お題:夕陽
夕陽の色が好きだ。
炎のように明るいくせに、暗い夜を纏う。真っ白な太陽と同じモノとは思えない表情を見せる夕陽が好きだ。
私は美術部に入った今でも夕陽のデッサンばかりを描いている。顧問からはもっと違うモノに目を向けろと諫言されるし、同級生からは代わり映えがなくてつまらないと批評される。それでも、私の心を突き動かすのは夕陽だ。夕陽だけなのだ。
私から夕陽を取ったら、情熱なんて何も残らない。
「…………ちくしょう」
自覚は、あった。
私の絵はつまらない。私の描く夕陽は、私が思い描く夕陽とはかけ離れている。
もっと観察しなければ。もっと理解しなければ。もっと表現しなければ。
そう思って試行錯誤すればするほど、私は大好きだった夕陽がわからなくなっていく。そして、今日。
ついに私は、夕陽の色すら作れなくなった。
「…………」
線描だけのカンバスを前に、私は絶望して立ち尽くしていた。慣れたはずのアクリル絵の具の匂いが厭に鼻を刺す。
もうすぐ陽が沈む。夕陽が見えなくなる。私の好きな色が、消えて――
「おう、やってんな」
ガラガラと引き戸を乱雑に開けたのは、美術部の先輩だ。運動部が似合うガサツな人間なのに、破天荒な発想と繊細な技術で何度か受賞経験を持っている不思議な人である。
先輩は何を言うでもなく私の絵に近付き、顔を押し付けるほどジッと線描を見つめる。そして、褒めるでもけなすでもない平坦な声音で私へ尋ねた。
「沈むぞ。塗らねぇのか?」
「……今日は、もういいんす」
吐き捨てるようにそう言うや否や、先輩は黒の絵の具を取り、チューブを捻り潰さん勢いでカンバスに絵の具を塗りつけた。
「え、あ……!?」
「筆借りんぞ」
私が唖然とする中、先輩は心なしか楽しげに私の夕陽を黒く塗りつぶしていく。私の描線なんて気にも留めず、自由に、気ままに黒を塗り広げ……気付けば、ソレは別の絵画になっていた。
「曇り空と……黒い太陽……」
「いま、お前にはこう見えてるんじゃねぇか?」
「……そうですよ。才能のない私には、あんなに綺麗だった夕陽をもう塗る事すらできないんです……」
自虐めいた独白を、先輩は鼻で笑う。
「くだらねぇ。色なんてなんでもいいんだよ」
「…………」
「夕陽だからオレンジなんて幼稚園児か? 見たモン再現したいならスマホで写真撮ればいい。トレースしてぇだけなら絵を描く必要がねぇんだよ」
まっとうだった。だから、この説教も黙って受けようと思った。そのまま酷い言葉でももらえたら、辞める理由にできるかも、なんて。小狡いことも考えてた。
なのに。
「お前の絵を描けよ。せっかく面白ぇんだから」
「え……?」
「お前は夕陽しか描かねぇが、ただの一度も同じ夕陽を描いたことはない。脳死せず、常に新しい技術、方法を試そうと努力してきた。愛する夕陽を納得のいく姿にしたい一心でな」
先輩は不敵に笑う。
「一意専心。根性無しにゃできねぇな。続けろ。必ずお前は面白ぇ絵を描ける」
それだけ言うと、先輩は教室を後にした。すっかり陽は落ちて、夜になりつつあった。
続けろ。
この言葉なんて、あの先輩は明日になったら忘れてることだろう。きっと、私と会話したことすら覚えてなんかいない。そんなテキトーな人間だってわかってる。
なのに、どうしてこんなにも勇気が湧いてくるんだ。
私は顔を上げた。目の前には、黒い夕陽。私はその上に、赤を重ねた。
「そら見ろ。面白ぇじゃねぇか」
笑う少年の前には、部室に残された一枚の絵があった。黒い夕陽と空を塗り潰すように描かれた、暮れなずむ夕焼け色の風景画だ。
『タイトル:夜を越えて』
後輩の成長を心待ちにするように、少年は笑みを浮かべた。
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