだろう。


 だが、矢沢は政治ゲームを止める気はなかった。


「なぜ待つ必要があるのです。遅刻した無礼者の話を聞く義理など私にはない」

「なんだと? この城では朕が法だ!」

「こちらから仲間を拉致し、交渉の材料である人質にむごい仕打ちを行ったばかりか、そちらから会談を要求しておいて、指定した時間を破って信用を失墜させ、会談相手の時間を奪い、その果てに交渉相手に自分が法律だと言い放つ。そのような不届き者の話など子供の駄々にも劣る」

「よくもぬけぬけと! お前たちは人質だ。本来ならば会談を持つ気などなかった。話を聞かないのであれば、お前たちは死刑に処す!」


 矢沢が毅然と言い放つと、皇帝は顔を真っ赤にして食ってかかった。

 ごく短いやり取りだけだが、矢沢には相手が見えてしまっていた。

 おそらく、彼は皇帝とはいえ傀儡に過ぎない。背後にはさらなる権力者が存在する。でなければ、ここまで無能な者が政治闘争を生き抜けるわけがないのだ。

 そして、こういう輩は下手に出れば上手く事を運べる。それをわかった上で、あえて挑発に乗ることにした。


「では、私も人質を殺害しましょう。この街には既にあなたを抹殺するための暗殺部隊を潜入させている。奴隷商人たちをユーディスで拉致した精鋭部隊です。今この場であなたを殺害できる。本当か確かめたいのであれば、この場で私を殺害するといい。それが合図だ」

「な……! 衛兵、城をくまなく調べろ!」


 皇帝は矢沢のハッタリを聞いた途端、顔を青ざめさせて背後の衛兵に指示を飛ばした。

 どうやら、相手は予想以上に幼稚なようだ。矢沢は不敵な顔をしながら皇帝に体を向けた。

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