361 水面下

 魔装具で屋敷にいるようにと俺に言ったリサは、『常在戦場』から第三民明社が発行する隔週誌『小箱の放置ホイポイカプセル』の編集部に派遣されたマッテナーと、若い男を連れて、屋敷に戻ってきていた。そこで三人を俺の執務室へと案内したのである。


「どうしてあの話、教えてくれなかったの?」


 ソファーに座るなり、リサ駄々をこねるように聞いてきた。おそらくはケルメス大聖堂の一件のことなのだろう。


「いや、あんなの騒動だとも思ってなかったからさ」


「騒動じゃないわ。事件よ事件!」


 いやいやいやいや、そんなことを言われたってどうしようもないじゃないか。


「あんな美味しいネタ、まさか『無限トランク』なんかに抜かれるなんて!」


「いやぁ、全くです」


 悪態を付くリサの意見に名も知らぬ若い青年が同意した。横ではマッテナーが苦笑している。俺はリサに青年の事について聞いた。


「ああ、『小箱の放置ホイポイカプセル』所属の記者、ナシュウェルさんよ」


「記者のドメイド・ナシュウェルです。よろしくお願いします」


 青年は頭を下げた。『小箱の放置ホイポイカプセル』の記者ナシュウェルと、『小箱の放置ホイポイカプセル』の編集部に派遣されたマッテナーをリサがここに連れてきた。ということは・・・・・


「グレン。これからインタビューに答えてね。来週発売の『小箱の放置ホイポイカプセル』に間に合わせるから!」


 やっぱりそうだよな。俺はリサとマッテナー立ち会いの下、ナシュウェルのインタビューに答えることになったのである。インタビューの時間は休憩を挟んで三時間超に及び、気が付けば夜となっていた。こんなのをレティにやらせてしまった事を考えたら申し訳ない気持ちになる。俺の人生初インタビューは本当に疲れた。


 ――俺は次の日も朝の鍛錬をパスした。『小箱の放置ホイポイカプセル』の記者ナシュウェルのインタビューを受け、疲れてしまったのである。例の報道の件もあって、学園の方に足を向けにくかったということもあったのだが、何よりも鍛錬をする気になれなかったというのが大きいだろう。俺は魔装具で呼んだ馬車に乗り、繁華街に向かった。


 馬車を降りた俺は繁華街のカフェで朝を食べるという、王都トラニアスに来て以来初めての体験をした後、徒歩で『常在戦場』の屯所に入った。実は昨日、グレックナーが俺と会合を持ちたがっているという話を聞いたからで、インタビューの合間に魔装具で問い合わせ、今日の朝に顔を出すことが決まったのである。


 屯所で俺を待っていたのは団長のダグラス・グレックナー、事務総長のタロン・ディーキン、事務長のシャルド・スロベニアルト、一番警護隊長のフォーブス・フレミング、第六警護隊長のアルフェン・ディムロス・ルタードエの五人。錚々たる面々と言えば聞こえは良いが、どのような理由でこの人選になったのかは定かではない。


 この会合の冒頭。話題となったのはなんと言っても『無限トランク』で書かれた俺の話。『翻訳蒟蒻こんにゃく』に掲載されたメガネブタことモデスト・コースライスのデマ記事と対峙している『常在戦場』の面々にとって、その『翻訳蒟蒻』の発行元であるノルデン報知結社のオーナー家、イゼーナ伯爵家と俺との対決は興味を引くものなのだろう。


「おカシラ、あの話は事実で?」


 聞いてくるフレミングに、流れはあのようなものだが詳細は異なると、昨日のインタビューで答えた通りの話をした。話は逸れるが、話している間に気付いたことがある。以前、自分が話したことを完コピに近い状態で人に話しているのだな、と。自分の意外な能力の発見に、俺自身が驚いている。スロベニアルトが聞いてきた。


「では、あのデマ記事との関連は?」


「ないよ。頭のイカれた車椅子ババアがムカついただけだ」


「車椅子ババアって!」


 ルタードエがビックリしている。貴族出身のルタードエは当然ながらイゼーナ伯爵夫人について知っているのだろう。


「大体、あいつは頭がおかしいんだよ。喜捨の額で人の価値が決まるとか言い放つんだぞ。だから、そんなことを言われた母子に三〇〇〇万ラントを渡したんだ」


「記事で書かれている話より酷いじゃないですか!」


「そんなことが知られたら、イゼーナ伯爵家は民衆から総スカンですぞ」


 フレミングもディーキンも話を聞いて身を乗り出してきた。確かに、記事はそこまで詳しくは書いていなかったか。話によると、あの記事でイゼーナ伯爵夫人を非難する声が上がっているというのだ。それと同時に俺の評価が高まっているとも。それがあの記事よりも更に酷い内容であれば、確実に平民の怒りは激しくなると。


「昨日『小箱の放置ホイポイカプセル』の記者がこの話を聞きに来たんだよ。そこで全て話したよ」


「でしたら、来週の、『小箱の放置』で記事が出るということですな。これはもうタダでは済みませんぞ。間違いなくノルデン報知結社に矛先が向きます」


 俺が受けたインタビューの話を聞いて、スロベニアルトがそう言った。グレックナーが口を開く。


「ハンナが心配していましたが、杞憂でしたな。今の話が明らかになれば、たとえイゼーナ伯爵家と言えどもタダでは済みますまい」


 貴族派最大派閥アウストラリス派の有力貴族であるイゼーナ伯爵家を敵に回す形となっている俺の立場をハンナは心配しているのだという。だが俺の話によって、平民の怒りが高まる事は間違いなく、イゼーナ伯爵家も俺と対決するどころの話ではなくなるだろうとというのが、グレックナーの見立てであった。


「貴族家からも反発を招きかねません。小麦価の高騰した今、平民からの要らぬ反発を招きたくはありませんから」


「このところの小麦暴騰で民衆は苛立っていますからね」


 貴族出身のルタードエが貴族側の心理を読み解くと、それを受けてスロベニアルトが市井の空気を語る。小麦暴騰の話とケルメス大聖堂の一件がこんな形でリンクするなど夢にも思わなかった。この社会を構成する要素が、こうした状況を作っているのだろう。先程から思案していたディーキンは話す。


「こうなってくると、イゼーナ伯爵家がオーナーであるノルデン報知結社も持ちますまい」


「持たなければどうなるのだ」


「何らかの判断を下さなければならなくなる」


 フレミングからの問いかけに、ディーキンはそう断定した。判断。すなわち助手まで切って逃げ惑う、メガネブタをどうするのかという判断に他ならない。それは相手方、ノルデン報知結社と『翻訳蒟蒻』編集部が決めることであって俺達が決めることではない。俺は話題を変え、今日の会合で話し合われる内容について聞いてみた。


「実は要人警護の依頼がありまして・・・・・」


 要人警護・・・・・ SPのことか。しかしこのエレノ世界。要人なんてそうはいない。王族か宰相閣下、内府ぐらいだろう。内府とは内大臣府、すなわち内大臣トーレンス候のこと。しかし、いずれも近衛騎士団や王都警備隊、家付きの衛士達がついているはず。わざわざ『常在戦場』に警備の依頼などしなくてもよいはず。


「なんでも、外国からの要人を警護するとか」


「誰からの依頼だ?」


「団長閣下からです」


 団長閣下? グレックナーは真面目に答えた。団長のグレックナーが「団長閣下」と呼ぶ人物。そんな人物は一人しか思い浮かばないが・・・・・ 間違いないのか、その人物で。


「ドーベルウィン伯か?」


「はい。閣下から」


 グレックナーからの回答に、俺は机に肩肘を立て考え込んだ。外国から、すなわちトラニアスを訪問するディルスデニア、ラスカルト両王国からの使節を警護する要員の依頼。それは分かったのだが、どうしてドーベルウィン伯からの依頼なのか? 現在、ドーベルウィン伯は無役のはず。正確には学園指南ではあるが、それは役職の内にも入らない。


「何か問題が・・・・・」


 おそらく俺の反応を見てだろう。少し不安そうにグレックナーが聞いてきた。そのグレックナーに聞く。


「閣下はどのような権限で依頼されておられるのか」


「閣下は私の方に依頼されただけで・・・・・」


 俺の質問にグレックナーが答えに窮している。おそらくドーベルウィン伯はグレックナーとの人間関係、以前、共に近衛騎士団に在籍していた団長と団員という関係を利用しての依頼なのだろう。それは分かるが、どうして無役のドーベルウィン伯が、わざわざこの件で動くのだろうか?


「ドーベルウィン伯は近衛騎士団側からの依頼で動かれているのではないでしょうか」


 第六警護隊長のルタードエがフォローに入った。確かにそれはあり得る。第二近衛騎士団長のスクロード男爵は義兄、第四近衛騎士団長のレアクレーナ卿は実弟。ドーベルウィン一族は近衛騎士団との繋がりは深い。その一族の長たるドーベルウィン伯に『常在戦場』との要人警護の交渉を依頼することは、十分に考えられる。


「まだ水面下の打診ということも考えられます」


 事務総長のディーキンが言う。水面下か。確かにその線もあるな。フレミングが聞いてきた。


「おカシラは、この件について何かご存知なのですか?」


「まぁな」


 俺の答えに会議室はどよめいた。俺はディルスデニア、ラスカルト両国に疫病が発生しており、その対策に両国が頭を痛めていること。ところが国境を接する両国に交渉のチャンネルがなく、疫病対策を阻んでいること。その打開の為、ノルデン王国の斡旋で交渉の場が設けられようとしていること、この三点を挙げて説明をする。


「そんなことが!」


「なるほど、それで」


 話を聞いた皆が驚いている。外交という概念自体がないこの国の人間にとっては未知のもの。このような他愛もない話であっても、これまで聞いたこともないものだと受け取るのだ。人というもの、自分の概念にないものを考えろと言われても、すぐに対応できる者は少ない。現実世界の人間が魔法を理解しろと言われても困るだろう。それと同じである。

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