お題:クレーム
「さっき買った弁当に箸が入ってねぇぞどうなってんだ!!」
ハゲた中年男がコンビニのレジで怒鳴りだす。このご時世に唾を飛ばすモラルのなさはさすがクレーマーといったところか。
「はい。カトラリーが必要かお尋ねしましたが」
「知らねぇよ口答えするなガキが!」
店員の青年はとりあえずの謝罪もせずに冷静な対応を取る。言っていることは正しいが、こういった手合いには悪手と言わざるを得ない。
『しょーがないなぁ』
見ていられなくなったあたしは、するりとハゲの後ろに回り込み、その腹に手をブッ刺した。
『うらうら! 気持ち悪くなれ!』
「ぐ……!? な、なんか吐き気が……」
「大丈夫ですか?」
「チッ……クソが……」
ブツブツと毒づきながらクレーマーは退店し、青年は不思議そうに首をかしげる。
「怒ったかと思えば体調を崩した……更年期障害というやつか……?」
『違いますーあたしに感謝しなさいな! ……って、聞こえないんだけどね』
だってあたし、幽霊だし。
半分透けてて、人の目には見えない。壁は通り抜けるし浮遊もできる。人の体に触ると、若干気分が悪くなるぐらいの影響は出るみたい。
なんで死んだのか。あたしは誰だったのか。それはもうわからない。
けど、心の声に従うに、どうやらあたしはこの青年を見守らねばならないらしい。
『正直者すぎて、世渡りがヘタクソだねほんと。あ、身分証ないからタバコ売らないってまた言ってる。そらまあ、たぶんあのガキんちょ未成年だろうけどさ。モメるからやんなきゃいいのに』
あたしは幽霊。あなたに見えない。
この声も助言も、何一つ伝わらない。
それはもう、しょうがないことなのだ。あたしは生き返ることもできないし、彼にあたしを見てもらう方法もない。
「おつかれ。もう上がっていいよ」
「ありがとうございます」
『お、終わった終わった。さ、夜道は危ないよ? オバケが出ちゃうかもー! ……なーんつってなんつって』
茶化しても、彼は知らん顔で服を着替えて店を出てしまう。
いつの間にか、大きくなった。筋肉だって立派についたし、顔も随分と大人びてきた。小さい頃から落ち着いていた言動にようやく容姿が追いついた。
『……いつまで、見ていられるのかな』
半透明の体に臓器はないらしい。お腹も減らない。おしっこも出ない。心臓の音も、聞こえない。
きっと、あたしは水中を昇る泡みたいなものだ。いつか水面に出たら、ぱちんと消えてなくなってしまう。
明日、それとも今日、あるいは数秒後。
あたしは消えてしまうかもしれない。
『あたしを愛して、なんて。バカみたいなこと言っちゃったりして』
ふいに目の奥が熱くなった。幻肢痛というやつだ。幽霊には、血も涙もないんだから。
きみは知らないでしょ? あたしの顔も、涙の色も、そして名前も。
あたしも知らないんだ。なーんにも。
『まあ、でも。いいかな、それで。もともと、こんなのは神さまがちょっぴりだけくれた猶予みたいなモンだろうし』
ふわりと空を泳いで手を伸ばす。触れやしないし温度も感じない透けた手で、愛しい彼の髪を撫でる。泣きたくなるほど、懐かしい感覚だった。
「……姉さん?」
『ふふっ、ちがわい。ななしの幽霊ちゃんですよー』
あたしは幽霊。
きみを守る、名もない幽霊だ。
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