210 父と娘の対立点

 『グラバーラス・ノルデン』にあるレストラン『レスティア・ザドレ』の個室で開かれた三商会陣営の会合は、海外から仕入れて備蓄してある小麦の売却方法と『貴族ファンド』対策の二点について話し合われた。


 小麦に関しては王都とレジドルナで売り捌く事が決められ、『貴族ファンド』の方は「融資に際して貴族財産の担保に取る事を禁止する法律」を作る工作を行うことが決められた。その工作の担当は・・・・・ もちろん俺である。


 前回の『金利上限勅令』の時と比べ、宰相家であるノルト=クラウディス公爵家との距離が近くなった為、交渉の余地は広がっているとはいえ、こちらの思惑通りに事が運ぶのかどうかは未知数。


 しかしこちら側のメンバーで誰も実現を疑うものはいない。散会時、口々に「報告を待っているよ」「成果を期待する」と俺に声を掛けてきたのだから。そんな中、ワロスが去り際に封書を渡してくれた。


「娘からの恋文だよ!」


 ニヤリと笑うワロス。その顔、絶対に違うってのを分かってるじゃねぇか! 人が悪い、この悪徳商人が。ワロスが立ち去った後、『レスティア・ザドレ』の個室にはアルフォード家の者だけが残った。ザルツが家族で食事を取ろうというので、皆が残ったのである。が、家族だけとなった途端、リサがザルツの糾弾を始めた。


「お父さん! アルフォードが直接売り捌く小麦まで卸してどうするつもり!」


 会合中、珍しく一切笑顔がなかったリサは怒りを爆発させた。


「あの小麦はウチがムファスタで捌くものよ。それを勝手に決めて! ホイスナーにどう話すつもり!」


 リサは激しく捲し立てる。ここまで激しいリサは初めて見る。それだけリサは本気でムファスタで動いたということなのだろう。おそらくホイスナーとの間に話ができていたんだろうな、これは。


「商売は臨機応変。信用第一。利益を得るための最短距離だ」


「そんなこと言って、すぐにはぐらかそうとする! 外でいくらイイツラしたって、内の信用を失ったら意味がないのよ!」


 リサがヒステリックに叫ぶ。ヤバイよ、ヤバい。これがリサの笑顔の下に隠された本性か。いやぁ、コワイコワイ。


「これでホイスナーにはより高値で捌いてもらう名分が立った。ホイスナーも喜んでくれる」


「はぁ! 妙な言い訳しないで! バカにしているの!」


 喜ぶザルツを見て、リサは更にヒートアップする。リサの剣幕にロバートは見て見ぬフリだ。多分、過去にヒステリックモードのリサを見たことがあるな、ロバート。


「事実だ。リサよ、小麦の価格、前と先ならどちらが高値になる?」


「・・・・・」


「ならば具体的に言おう。今と三ヶ月後、どちらの方が高値で売り捌ける」


「・・・・・三ヶ月後よ。それが何か?」


 ザルツの言葉にムスッと返すリサ。


「安い価格の段階において、全て同業者に卸す名分が出来た。お前が怒ったことで、我が商会が疑われることはない」


「そうか! 相場が上がりきっていない今売り捌くよりも、値が釣り上がった状態で売ったほうが利益が上がる!」


 ザルツの話、俺はようやく理解が出来た。先に譲れば、価格値が上昇した後にこちらが売り捌いても、文句が出ないという訳か。なるほど、先に譲る、即ち信用を得る。信用第一とはよく言ったものだ。


「ワシはリサというアルフォード内の抵抗を押し切ってでも、他の商会に優先的に卸したと男だと思われた訳だ。こんな美味しいポジションはない。リサには感謝しているよ」


「・・・・・もうっ! お父さんったら! 怒って損したじゃない!」


 笑うザルツに、我に返って恥ずかしがるリサ。どうやら勝負は決したようである。


「・・・・・ごめんなさい・・・・・」


「いや、リサが我が商会の事を真剣に考えてくれているのがよく、よく分かったよ。ありがとうな、リサ」


「お父さん・・・・・」


 リサはザルツを見つめている。笑みを浮かべるザルツ。ウチの家でも愛羅とこんな関係になることができるのだろうか。そう考えると羨ましくもあり、妬ましく思ってしまった。しかし、ザルツとリサのような父娘関係になるためには、やはりザルツのように自分から娘に当たっていかなきゃいけないのだろうな。


「グレン。サルスディアのギルドが立ち上がったぞ」


 ザルツが突然言ってきた。おお、そうなのか。遂に立ち上がったのか。以前、番頭のトーレンから相談があった件だ。あのとき俺は、クリスの了解を得て、トーレンに許可を出し、長兄でノルト=クラウディス公爵領の領主代行であるデイヴィッド閣下にサルスディアギルド設立予定の報告を送ったのだ。


「サルスディアギルドの会頭はテスラプタが就任した」


「テスラプタ商会の!」


 テスラプタ商会はモンセルで最後にアルフォード商会の傘下に入った有力商会。そのテスラプタがサルスディアに赴き、会頭になったという。曰く、ジェラルドやホイスナー、ロブソンには負けられないとの事で、モンセルの外に飛び出して仕事をしている同郷人への対抗心から受けたようである。まぁ、やる気があるのはいい事だ。


「領主代行のノルト=クラウディス卿にも書簡で報告して、了解をいただいた」


 こちらから封書を送っておいて良かった。これもクリスのおかげ。感謝しなくては。デイヴィッド閣下に礼状も送らなくてはならないな。


「ところで、先ほどの話だが貴族から担保を取る事を禁止する法律の策定を、宰相に至急具申してくれ」


 続いてザルツは俺に指示を出してきた。だが『貴族ファンド』の件は黙っていて良いのか? 俺はザルツに聞いてみた。


「まだ宰相閣下、いやノルト=クラウディス家には『貴族ファンド』の話は伝えていないがどうすれば・・・・・」


「なにぃ! どうしてだ」


 珍しくザルツが語気を強めた。何か上司に怒られた気分だ。俺はすぐに宰相閣下に伝えていない理由を話した。


「頂いたボルトン伯の手前、宰相閣下とはいえ、他の貴族に知らせるのはマズイと」


「どのような話からボルトン伯から回状を受け取ることになったのだ?」


 俺は呼ばれて学園長室に赴いてからの状況を詳細に話す。学園長代行に就任した事を伝えてきた話から、私には不要と言って回状を渡してきた部分に至るまでである。俺の話を黙って聞いていたザルツは暫し考え込んだ。そして言った。


「ボルトン伯から受け取った話を含め、宰相閣下に伝えるがよい」


「いいのか? 本当に」


 宰相閣下に話して、ボルトン伯からの信用を失うのが怖い。


「逆にお前は宰相閣下に伝えなければならない。それがボルトン伯の意志だからだ」


「どうして?」


「まず他人に知られたくなくば、お前には見せぬ。それに回状にサインをしなかった時点で貴族社会に意思を示しておる。この回状だって『貴族ファンド』の立ち上げが発表された時点で白日の下に晒されるのだから、いずれ知られること」


 確かにそうだ。知られたくなければ俺なんかには渡さない。しかしそれを宰相閣下に伝えてよいのか?


「これはワシの推測だが、ボルトン伯は宰相閣下、いやノルト=クラウディス家と何らかの提携を模索しておるのかもしれんぞ」


「えっ!」


「理由はわからぬ。が、ボルトン伯はお前がノルト=クラウディス家やドーベルウィン家といった家門と繋がりがある事を承知している筈。その上で渡しておるのだ。思惑がないはずがないだろう」


 確かにその通り、ザルツの言う通りだ。しかし、


「この話を知ってから一週間も経ってしまっている。大丈夫だろうか」


「それは構わぬ。早かろうと、遅かろうと、知らぬ事を伝えてくれれば誰でも感謝する。


「この案の具申に関しては公爵令嬢と相談の上で行うが良い。おそらく宰相閣下と直接協議することになる」


 ザルツはそう言うと、店員を呼びに外に出た。戻ってきたザルツは少し時間だが、コース料理とワインを頼んだと話す。しばらくしてドアが開いた。きょうの料理は妙に早いな。そう思って見ると、俺は思わず立ち上がった。そこには居るはずのない人物が立っていたからだ。


「ニーナ・・・・・」


「お母さん!」


「母さん!」


 リサもロバートも声を上げた。ニーナの横にはジルもいる。


「みんな元気なようだね」


 俺はニーナに駆け寄り、思わず抱きしめた。


「ニーナ、また会えるとは思わなかったよ」


「大袈裟よね、グレンは」


 小柄なニーナは俺の腰回りに手をやって、ギュッと抱きしめ返してくれた。思わず涙が溢れてくる。まさかニーナと再び会えるなんて夢にも思わなかった。母ではないのに母以上に母性を持つ母ニーナ。きっと俺より年下なのに、母らしい母ニーナだ。


「四人乗りの高速馬車を回してもらったから、みんなのいる王都に行こうと誘ったのだよ」


 ザルツは俺たちにそう説明してくれた。俺のマネをしたのか、ジルがリサに抱きつく。ジルの身長が前より伸びたようだ。俺が手を離すとニーナは言った。


「アルフォード商会に来て、初めての遠出だったわ」


 そうか。ニーナはアルフォード商会へ嫁に来て、初めてモンセルの外に出たのか。あの時、リサが四人乗りの高速馬車を手当してくれて本当に良かった。こうしてニーナとジルが王都にやってきたのだから。やがて出てきたノルデン料理のフルコースをみんなで食べる。アルフォード家の六人全員で食事を囲んだのは、俺が王都に出てくる前日以来の話だ。


「今まで、ずっとモンセルの館を守ってもらっていたからな。王都での仕事っぷりを見てもらったらいいと思ったのだ」


「私が見なくたって、みんな頑張ってやってくるのは分かってますよ。もちろん貴方も」


 よほど嬉しいのだろう。モンセルにいたニーナと比べ、ものすごく明るい。それと共にザルツもにこやかだ。この夫婦、本当に仲がいい。仲の良さはウチも負けてはいないつもりだが、子供も含めた家族という点では、パーフェクトゲームで負け確実。こればかりはどうしようもない。祐介と愛羅を交えて四人で食事したのはいつだったのか・・・・・


 ロバートのディルスデニア話、リサの王都話、そして俺の学園話。ジルは最近、商館で計算の手伝いをするようになったと話す。将来は一人で仕事ができるようにしたいと表明し、皆を喜ばせた。ニーナは俺に聞いてきた。


「学園はどうだい。お前が行きたいと焦がれた学園は」


 そうだった。俺はモンセルにいた頃、ずっと学園入学のため、あれやこれやと苦闘していたのだったな。今から考えれば的外れな事も多く、期待していたものとは違った部分も少なからずあるが、ここに入らなければ今はなかった。それだけはハッキリ言える。


「思っていたものとは違っていたけれど、悪くはないよ」


「悪くはなかったのなら、良かったわ。もし悪かったら、すぐ辞めてモンセルに帰っておいで」


 ニーナは優しい。本当に優しい。ウチの母親にはない母性がある。生みの親より育ての親というが、ニーナは実の母より母だと感じる。だからニーナに甘えてはいけないと思うのだ。ワインも回り、話も佳境に入ってきた頃、ザルツはリサに聞く。


「リサ。明日の仕事は?」


「今の所、予定はないけど・・・・・」


「だったら、今日はお母さんと一緒に泊まりなさい」


「でもグレンが・・・・・」


 俺のことを心配してくれるリサ。こういうところがリサらしい。


「俺は明日も学園だから、リサは泊まったらいいよ」


 リサをモンセルから連れ出した日の事を思い出す。リサの思いは別として、俺はニーナからリサを取り上げたのだ。ニーナがせっかく王都までやってきたのだから、少しでも長い時間、一緒に過ごせるようにしてあげたい。だから俺はリサに『グラバーラス・ノルデン』に宿泊するように勧めた。


「分かったわ、そうする」


 リサが答えると、ジルが「やったぁ!」喝采する。リサにべったりだったもんな、昔から。ロバートは久々の家族集合でテンションが上ったのか、少し呑みすぎたようで千鳥足。ニーナがワインを飲んでいるところを初めて見たので少し驚いた。色々あったが家族揃っての夕食は実に楽しい。俺は皆の見送りを受けて、一人ホテルを後にした。

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