170 近侍レティシア

 宰相補佐官アルフォンス卿の使いとして学園にやってきた宰相補佐官付、アルフォンス卿の従者グレゴール・フィーゼラーとの会見の席に、クリスと二人の従者以外に近侍希望のレティと行儀見習いのアイリ、二人のヒロインが謎の肩書で参加している。君たちは一体何がやりたいのか?


「グレゴール。今日は何用で?」


 クリスが家中の者であるグレゴールに問う。するとグレゴールは持ってきたカバンから、封書を取り出して代読した。


「小麦の件、再度尋ねたい儀あり。小麦不作との報が相次ぎ、貴族から宰相府への照会が増加している。小麦の入荷がいつ始まる見通しであるかを返答いただきたい由」


 やはりそうか。宰相府にまで照会が来ている以上、もう誰も凶作の話を止めることはできないな。いよいよ凶作と対峙する時が来たようだ。


「我がアルフォード商会が当主ザルツが長男ロバートと共に明日、ディルスデニア王国より王都に戻ります故、明後日当主と共にご説明に上がらせていただければ」


「おお、そうか。では時間や場所を決めなければ」


「帰還次第、お知らせ致します故、アルフォンス卿のご予定通りに」


 帰還を知らせる封書は宰相府に、アルフォンス卿からの封書は『グラバーラス・ノルデン』にザルツ宛で、それぞれ送ることを確認した。


「正直申せば、小麦の件、切迫した状況にある。宰相閣下もアルフォンス卿も憂慮なされておられる」


 所領持ちの宰相派貴族が、小麦の不良を訴えて次々に訪れているのだという。目下のところアルフォンス卿が応対しているのだが、おかげで宰相補佐官の仕事に支障が出ているそうだ。こちらが予想した以上に深刻のようである。


「故に再度尋ねることとなったのだ。アルフォンス卿もそれを気になされている」


「こちらの方こそこれまで詳細な説明ができずに申し訳ない次第」


 グレゴールは宰相府に戻ってアルフォンス卿へ早急に伝えると告げると、貴賓室を後にした。グレゴールを見送った後、着座する一同。俺はすぐさま口を開いた。


「近侍を志望とはこれ如何に?」


「弟ミカエルの襲爵を期として、わたくしも家を出、ひとり立ちをしなければと」


 すました顔で近侍志望者レティは言う。俺は顔色一つ変えずに尋ねる。


「ならばリッチェル子爵家が属する派閥領袖りょうしゅうエルベール公に筋というものではありませぬか。それをノルト=クラウディス公爵令嬢の元へとは、此れ如何に?」


「・・・・・」


 レティが沈黙する。俺は更に詰める。


「リッチェル子爵家の宰相派への宗旨替えをお考えあっての事か?」


「アハハハハ!」


 突然の笑い声が本室に響いた。メゾソプラノの笑い声、声の主はクリスだ。


「ご、ごめんなさい。グレンがそこまで真剣になるなんて」


 横にいるレティが「プッ」と笑う。従者側を見ると、トーマスもシャロンもアイリも声こそ出していないが笑っている。


「レティシアも見たいと言うので、近侍希望という体で同席していただいたのです」


「騙すつもりはなかったのよ。働き口は見つけなきゃ、って本当だから」


 クリスの説明にレティが追従する。まぁ、害はないのでとやかく言うつもりはなかったのだが・・・・・


「レティの無表情は絶対に崩しておかないと、と思ったんだよ」


「なによそれ!」


 レティが口を膨らませた。みんなが一斉に笑い出す。


「まぁそれはそうとして、明日ザルツが帰って来る。そこからどう動くかだ」


「忙しくなるのですか?」


「少なくとも家族内での話、三商会での話、あとアルフォンス卿との話の三つがある訳だからな」


 クリスの問いかけに答えた。どんな話し合いになるか、やってみないと実際分からない。決闘話の条件交渉も残っている。また落ち着いたら皆で食事しようと約束して、俺は貴賓室から離れた。


 ――翌日、教室に入るとフレディとリディアに手招きされた。


「凄い額だよ」

「貰い過ぎじゃないかしら・・・・・」


 先日、寮に届けた二七〇万ラントの件だ。俺は成功報酬だからもらって当然だと思うように改めて伝える。実は昨日にも言ったのだが、日本円で八一〇〇万相当、動揺もするか、と思った。


「まだ活動費用の精算もしていないのに」


 フレディが言ってきた。シーズン後半に入る際に渡した三〇万ラント、あの活動費の精算がまだ終わっていないと。


「それは全額チャーイル教会に寄付する」


「え!」


「当然だろ。デビッドソン司祭は一文も受け取っていない。それに受け取られないだろう。だから全額チャーイル教会に寄付する。頼むぞ」


「で、でも・・・・・」


「リディア。デビッドソン司祭のような人こそ教会を指導する立場に相応しい人だよな」


「ええ。私もそう思うわ」


「だからその人に預ければ間違いないって事だ。頼むぞ」


「あ、ああ・・・・・」


 俺は力押しで押し切った。こうでもしないとデビッドソン家の人間は受け取られないからだ。カネは受け取る価値のある人間にこそ渡すべきもの。司祭もフレディもそういう人間である。ボルトン家からの報酬を含めて、しっかり受け取ればいい。二人に対し改めてそう言った。


 ザルツ達が戻ってくるので午前中で授業を切り上げ、リサと共に馬車で『グラバーラス・ノルデン』に向かった。フロント横のラウンジで待つこと三十分。ザルツとロバートを乗せた高速馬車が到着する。


「お父さん、お兄ちゃん、おかえりなさい」


 馬車に駆け寄ったリサが声を掛ける。二人共リサに笑顔で応えた。中々の強行軍だったはず。にも拘わらずザルツもロバートも元気そうだった。俺たちはそのままレストラン『レスティア・ザドレ』の個室に入り、ここ数日で起こったことをザルツに報告した。


「アルフォンス卿にはすぐに連絡を入れなければいけない」


 ザルツの言葉に席を外そうとすると、リサが「私が封書を用意する」と言って部屋を出た。続いてジェドラ、ファーナス両者については、今からすぐに会議を招集するとザルツ自らが連絡を取るということになった。また会議には『金融ギルド』責任者ラムセスタ・シアールを呼ぶべきだと主張し、それが通ったので、俺が連絡を取る。


 ジェドラもファーナスもシアールも「すぐに行く!」との返事だった。みんなザルツの話を待っていたのである。やがてリサも戻ってきた。ザルツの帰還をしたため、宰相府へ早馬を飛ばしたのである。俺がディルスデニアの協議はどうだったのかと問うと、ロバートが大変だったよ、とボヤいた。


 ザルツとロバートで急遽ディルスデニアに赴いたのだが、中々会えないのではと思っていた首相イッシューサムとはすぐに面会することができた。それ自体は良かったのだが、その後が大変だったらしい。


「イッシューサムが俺たちとの再交渉を認めなかったんだ」


 ディルスデニア王国の首相イッシューサムが、ロバートと合意した条件の再交渉を「一旦決まったものを覆せば約束の意味がなくなる」として一切認めなかったのだ。そのため交渉の入り口から立ち往生してしまい、アルフォード側は引き下がるしかなかったという。再交渉は初日から暗礁に乗り上げた。


「それでオメオメと引き下がったの?」


「するわけないだろ! 次の日も交渉したよ」


 リサの刺々しい問いかけに、ロバートはムカついた感じで言い放つ。リサはこういうとき、いつもロバートを挑発する。初日から膠着した再交渉の話だが、ザルツとロバートは翌日もイッシューサムとの交渉に臨んだ。しかし前の日と同様、交渉に進展はない。再交渉を臨むアルフォード側と拒否するイッシューサム。その構造に変化はなかった。


「全く変わってないじゃん」


「ああ、そうだ。初日と最初から二日間、再交渉をするかしないか、その話だけだったからな」


 既に合意済みだと再交渉を拒否し、一歩も譲らないイッシューサム。ロバートはあの手この手を使って再交渉を求めたが、その全てをイッシューサムは拒否。話は入り口から全く進む気配はなかった。


 ディルスデニア王国の首相イッシューサム。路上踊りストリートダンスから身を起こし、人々にカニとメロンを配る術で今の地位を築いたと豪語する人物。その話だけを聞いたら大した事はないと思うのだが、ロバートが二度目の交渉を挑んだ際には、手も足も出ない状態。やはりのし上がるには、相応の才覚があると見るべきだろう。


「結局、ダメだったの?」


 話を聞いたリサは結論を問う。要は可否を知りたいのだ。


「俺もダメだと思ったさ」


 頑なに拒否するイッシューサムを見て、再交渉はもう無理だと思ったらしい。その時、ザルツが腹が減ったので食べましょうと、持ってきたトマトパスタとカルボナーラを取り分け、三人で冷めた二種類のスパゲティを食べた。すると何故かイッシューサムが涙ぐんだらしい。


「ここからだよ、変わったのは」


 それまでロバートとイッシューサムで行われていた交渉が、ザルツとイッシューサムとの交渉に変わった。二人の間でロバートと合意した条件を変えないことで合意すると、取り決め以外の部分での交渉にイッシューサムが応じたのだという。しかし冷めたスパゲティーでどうして変わったのだろうか?


 ロバートは話を続ける。交渉の方は急速に進展。ノルデン王国に属する馬車がディルスデニア王国の首都ラシュワンに乗り入れすることを認める事や、ディルスデニア側の国境の街ルパイルでの倉庫開発、いわゆる物流センターへアルフォード商会が投資することが決まった。


「合意するのに三十分とかからなかったよ」


 話が終わるとイッシューサムはザルツの手を一生懸命握りしめ、固く握手をしたらしい。それを聞いた俺は、ロバートにどうして急に交渉が成立したのか聞いてみた。


「いや、なんで交渉が一気に成立したのか分からないんだよ」


 ロバートは首を傾げる。これはロバートに聞いても仕方がないな、と思った俺は黙って腕組みしているザルツに話を振った。


「スパゲティーに意味があるのか?」


 誰もが思う素朴な疑問。俺はザルツに対し、シンプルに問い正した。

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