第97話
約束の木曜日。
雛山がボクシングジムの体験へとやってきた。
体力つくりで最初に言い渡された事は、ミニピンの散歩だった。
97
吉本ボクシングジム
「・・・・・・・・・」
真新しいウェアできめこんだ雛山。
足元も気に入って買ったスニーカーで気分も上がりそうなものの、表情は冴えない。
そんな彼の正面には、おかしそうに笑い腕組して立っている明。
明も下は黒のジャージに、上はTシャツと動きやすい服装だ。
「本当に・・・これで走るんですか?」
雛山は念の為、もう一度明に質問をする。
「あぁ、そんなに早くじゃなくていいし。ルートはこいつが覚えてるからな、先導させたらいい」
「・・・・これ、ランニングじゃなくて・・・散歩ですよね」
雛山の足元には、リードに繋がれている小型犬。
オーナーの愛犬で、ミニチュアピンシャーという種類だ。
これから散歩だと解っているテンションで、嬉しそうに尻尾を振っている。
「そうとも言う」
「そうともじゃなくて、そうなんですよね」
「ならオレのランニングについて来るか?言っておくけど、お前がバテても置いて行くぞ」
「無理に決まってるじゃないですか〜〜〜」
「ほら、ミニピンと一緒に走ってこい」
「うぇ〜〜〜」
返事なのか悲鳴なのか曖昧な声を出した雛山は、トボトボとボクシングジムの出入り口に向かい外へと出ていった。
そんな彼を見送り、さてとと明は気分を入れ替えてマットが敷かれた場所へと移動する。
身体を動かす前に、まずはストレッチ。
マットの上に座り、昼間の仕事で凝り固まった身体を伸ばす。
そこへジムの出入り口から、竜一が入ってきた。
何か面白い物を見たようなニヤニヤとした笑いを口元に浮かべて、ジムの隅にいる明を見つけると真っ直ぐこちらへやってきた。
「なぁ。康気の奴、犬の散歩してたぞ?ジムに通えって誘った筈だが、手伝いにでも来たのか?」
「康気って誰」
「雛山だろ・・・お前、仲良いのに下の名前しらねぇ〜のかよ」
「知らない」
「はぁ・・呆れた。昔からそういうトコロ、変わらねぇ〜なぁ」
「別に呼び方定着してんのに、わざわざフルネーム知らなくてもよくね?」
「あ〜はいはい」
「適当な返事返すなボケが。暇なら足抑えろ」
一通りストレッチを終えて、1人でできる軽い筋トレをしていた明。
立っている男に手伝えと指示を出す。
「暇じゃないんですけどね〜〜」
そう言いながらも、マットの上に乗り上げた竜一は明の両足首を掴む。
「なぁ・・・お前、今女いないんだろう?」
腹筋をしながらも、雑談する余裕を見せる明。
「あ〜〜〜ちょっと前に別れた」
「何で、別れたんだ?」
「二股かけられてた」
「はっ」
身体を起こしながら、バカにしたように笑う。
「お前なぁ〜笑うなよ」
「どうせセックスしたい時だけ会って、後は放ったらかしにしてたんだろう」
「そういう事だ」
「お前のタイプって、ケバいギャル系だったよな。何、今もかわらねぇ〜のか?」
「ん・・・・まぁ、あまり変わらないかもな。何でそんな事聞くんだ?誰か紹介してくれるのか?」
「オレの知り合いにギャル系なんていねぇ〜よ」
「お前。オレの歴代の彼女ら、毛嫌いしてたもんな」
「バカが移りそうだから、嫌なんだよ」
「鹿馬高校に通ってたお前が言うな」
そう吐き捨てるように言った竜一は、腹筋を止めた明の足首から手を放し屈んでいた身体を起こす。
もうその場から立ち去ろうとする素振りを見せる男に、明は「おい、まだ終わってねぇ〜ぞ」と呼び止めた。
「何だ?」
「お前、オレと白田との事何も思わねぇ〜の?」
「・・・・・・・結局、丸く収まったのか?」
「収まったし、付き合ってる」
「それに関しては、俺がやいやい言っても仕方ねぇ〜だろうが」
「お前の助言なんて必要ねぇ〜し。お前がオレに対して、気持ち悪いとか思ってるのかって聞いてんだ」
「気持ち悪いもなにも、お前はお前だろ?そりゃ、いきなり別人みたいになっちまったら、気持ち悪り〜けどよ。あの男と付き合っても、相変わらず口は悪りぃし、表情死んでるし、興味無いこと多すぎだし、どこも変わってねぇ〜じゃねぇ〜か」
「・・・・・・・」
「あっけど、高校の時の方がまだ笑ってたな・・・・・」
「うるせ〜なぁ」
ケッとツバを吐きかけるフリをする明に、竜一はもう一度明の前にしゃがみ込む。
そして・・・・
「白田さんのお陰で、少しは笑顔が増えたらもっと良いんだけどなぁ」
不敵にニヤリと笑って見せる男に、嫌そうに目を細めて睨む明。
「まぁ、ずっとニコニコしてるお前も気持ち悪り〜かぁ」
「うるせ〜!さっさと、向こうへ行け。クソハゲ!!」
自分で引き止めておいて、追い払う明。
ははははと笑い声をあげながら、竜一はその場を去り事務所の方へと消えていった。
一体何が聞きたかったのか・・・・
竜一の事を気にしている雛山。
竜一の口から【ゲイ】に関してどう思っているのか、聞きたかった。
それが男の恋人が出来た自分の話にすり替わり、肝心な事は聞きそびれた。
だが、今まで通り明に対する態度を変えない様子に、少しばかりホッとする。
彼の中で同性同士は、そこまで問題視とは思ってないようだ。
「明さ〜〜ん!スパーリングしますかぁ〜?」
黙々と腕立てしていた明に、すこし離れた場所からアマチュアボクサーの男が声を掛けた。
まだ20歳に満たない坂田は、これからプロとしてデビューする若手のホープ。
真っ赤に染めた髪に眉が極端に細い彼も、ヤンキー上がりの風貌。
だが妙に礼儀正しく、懐っこい性格で明にも遠慮なく絡んでくる。
「ん〜〜〜」
明は軽く返事を返すと、マットから立ち上がり坂田の元へと向かった。
それから20分ほど2人でスパーリングしている最中、汗だくで息も絶え絶えな雛山が戻ってきた。
「ゼェゼェ・・コガタ・・・ケンなのに・・ゼェ・・何デで・・・こんなに・・・ハァ・・・力が強・・・い・・はぁ・・」
泣きそうな顔で、明に訴えかける雛山に。
明と坂田は爆笑。
小型犬と侮っていたが、引っ張る力も強く走るスピードも早くて体力をゴッソリ持ってかれた様子だ。
「明さんのスパーリング終わったら、次は雛山さんなんで。水分とって、休憩しておいてくださいっす」
「え・・・まだ終わりじゃないの?」
「当たり前だろうが、体力つけるために来てんだろうが」
「うううう・・・・」
「ミニピンにも水やっとけよ」
唸りながら、犬を引き連れてジムの隅に行く雛山。
その後姿に、再び明と坂田は笑い声を上げた。
98へ続く。
吉本ボクシングジムは、その名の通り芸人さんの名前からキャラ名を決めてます。
オーナーの名前は中川、そして新しく出たアマチュアボクサーは坂田。
コンビ名と言うより、新喜劇よりの芸人さんの名前を使わせてもらってます。
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