154 再交渉

 ディルスデニア王国に今から行く。ノルデン第五の都市ムファスタから王都に戻ってきて二時間も経っていないのに、ザルツは動くと言い始めた。すぐに用意をと言われたロバートは、俺たちが集まっている『リスティア・ザドレ』の個室から慌てて出ていった。二人乗りの高速馬車も手配できたようである。ザルツは行く気マンマンだ。


「宰相補佐官のアルフォンス卿から、小麦調達の状況と毒消し草の買い占めの件について問い合わせがあって、ザルツの到着を待って返事すると言ったのだがどうすればいい?」


 この前、アルフォンス卿の従者グレゴールがやってきた件について話すと、ザルツは事も無げに言った。


「ならば、ありのままに言えば良い。すぐにだ。早いほうがいい」


 ザルツは俺に向かってそのように指示する。その上で、もし必要であるならばザルツが王都に戻り次第、改めて報告に上がると伝えるようにとの事で、俺は了承した。続いてリサがザルツに聞く。


「ジェドラ商会とファーナス商会から聞かれたらどうしますか?」


 そうなのだ。ジェドラもファーナスも、今現在、毒消し草の件しか知らない。主要ミッションたる小麦の件について全く話していないのだ。リサからすればレジドルナの毒消し草を買い占めてしまった手前、二商会から聞かれた場合、何らかの答えを示さなければならないと考えているようだ。


「もうすぐ当主が戻ってくるので、その際に説明させていただく、そう言えば良い」


「でも・・・・・」


「リサ。宰相閣下と二商会は違う。宰相閣下の方は怒りを買えば潰されるが、二商会の場合は齟齬そごきたそうが、後で修復などいくらでもできる。大切なのは収益だからだ。結果、収益が上がれば道理は引っ込む」


「・・・・・分かりました」


 ザルツに諭されて、リサは引き下がった。リサはどの部分が引っかかったのだろうか?


「二人共、留守を頼んだぞ!」


 ザルツは到着した馬車にロバートと一緒に飛び乗り、ディルスデニア王国へと旅立っていった。王都トラニアスに身を置くことわずか三時間。ザルツは風のように去った。


「行っちゃったわねぇ」


 ポツンと言うリサを誘い『リスティア・ザドレ』の個室で、残された俺たち二人は昼食を摂っていた。俺はリサに気になった事を訊ねる。


「ところで・・・・・ どうしてザルツに言われた時、納得していない感じだったんだ?」


「ウィルゴットから催促が来ているのよ」


 なるほど。ジェドラ父が焦らされてウズウズしているんだな。よく考えれば現段階、ジェドラ商会は運搬屋。本格的に商人の顔を出す機会がまだない。毒消し草が第一幕なら、第二幕があるはずと踏んで催促しているのだろう。でも、あれ? 何か変だ。


「どうして俺のところに催促に来ないんだ?」


「決闘中って教えておいたから」


 あ、そうか。流石はリサ。ありがとう。俺たちは食事を終えると学園の馬車溜まりへと引き上げた。


 ――リサと別れた俺は伝信室で手紙をしたため、封書を女子寮受付に渡した。相手はクリス。クリスに封書を差し出すのは初めての経験。そう思うと、なぜか急に恥ずかしくなってしまい、急いで女子寮から飛び出してしまった。


(い、いかんな、煩悩が出てくる)


 俺は鍛錬場に赴き、立て木を打ち込む。決闘を申し込んでいるので練習量を増やそうと思ったのだ。現に決闘を申し込んだ日から鍛錬の時間を増やしている。昨日、一昨日は打ち込みを普段の三倍行っていて、今日も同じくらいの量が打ち込めるだろう。そんな事を思っていたら時間はいつの間にか十八時。かれこれ四時間以上打ち込み続けていた。


(こりゃ、打ち込み八千回を超えたな)


 ここまで集中して打ち込んだのは久しぶりだ。おかげで握力はなくなったが、なんだか気持ちがスカッとする。今まで色々有り過ぎた。何も考えず集中する時間はやっぱり必要。そんな事を考えていると、背後から馴染みのある声が聞こえてきた。


「こんな時間まで練習か」


 振り向くまでもなくクリスの従者トーマスだった。


「トーマス。どうしたんだ?」


「お嬢様からの言付けだ。明日十四時。貴賓室に、とのことだ」


「早かったな」


「すぐに返事が来たんだよ」


 学園とノルト=クラウディス家との間で早馬のピンポンダッシュがあったようだ。しかしそれにしても早い。それはそうと、せっかくトーマスと二人っきりだ。前回の貴賓室の件で気になっていた事を聞いてみた。


「あのさぁ。クリスとアイリっていつの間にあんな関係になったんだ?」


「ローランさんか?」


 トーマスが確認してきたので頷いた。トーマスはアイリの事を名前で呼ばず、姓で呼ぶか。親密になったのはクリスとアイリだけなのか?


「俺も分からないんだよ。コルレッツの取り巻きにローランさんが囲まれていたところを助けた次の日には、あのような関係になっておられたからな」


「シャロンはなんと?」


 黒髪の従者がどう言っていたのかを聞いてみると、トーマスが微妙な表情になってしまった。


「・・・・・ ムフフフ、と・・・・・」


 はぁぁぁぁぁ? あの無口なシャロンがかいな! 


「女にしか分からない世界ってのがあるんだなぁ」


「だろうなぁ」


 俺とトーマスは何故か同時にため息をついた。理由は分かる。経験不足なんだよ、経験不足! 俺たちは女に対して経験不足なんだよ! 俺は一人脳内で喚いた。


 ――翌日。俺とリサは約束の時間より十五分早く学園の貴賓室を訪れた。アルフォンス・グラハム・スティーブン・ノルト=クラウディス。ノルト=クラウディス公爵の次男で宰相補佐官を務めるアルフォンス卿との会見に臨むためだ。俺は濃紺の商人服、リサはオフホワイトのジャケットにパンツスタイル。


 俺と共に何故かリサがいるのは先方、アルフォンス卿からの要望である。以前「貸し渋り対策」のときに、俺の代わりに交渉役としてシアーズと共にアルフォンス卿と協議したことがあり、その縁であろうと推測している。俺はアルフォンス卿と一度しか顔を合わせていない為、思考については分からないので何とも言えない。


 ただリサに事情を話して会見の同行を求めると、妙に機嫌がいいのが気にかかる。どうしてそんなに機嫌がいいのだ、リサ。ドアをノックして一緒に前室に入ると、既にクリスと二人の従者、そして何と行儀見習いの女子生徒が一列に立っていた。


「え、アイリ・・・・・」


「行儀見習いのローランです」


 驚く俺に無表情で頭を下げるアイリ。本室のドアの前で立つクリスを見ると無表情に目を瞑って立っているだけだ。アイリの横に並ぶ、トーマスもシャロンも無表情に前を向いている。なんだこの光景は・・・・・


「グレン。私たちもお待ちしましょう」


 リサに促されて俺はアイリの隣に立ち、俺の横にリサが位置した。待つこと五分、従者グレゴール・フィーゼラーの先導でアルフォンス卿がやってきた。


「久しいなグレン・アルフォード」


 声を掛けてきたアルフォンス卿に俺は「ご無沙汰しております」と恭しく頭を下げた。アルフォンス卿はリサにも「あの節以来だな」と声を掛け、リサは「卿もお変わりなく」と返す。今日のリサは妙に上品だ。


 俺たちとの挨拶を交わしたアルフォンス卿はクリスと二、三の会話を交わすと、クリスの案内で本室に入り着座した。座席は真ん中にアルフォンス卿、アルフォンス卿から見て左に俺とリサ。右にはクリス。その後ろに二人の従者と行儀見習いが立っている。アルフォンス卿の従者グレゴールは主人の後ろに立った。同行の衛士は前室で待機している。


「今日の席は公式のものではない故、単刀直入に聞かせてもらおう。小麦は手に入りそうか?」


 アルフォンス卿は俺に正してきた。


「はい。周辺諸国より手に入れること、可能でございます。ただ・・・・・」


「ただ?」


ただ・・で譲ってもらえる状況にはございません」


「・・・・・だから毒消し草なのか?」


 アルフォンス卿からの問いかけに俺は頷いた。


「近年、ディルスデニア王国とラスカルト王国では疫病が蔓延しており、解毒剤が不足しております。故に毒消し草を・・・・・」


「欲しておるというわけだな。こちらが小麦を求めておると同じように」


 飲み込みが早いな。クリスといい、ノルト=クラウディス家の人間は基本的に頭の回転が速いのか。それとも家内の教育方針の成果なのか。


「それゆえ、毒消し草を買い占めておるという訳か」


「左様にございます。小麦と毒消し草との交換という話になっておりまして、現在その条件を詰めておるところ」


「話によるとアルフォード商会の当主は嫡男と共に急遽、再交渉に赴いたとの事だが」


「昨日、ラスカルト王国より王都に戻って参りました当主ザルツと我ら兄弟が会議をしておりましたところ、ディルスデニア王国との交渉で好条件を得たはずの嫡男ロバートが、実はたばかられたことが明らかとなり、急ぎ赴いたと」


「すぐにですか?」


 俺の話にクリスが反応した。おそらくザルツの動きに驚いているのだろう。


「はい。その場で馬車を用意し、長男と共に出立致しました。王都に在留したのは三時間程度・・・・・」


 皆、口には出さなかったが驚いている。どう考えても全く休んでいないのだからな。


「本来であれば当主がご説明に上がらねばならぬところ、そのような事情で叶わぬ状況。ですが我が父は出立前、補佐官殿に一日も早い説明をと私に指示を行い、令嬢を通じご連絡を差し上げた次第」


「なるほど、そのような事情が・・・・・ ところでディルスデニアに謀られたとは、どのような手口で・・・・・」


 興味深げに聞いてくるアルフォンス卿に首相イッシューサムとロバートとの交渉の流れを説明した。するとアルフォンス卿は驚きの後、笑い出した。


「なんと。相手にそれほどの好条件を出したかと思えば、とんでもない落とし穴を掘っているとは! やるな、ディルスデニアの首相!」


「人を喜ばせながら嵌めてしまうとは悪趣味ですわね」


 兄に釣られてか、クリスまでが笑い出した。


「クリスティーナよ。お前がアルフォードに飽きぬ理由、改めて分かったぞ。非常に刺激的だ」


「兄様もようやくお分かりになりましたか?」


 おいおいおい。君たち、何ウチの家で遊んでいるのだ! ウチはネタでやっているのではなく真剣にやっておるのだ。その結果、エライ事になっているだけなんだから、これ。笑うノルト=クラウディス家の兄妹を見て、俺は心のなかで訴えた。

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