235 フェレットの若き女領導

 高級ホテル『エウロパ』で行われた狩猟大会の「前夜祭」。多くの貴族派貴族が集まったパーティーの状況をレティから聞いた。レティはエルダース伯爵夫人と共に、この「前夜祭」に参加していたのである。


 貴族派最大派閥のアウストラリス派が多数参加していたのは当然として、リッチェル家が属する第二派閥のエルベール派。第三派閥のバーデット派、第四派閥のランドレス派からも多くの貴族が参加していた。またエルダース伯爵夫人の見るところ、国王派の第一派閥ウェストウィック派に属する貴族や、中間派と思われる貴族も来ていたようである。


 参加した貴族の中には、カジノで車椅子に乗って喚いていたイゼーナ伯爵夫人もいたらしい。夫であるイゼーナ伯もアウストラリス派に属しているとエルダース伯爵夫人が教えてくれたそうだ。エルダース伯爵夫人、レティを介して俺に伝えてきたな。実に面白い。


「ミルケナージ・フェレットが挨拶に立ったわ」


「・・・・・そうか」


 やはり立ったかミルケナージ・フェレット。これで名実ともにフェレットの領導と目されるのは間違いがない。レティが真剣な面持ちで言った。


「反響が大きかったわ。女だからね」


 そりゃ、そうだろう。女、それも二十代前半の女が挨拶に立ったのだから当然だ。


「その方は・・・・・」


「グレンの実家、アルフォード商会のライバル商会の当主。若い女の人よ」


 アイリの疑問にレティが答えた。するとアイリが聞いてくる。


「知っているの?」


「ああ、一度だけ見た。カジノでな・・・・・」


「カジノで・・・・・」


 一瞬、アイリの表情に翳る。レティがカジノに出入りしているから一緒に行っただけだから。アイリもその辺りの事情を知っているだろうに。最近、アイリは感情を隠せなくなっている。


「まさか本当にフェレット商会を代表するなんてね」


「フェレットの若き女領導か・・・・・」


 貴族が多数集まるパーティーの席上で行われたミルケナージ・フェレットの公然登場。商人界のガリバー、フェレット商会を実質的に仕切っているのはミルケナージ・フェレットであることを、なんと貴族のパーティーで内外に示したのである。これによってノルデン商人界の覇権争いは新たなステージに入ったことを、俺は確信した。


「グレン。遅れたけれど、これ。ドラフィルからの封書よ」


「おおっ、ありがとう」


 レティが渡してくれたレジドルナの商人レットフィールド・ドラフィルからの封書。部屋に帰った後、封を開けると便箋三枚に相変わらずビッシリと書き込まれた文字。俺が見るにドラフィルは商人以上に文筆家で事が成せるのではないかと思うような文を書く。そのドラフィルが書いた文章には、レジドルナの現状が克明に記されていた。


 こちら側がレジドルナ側へ優先的に小麦を配分したことへの謝辞から始まる文章、そこには小麦を巡る生々しいやり取りが書かれていた。アルフォード商会からドラフィル商会に卸された小麦は、ドラフィルと同じドルナ系商会のセッシュ、アーピリオン、シマッチュの三商会を通じて、レジドルナ一帯に間断なく売り捌かれた。


 そのため小麦価格は急降下。売却前の半値以下、一気に一九〇ラントまで下落した。ところがその直後から大きな買い占めが発生し、値は再び五五〇ラントに上昇。そのため、ドラフィルは一時、小麦の卸を止めて備蓄を行い、今度はそれを一気に放出した。すると値は暴落して一七〇ラントに下落。ところが再び買い占めが行われ、三八〇ラントに値が戻った、と。


(またこれ、ヒデェ操作をしやがるな)


 買い占めているのはいずれもトゥーリッド商会の影響が強いレジ系の商会ばかり。レジドルナの小麦相場は、レジドルナの商人界の構図そのままに、ドルナが売ってレジが買う構図となってしまい、いくら売っても一般市民に安値で小麦が届かない状況になっていると書かれている。全く、何を考えているのかトゥーリッド。


 しかし最近は三〇〇ラント近くまで小麦価が下落しているので、レジ側の商人が持つ手許の資金が底をついたのだろうと専らの噂。一時、一番の高値と言われたレジドルナの小麦相場も、ようやく沈静化してきたというドラフィルからの報告だった。しかし、俺が聞いた程度の小麦の量でトゥーリッドの手許資金が尽きるとは思えない。


 トゥーリッドはアルフォードよりも規模が大きい商会。アルフォードが仕入れた小麦の一部程度で資金が干上がるとはとても思えない。もし干上がってしまったとしたら、それはこれまで小麦を買い占めていたレジ側の商人達。要はトゥーリッドにパシられたに過ぎないということ。なので引き続き警戒するようにドラフィルに封書を送ることにした。


 ――学園にようやくクリスが戻ってきた。いつもいる人間がいないのは寂しい。クリスと二人の従者、トーマスとシャロンが帰ってきた事で、やっと学園の暮らしが正常に戻ったのだと安心できる。


 以前は、というより現実世界でもそんな感情を持ったことはなかったのだが、俺にどんな心境の変化が起こったのか、それは俺自身にも分からない。ただ最近の、アイリとの関わりの変化も大きく影響しているのだろう。


「長かったな」


「長かったよ」


 昼休み。廊下でトーマスと会話を交わす。大変だった事は聞かなくても分かる。トーマスとシャロンは共に従者。直立不動でひたすら待つ事には慣れているのだろうが、要人多数の環境下、しかも敵味方が同じ場所に集まっているであろう狩猟大会という場に長くいるのは、それだけで気疲れするだろう。


「今日の夜・・・・・」


「いいよ」


 言うまでもない。トーマスが全てを話す前に即答した。ただ、夜ということは貴賓室ではなく、ロタスティ。クリスの次兄アルフォンス卿との話ではない。封書が届いていない訳ではないのだろうが、宰相の近辺で何かが起こっているのだろうか。


「クリスの様子は?」


「良くはありませんね」


 予想通りの答えで笑ってしまった。俺につられてトーマスも笑う。


「だって、仕方がないでしょう。義務なんですから」


「去年だったらどうだったんだろうなぁ」


「元から良くありませんので、変わりませんよ」


 トーマスは笑いながら言う。いやいや、本当にクリスの事を分かっているんだな、トーマスは。これぞ従者だ! 伊達に三歳から仕えている訳じゃない。いきなり魔装具が光ったので、トーマスにロタスティで会うことを改めて確認すると、その場から離れた。


 トーマスと別れて魔装具に出ると、新たに『常在戦場』の事務総長に就任したディーキンからだった。用件は三つ。一つは冒険者ギルドの残りの役員が全員退職金を受け取って、冒険者ギルドの精算が完了したこと。これによって王都の冒険者ギルドはその歴史に幕を閉じた。精算費用の請求は『金融ギルド』シアーズに回すように伝えておく。


 二つ目は、ムファスタの冒険者ギルドの件。ムファスタの冒険者ギルドは既に半年間ギルドごと賃借している状態となっているのだが、王都の冒険者ギルド精算を受け、同じようにギルドの売却と登録者の『常在戦場』への加入を求めているとの事である。俺はディーキンに聞いた。


「俺は構わないが、ディーキンの方はどうだ?」


「おカシラに異論なければ大丈夫ですよ」


「ギルド執行部の受け入れ要求があったなら・・・・・」


「事務長の元で働くという条件でしたら問題ありません」 


 本当に企業買収そのものだな。ウチの会社の場合、買収された側だったもんだから、買収先の廃棄物ガラクタ投棄場所と化してしまって、使えん奴を上司に迎えざる得なくなっていた。今回のケース、ムファスタの冒険者ギルドの場合、こちらが大きいものだから、ギルド執行部はその下の下で働かなければならなくなる。どの世界でもこういった話は変わりがなさそうだ。


 俺が了解すれば、ムファスタの冒険者ギルド責任者が王都に上京してくるとの事なので、俺はゴーサインを出す。現実世界で俺はこういった立場に立ったことがなかったので、ディーキンからの承諾話に違和感があるが、ここまで来れば慣れるしかないだろう。三つ目はファリオが一度盾術を披露したいとの事で、学園に向かわせて良いかとの話だった。


「それだったら明日にも願いたい」


「配下の隊員も一緒に行くって事ですから、そちらの手配、宜しくお願いします」


 俺が明日の放課後に待つと返事をすると魔装具が切れた。ファリオさん、予想よりも早く仕上げてきたな。どうせなら明日、アーサーを誘ってファリオさんの盾術を見させてもらうとしよう。


 ――夕方。約束どおりロタスティの個室に飛び込むと、やはりクリスと二人の従者トーマスとシャロンが先に来ていた。笑顔で迎えてくれた従者と、無表情で目を瞑ったままの主人。トーマスが言うように、やっぱりご機嫌斜めのようだ。なので椅子に座って俺から声を掛けた。


「狩猟大会は楽しかったか?」


「楽しくありませんでしたわ!」


 クリスがカッと目を見開いた。いやいや、楽しくなんかないのは分かっているから。


「あのような催しは参加者だけに限るべきですわ」


 国王陛下御臨席の元に行われた、ある意味国家的イベントだと思われる狩猟大会について、クリスは一刀両断にした。意味もなく、ひたすら立たされる事に呆れ果てたというのである。


「貴族同士が顔を合わせるのが大切だと言うなら、夏のシーズンで十分ではありませんか。それを数ヶ月置いて狩猟大会で同じような事を・・・・・ 本当に飽きもせず、よくできますわね」


 この国の貴族儀礼についてかなりご立腹のようである。しかし、俺に怒っても何も変わらない。大体、国家儀礼とかいう類のものは、基本退屈なものだ。学校どころか、会社の儀礼でさえも退屈なのだから、それは当たり前の事ではないか。


「私、もう参加したくはありません!」


 クリスはキッパリと言う。いやいやいやいや、君は公爵令嬢、それも宰相閣下の一人娘。そんな我が儘が許される訳がないだろう。二人の従者トーマスとシャロンの視線が俺に刺さってくる。なんとかしてくれという合図だ。しかしこれを、どうやって何とかしろというのだ。


「私はグレンのような自由な立場で生まれたかったですわ」


「だったら、トーマスやシャロンとは出会えなかったぞ。俺の身分では、従者なんか付かないからな」


 俺の言葉に、クリスはハッとした。琥珀色の瞳が二人の従者に向く。


「これも定めだ。悪い事ばかりじゃない。クリスがクリスとして生まれなかったら、トーマスやシャロンとは出会えなかったのだからな」


 二人の従者は大きく頷く。クリスは押し黙ってしまった。俺の言わんとする意味が分かったのだろう。クリスはやはり賢い。これはノルト=クラウディス家の教育と躾の賜物だろう。これがウチの愛羅だったら、こうはいかない。おそらく愛羅であれば我を通してしまうだろう。これは愛羅の性格もあるが、育ちや育て方の問題。その責任は俺にある。

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