155 アルフォンス卿

 休日二日目の午後、学園貴賓室にて行われた俺と宰相補佐官アルフォンス卿との会見は、概ね予定通りに推移した。小麦調達の進捗状況、毒消し草買い占めという二つの点について、少なくともアルフォンス卿の疑念を晴らす説明はできたと思う。ザルツが「ありのままを話すがいい」と促してくれたのが幸いした。


「ところで、小麦が入ってきたとして、無事食糧の問題が解決するだろうか?」


 アルフォンス卿が真剣な面持ちで尋ねてきた。小麦を入れただけでは解決するとは思っていないようである。それは俺が考えるに正しい疑念であろう。


「容易ではございますまい」


 アルフォンス卿は俺の言葉に頷いた。


「アルフォードが小麦を入れてもそれだけでは解決にならぬ理由とは何か?


「実需と相場は異なります故、現実とは別の動きをするからにございます」


 俺は説明した。仮に市場が小麦で満たされていたとしても「足りぬ」と思った者は小麦を買いに走る。だから結果として小麦に買いが殺到し、相場の値は実需と切り離されて独り歩きを始めてしまい、結果何者も手が出せなくなってしまう。だから価格値は実需で決まるのではなく、人の「思惑」で決まるのだ、と。


 俺の話を聞いたアルフォンス卿は黙って考え込んでしまった。代わりにクリスが口を開く。


「だから「思惑」が一人歩きを始めるのですね」


「そう。だから上からいくら押さえつけても「思惑」は一人歩きを続ける。人の口には戸が立てられないのと同じ」


「つまり『勅令』を以てしても、ということか?」


「残念ながら、それ・・だけでは」


 アルフォンス卿の言葉を俺は否定した。命令とは聞くことができる状況下で初めて有効となるもので、聞かぬ者が増えてしまえば形骸化され、蔑ろにされてしまう。


「利に聡い者は小麦を隠し、不安に駆られた人々は見えぬところ、知らぬところで買いに走るだけですわ、兄様」


「クリスティーナ・・・・・」


「つまり、いくら命令を出したところで人々に不安がある限り、仮に小麦が余っていても表に出回らず、不足が続くという事態に陥るでしょう」


 俺とクリスの言葉にアルフォンス卿は困惑しているようだ。俺たちの言っていることは頭では理解できるが、ではどうすればよいのか、という対策が頭に浮かんでこないのであろう。


「・・・・・では、人々の不安を払拭するにはどうすればよいのだ」


「ひたすら売り続けるのです。ひたすら」


「ひたすら・・・・・」


 「ひたすら」という言葉にアルフォンス卿は唖然としている。おそらく単純過ぎて呆れているのだろう。しかし、人々が「小麦で満たされている」と思うまで売り続けるしかない。


「ひたすら売り続ける為に、我が家の当主と嫡男は他国と何度も折衝を重ねておるのです」


「分かった。小麦の件に関しては当面の間、ひたすら売り続ける以外に方法がない、ということだな」


 俺はアルフォンス卿に頭を下げる。現段階でそれしか答えがない以上、これ以上の事は言えない。アルフォンス卿は話題を切り替えてきた。


「小麦の出来について、何か存じておるか?」


「最近、東部地域に赴く機会がございましたが、シャムル地方、ルカナリア地方、共に不良でございました」


「私も王都南部のネニオアナ地方、マシュート地方。王都の西北に近接するダマール地方、王都西部のテマーラソ地方を視察する機会を得たが、こちらも不良だ」


 どうやらモンセルを中心とする北部、ノルト=クラウディス公爵領やセシメルがある東北部、東部地域、南部地域、そして王都周辺部も凶作であるようだ。


「レジドルナを中心とする北西部も不良です」


「何故、リサ殿はご存知なのだ?」


 ん? リサ殿????? なんなのその近さ。


「先週、所用があり、赴いておりまして、その折」


「先週とは。リサ殿は実に活動的な女人じょにんだ」


 リサは黙って頭を下げた。なんだなんだこの空気は。アルフォンス卿とリサの間には妙な親近感みたいなものが漂っていた。


「いや、今日は実に有意義な話を聞くことができた。今後、またこのような機会を求めることがあろうかと思うが、そのときには頼むぞ」


 俺は頭を下げる。そしてアルフォンス卿が立ち去る前、前室で俺と共に並ぶリサに「リサ殿も元気でな」と声を掛け、従者グレゴールや衛士と共に貴賓室を退出していった。どうもアルフォンス卿はリサを気に入ったらしい。リサの方も満更ではないようだ。身分が違うので間違いはないだろうが思わぬ展開。俺は伏せ目のリサをチラ見していた。


 ――長らく動きの無かった決闘話が動いたのは、貴賓室でアルフォンス卿との会見が行われた翌日、平日初日の昼休みの事だった。一報を届けてくれたのは子爵家の三男ディールである。ディールは血相を変え、フレディと話していた俺の机の前に駆け寄ってきた。


「アルフォード! お前、決闘に学園の退学を賭けたのか?」


「はぁ?」


 ディールの言葉に呆気にとられた。何を言っているのか分からない。


「何も賭けてねえぞ、俺」


「いや、告知板の張り出されている「決闘告知書」を見たら、お前が学園の退学を賭けてコルレッツに決闘を申し込んだ、と書かれていたぞ!」


「なんだと!」


 ディールの説明にフレディが立ち上がった。


「グレン! やられたぞ!」


 フレディの言葉を聞いたディールが吠えた。


「オルスワードだ。オルスワードがやりやがった!」


 ・・・・・オルスワード。オルスワードがねぇ。下らねえことをしやがる。


「ちょっと! グレン、どういうこと?」


 リディアが赤毛を激しく上下に揺らせて教室に入ってきた。


「七人も同時に戦うなんてできるの?」


 俺とフレディは思わず顔を見合わせた。七人? なんじゃそりゃ。


「そうなんだよ、アルフォード。コルレッツの代理人七人と戦うって書かれていた」


 ディールの説明に首を傾げる俺。フレディも傾げている。おかしい。いや、おかしいってもんじゃないだろ、これ。


「もしかして・・・・・ グレン、何も知らないの?」


 リディアの問いに首肯した。全く知らねえよ、俺。


「通知は?」


「ないな」


 俺が答えると、リディアとディールが「何それ!」「ヒデーーー!」と声を上げた。しかし、オルスワード。お前、やり方が最悪だな。


「しかし、コルレッツの為に七人も代理人になりたがる奴がいるなんてバカだろ! 誰だそいつら!」


 俺が声を上げると、目の前にサッと紙が差し出された。差し出してきたのはクリスだった。


「これが代理人よ」


 見ると、リンゼイ以下七人のバカの名が列挙されている。


子爵家 リンゼイ・ラーキス・フィングルドン


子爵家 ティモシー・オイリーン・ロイド


男爵家 デリー・ダンカン・ケンドール


男爵家 ハロルド・モルダー・ハイドン


ブラッド・オースティン


ウィルフリッド・ソリメノ


タイロン・ヘイヴァース


 七人中四人が貴族子弟。リンゼイが子爵の次男、ロイドは子爵の三男、ケンドールは男爵嫡嗣、ハイドンは男爵次男。後は宮廷官吏の息子ソメリノ、地主の息子で男性攻略者ブラッド、そして騎士家の次男ヘイヴァース。リンゼイとブラッドの他は『ジャンヌ・ソンタクズ』のメンバーだ。よくもまぁ、ボンクラが名を連ねたものである。


「やるの?」


「決まっているんだから、やるしかない」


 クリスに聞かれて答えていたら、スクロードが教室に飛び込んできた。


「おい、スクロード。クラスが違うぞ!」


「違うんだ。グレン、すぐ来てくれ」


 スクロードが俺の腕をひっぱってくるので、何事と思い、走るスクロードと並走する。そしてロタスティ付近にまで連れてこられた。


「あそこだよ、あそこ!」


 スクロードが指差した先には・・・・・ アイリ、そしてレティがいた。俺は脇目も振らず近付く。するとコルレッツと取り巻きである『ソンタクズ』達と対峙しているではないか。その場に出ようとすると、アイリとレティがなにか言い合っている。


「アイリス、ちょっと」


「レティシア、止めないで。この決闘の原因は私だから」


 どうやらアイリスが何かをしようとしているのを、レティが止めているようだ。向かいに立っているコルレッツは顔を引きつらせている。しかし完全放置状態。それを誰も動かすことはできない。動けないのだ。これぞ『エレノオーレ!』の頂点に君臨するヒロインの力。アイリはコルレッツに向かって真っ直ぐに青い瞳を向けていた。


「ですから私、アイリス・エレノオーレ・ローランは、サルンアフィア学園の規則に則り、貴方ジャンヌ・コルレッツに決闘を申し込みます!」

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