315 第三民明社
経営不振の為、売りに出されていた第三民明社。王都の老舗出版社でありながら、主力事業の月刊誌『
「面白くないのか?」
「いえ。私が見てそうは・・・・・」
「ではどうして売れない」
「あまり需要がないようで・・・・・」
イペリオンの歯切れが悪い。どうやらなぜ小説が売れないのかが本当に分からないようだ。
「だったら小説を止めて、専門書でも出せばいいだろう」
「専門書で後塵を拝したので、新しい分野に・・・・・」
「それが小説という訳か」
おれが言うと、イペリオンが大きく頷いた。元々第三民明社は専門書を主力事業としていたが、業界最大手のノルデン報知結社とトラニアス伝信結社の二社が専門書に力を入れだすと徐々にシェアを失い、最終的に撤退せざる得ないほど落ち込んだのだという。
そこで以前から発行していた月刊誌『
従来主力だった専門書事業が崩れ、月刊誌事業も不調。だったら第三民明社を立て直すには、月刊誌事業を軌道に乗せ、不振で悩む小説事業を立て直して勝負するしかないということだな、これは。
「まだ出していない小説はあるか?」
「ありますが・・・・・」
「それを『
「えっ!」「それを・・・・・」
社主のイペリオンも編集長のフロイツも驚いている。
「著者に了解を得るんだ。全六話構成にすれば三ヶ月持つし、『
「・・・・・な、なるほど」
イペリオンが唸った。その発想はありませんでしたという。それならすぐに嵩増しできると感心している。一方、隣にいた編集長のフロイツは呆気にとられているのか、無言のまま。
「雑誌を使って小説の宣伝をする、というわけですな」
ディーキンが感心している。まぁ、俺だって現実世界で売られている手法を提示しているだけなんだから、偉くも何ともないのだが。
「スクープ記事は、メガネブタが『翻訳蒟蒻』で書いたデマ記事の反論でいく」
「メガネブタって、もしやコースライスの事ですか?」
惰眠を貪っているかのようだったフロイツがムクっと身を乗り出して聞いてきた。ディーキンを見ると噴き出しそうになっている。
「他に誰がいる? どこからどう見てもメガネブタだろ」
俺が言うなり、ディーキンが大笑いした。それに釣られるようにイペリオンやフロイツも笑い出す。
「所詮メガネブタはメガネブタ。メガネブタと呼んでやればいいんだよ!」
俺がニヤリと笑うと、三人の笑いは更に加速した。
「いやぁ、メガネブタとは・・・・・ 言い得て妙とはこの事だ」
編集長のフロイツが笑いながら手を叩いているので、俺はこの際だからと、編集方針
「あのメガネブタ。あいつ
「コースライス。メガネブタ
「そうだ。『翻訳蒟蒻』やノルデン報知結社など無視すればいい。ネタは全部こっちが持っている」
それまで冴えない管理職のような風体だった、フロイツの目がギラリと光った。腐っても月刊誌の編集長ということか。
「メガネブタ個人だけを追えばいいと。で、我々は何を?」
「別の雑誌がデマ記事を検証する。その記事を持ってメガネブタに事実確認をして欲しい」
リサが今日離していた内容をそのまま伝える。フロイツの目は更に輝いた。
「それはどこの雑誌で?」
「新刊だ。今、準備をしているところだ」
これにはフロイツだけではなく、社主のイペリオンも驚いて、声を上げる。
「出版社を作るなんて! またライバルの出現かぁ」
ガックリしているイペリオンに、月刊誌とは被らないことや、王都の店や商品、サービスの紹介をする雑誌だと説明した。
「つまり、専門なくて万人向けの情報誌ですな」
「そこに世情を伝えるコラムとしてさりげなく載せる」
「むぅ。考えましたな、これは」
しかも週刊とは、とフロイツは驚いている。そして、我々はその雑誌の前フリを利用して大きく記事を書く、これで宜しいのですなと確認してきた。仕事の事になると目つきが変わるな。全くその通り。俺はそう考えてくれとフロイツに言った。
「俺達と第三民明社の間で連絡役が必要だな」
「連絡役?」
俺の言葉にイペリオンが反応した。どこかビクついている。スパイとでも思っているのだろう。
「ああ。編集部に居て、俺達との間を繋げる役だ」
暗に心配するな、経営は触らぬと言っているのだが、イペリオンにその意味が分かるのかは全く不明だ。俺はイペリオンを構っても仕方がないので、ディーキンに適任者の有無を確認した。
「おります」
「だったら、早々に連れてこよう。フロイツ、その時に『
俺はそう言うと席を立った。明日また来る。話すべきことは、その時話せばいい。俺はディーキンと第三民明社を出ると、そのまま屯所に戻った。
――俺と『常在戦場』に対するデマ記事を載せた月刊誌『翻訳
この二つの出版社を使って、メガネブタを挟み撃ちにする作戦を『常在戦場』の方針として正式に決定した。これは昨日、第三民明社より屯所に戻った際、団長のグレックナーと所用があって屯所に帰ってきていた情報本部長のトマールが居たので、四人で方針を確認したのである。
グレックナーからは近衛騎士団からの指導者の受け入れについて、トマールからは王都通信社の設立状況と『週刊トラニアス』の進捗状況についての説明を受けた。話を聞くと共に順調に進んでいるようである。まず近衛騎士団からの指導者受け入れは既に終了し、新たに百五十人の隊士を採用する方針が決まったとの事。
以前から入団したいという志願者に連絡を行い、休日中に選抜が完了したというのだから動きが非常に速い。近衛騎士団から受領予定のコーガンド兵営地で新入隊士の訓練がもう始まっているという。指導には近衛騎士団からの出向者二十名と、営舎にいた四番警備隊が担当しているそうだ。
「訓練を終え次第、新たに百五十人を採用。合わせて三百人の増員を目指します」
そう言ったグレックナー。何か言い出したいようなので確認すると、応募者が多いので倍にしてもと思ったとのこと。だったら倍にすればいいだろう。それは任せると言ったので、皆唖然としてしまった。
こちらとしては近衛騎士団や王都警備隊が人員が心許ないので、それを『常在戦場』の人数で補うのには何の躊躇もなかった。それに今は、当の近衛騎士団からの『お墨付き』まである。
「では倍の六百人の増員を目指します」
グレックナーは力強く宣言した。隊士千人体制。聞こえはいいが、隊士だけでは『常在戦場』は保てない。調理をする者、設備を維持する者、事務手続きを行う者等々職員が必要だ。
職員の方の増員についてグレックナーに指示を出し、こちらについては百五十人確保することが決定した。急速に拡大する『常在戦場』に不安があるのは事実だが、ここは流れに身を任せるしかないだろう。
「王都通信社の社主はヴァリス・ミケランという者が就任し、『週刊トラニアス』の編集長を兼ねる事となりました」
調査本部長で、現在リサと『週刊トラニアス』の立ち上げに携わっているトマールが状況を説明してくれた。ジェドラ商会のウィルゴット、ファーナス商会のアッシュド・ファーナスの協力を得て、誌面は既に三週分出来上がっているという話。社主兼編集長のミケランは代筆稼業を行っている人物で、その稼業を辞めて今回の話に乗ったらしい。
代筆稼業とは文書構成力が弱い平民の為に、話を聞いて文書に纏めたり、契約文等の商売文章を書き上げたりする仕事。仕事をする上で構成力が必要だし、依頼してくる側の心理を読み解かなければできない。『週刊トラニアス』は平民向け無料配布誌。そういった平民の心を掴む事ができる事を考えれば良い人選だろう。
俺は引き続きリサと協力するよう、トマールに頼んだのである。朝の鍛錬の最中、そうした屯所でのやり取りの話や、第三民明社で耳にしたメガネブタについての情報をリサに話すと、それまでの立木打ちで消耗していた筈のリサが不遜な笑みを浮かべた。リサは両手で持ったイスノキを杖のように地面に突くと、俺に向かってこう言ったのである。
「容赦なくやっていいわね。社会の敵よ」
社会の敵。これがリサの出した結論だった。俺は究極、俺の保身の為にメガネブタの攻略を行おうとしているのに対し、リサの動機は全く異なるようである。社会の敵をやっつけて、世を正す。そんな感じなのだろうか。リサは持っていたイスノキを両手で振り下ろし、地面へと突き刺した。
「しっかりと社会の敵だって事を、皆に教えてあげなきゃね」
いつものニコニコ顔でそう言うリサ。顔を見ると正直、怖い。メガネブタは敵に回してはいけないものを敵に回したのではないか。
「メガネブタの過去のデマを全て調べる必要があるわね」
「トマールに調べてもらうか?」
「ええ。これだけで十分ネタになるわ。私達だけじゃ伝えるのは無理なぐらいに」
掘れば掘るほどネタが出てくる。それは言うまでもないよな。二社で伝えられないぐらいのネタ。そんなネタを俺達だけで独占するのは勿体なくないか、これ。俺はハッとした。
「そうだ。月刊誌は『翻訳蒟蒻』と『
「えっ!」
「確か・・・・・ トラニアス伝信結社の『
「それよ! そこにも情報を流しましょう。世の中への伝搬が早まるわ」
リサが目を輝かせている。非常にヤバい空気だ。獲物を狙う狼の目。狼はリサ、獲物は言うまでもない、メガネブタ。リサがデマを吐くブタ野郎に対し、どのような策で立ち向かうのか。リサは秘密主義。そのリサに全てを任せた俺は、その方法を知る由もなかった。
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