143 ソントの戦い

 ボルトン伯爵家は元々、王都トラニアス西部に所領を持つ男爵家であったという。それが現王朝アルービオ家の挙兵に際し、いち早く呼応して参陣した事から、王朝成立時に伯爵に叙せられ『ルボターナ』に名を連ねた。『ルボターナ』とは当時の言葉で「早期帰参」の意だそうだ。つまり『ルボターナ』とは、アルービオ早期帰参組ということになる。


 功績によりトラニアスの東にあるリモスフェストという地を与えられたボルトン伯爵家の当主は、与えられた所領の名を自らの名前である「ボルトン」に改め、ボルトン城の建設に着手。完成した城の周りには城下町が形成され、今のボルトンの街となった。


 ボルトン伯爵家の家中の中にも功績で爵位を叙せられる者がおり、まずシャルマン家が、次にルナールド家が、そしてキコイン家が男爵に叙せられた。この間百五十年あるというのだから悠久の歴史である。この三家はいずれもボルトン伯爵領内に分封ぶんぽうされ、それぞれの家が領国開発を競ったという。


 状況が変わったのは百三十年前のこと。ノルデン王国では王位継承問題で揺れていた。当時の国王マティアス二世には二人の息子がいた。一人は長男フリッツ、もう一人は次男アンリ。大人しいフリッツに対し、活動的なアンリという対照的な二人は、成長するにつれ、次第に対立する関係に変わっていった。


 この対立の大きな原因が次男アンリの野心であった。アンリは婚約者が決まらぬ兄を尻目に学園在学中、先に婚約者を獲得する。それが時の宰相アルベルティ公の令嬢であった事から衆目を集め、アンリ待望論が台頭し始めた。何故ならアルベルティ公は単に宰相であるだけではなく、最大派閥アルベルティ派を率いる貴族派の中心人物だったからである。


 宰相アルベルティ公という強力な後ろ盾を得たアンリは、同世代の貴族らを近侍として周りに置き、次期国王の座を虎視眈々と狙っていた。父王マティアス二世の優柔不断な性格につけ込んで、まだ決まっていない王太子の座を既に我がものとしたかのような振る舞いを行い、遂には「王太子代理職」なるものを勝手に作って、その地位に就いた。


 これに業を煮やしたのが当時のボルトン伯の当主ユリアン。ユリアンは学園の同級生らと共にフリッツを支えるグループを作る。彼らと国王の長男フリッツは同級生であり、やがてアンリの近侍らと衝突を繰り返すようになり、それぞれの武装騎士らの小競り合いにまで発展するようになった。


 これによって王都トラニアスは不穏な空気に包まれるが、ボルトン伯ユリアン以外目ぼしい貴族がいないフリッツ派と宰相アルベルティ公を後ろ盾にするアンリ派との間には越えられないくらいの大きな差があり、武装騎士らがいかに衝突しようがその差は揺るぎようがない、はずだった。


 ところが事態を一変させる出来事が起こる。ノルト=クラウデイス公フーベルトが長男フリッツ側に付いたのだ。理由はユリアンらが掲げた「克己復礼こっきふくれい」だったという。意訳すると「私欲を捨てて社会の礼節を取り戻す」というもので、これがノルト=クラウディス公を動かしたとされている。


 王室の外戚でもあるノルト=クラウディス公は当時、王国最大領地を持ちながらどの派閥にも属さぬ中間派として活動し「孤高の公爵」と呼ばれていた。そのノルト=クラウディス公が付いたことで勢いがついたフリッツ派は、派手にアンリ派と衝突しながら味方の貴族を増やし、当初皆無だった貴族勢力を三:七にまで持っていくところまで来たのである。


 これに危機感を持ったアンリはなんと「王太子代理職」の名で騎士団を動かした。これが「アンリの挙兵」と呼ばれるが、騎士団が全て動いたわけではなく、動かなかった騎士団や、フリッツ派に身を投じた者が現れた。この事態にノルト=クラウディス公は激怒。「賊徒アンリを討つ」と自領の騎士団を動かし、王都に向かって南進を始めたのである。


 王国最大の貴族が自領の騎士団を率い、王都に向かって進軍する異常事態に貴族社会は騒然となった。そんな中、フリッツ派に付く貴族が続出。アルベルティ派の有力貴族ウェストウィック候がフリッツ派に付いたことで、遂にフリッツ派の貴族勢力がアンリ派を上回った。ん?


「ウェストウィック『候』?」


「当時、ウェストウィック家は侯爵家であったのだ」


 そうだったのか。百三十年前はウェストウィック『候』だったのか。ボルトン伯の説明に納得し、話の続きを聞いた。


 そんな中、ユリウスらフリッツ近侍の貴族らは、フリッツを奉じて王都を出て、ノルト=クラウディス公と合流。フリッツ軍が結成される。この急造のフリッツ軍にフリッツ派の貴族らが続々参集したことで、フリッツ軍はアンリ側よりも多数の貴族と多数の兵力を擁する軍団へと成長した。


 勝負あったかと見られたが、アンリはアンリ派を結集し、トラニアス郊外のソントという村に結集していたフリッツ軍に戦いを挑んだ。これが「ソントの戦い」である。ところが戦いと名が付いているものの、その内容は戦いとは程遠いものであった。


 戦いに挑まんと進軍していたアンリ軍であったが、途中で有力貴族アウストラリス公が離脱。それを合図として少なからぬ貴族が離反してしまい、それを見た騎士団の多くも離脱してしまった。そしてアンリ軍がソントに到着する頃には、その数百名足らずとなってしまっていたというのである。


「こんなところでアウストラリス公が・・・・・」


「アウストラリス公爵家は、このとき我が家と同じくアルベルティ派に属しておったのだ」


 なんと。アウストラリス公爵家だけでなく、ボルトン伯爵家も当時の最大派閥に属していたのか。聞けば聞くほど、何か話が繋がっていく。ボルトン伯は話を続けた。


 それでも何とか対峙した形となったフリッツ軍とアンリ軍だが、フリッツ軍の人数の多さを見たアンリ軍の参加者は半分が逃亡し、残りの半分が大将であるアンリを捕らえて投降したことで戦いが終わってしまった。


(え! それで終わりなの)


「戦死した者は三名と記録されている。しかしそれはアンリ軍内での争いの中での死者。一人は木から落ちて、もう一人は失神。そしてもう一人は馬と接触して亡くなったそうだ。本当に大変な戦いだったらしい」


 ボルトン伯は真顔で言う。いやいやいやいや、それは戦死者じゃない! 単なる事故死だ。というか戦ってないじゃん! そこ真顔で言うところじゃないから。本気で大変な戦いだったと言えるボルトン伯のメンタリティーに、心の中でズッコケてしまった。


 まさかノルデン最後の戦いと言われる「ソントの戦い」がここまでフザけた、というかギャグに走っていたとは・・・・・ 安定のエレノクオリティーだ。これでは「ソントの戦い」ではなく、「コントの戦い」じゃないか。しかし殺伐とした現実世界のことを考えた時、エレノのような展開の方がずっとマシなのかな、と思ってしまう。


 戦いと呼べるのかどうかも分からぬ戦いに勝利したフリッツ軍は、捕縛したアンリと共に王都トラニアスに入り、王宮に向かって進軍した。これを見た国王マティアス二世は狼狽し、退位を宣言する。何も決断できなかった国王は、退位だけは自分で決断したのである。宰相アルベルティ公は宰相を辞任し、爵位と所領の返上を申し出た。


 王宮に入ったフリッツは即位を宣言。国王フリッツ一世となる。そして勲功第一のノルト=クラウディス公フーベルトを宰相に任じた。これが今も続くノルト=クラウディス公爵家の宰相位世襲の始まりである。貴族勢力逆転に貢献したウェストウィック候は公爵へと陞爵しょうしゃく。アウストラリス公は咎めもなく、所領は安堵された。


 一方、捕らえられたアンリはアンリ以外の全姓名を放棄。エレノ世界で姓名放棄とは、最下層の身分に落とされる行為で、最も重い処罰とされる。それを自ら求めたということで、刑死は免れた。そして妻子とは離別の上、幽閉となりそこで世を去る。爵位と所領を返上したアルベルティは、一族を連れてラスカルト王国へ入国。実質的な亡命であった。


 そしてボルトン伯ユリアンはフリッツ即位の功績によって隣地スキルノとアズキニール、飛び地であるリッテノキアを賜った。これによって領地が一.七倍に広がったのである。ユリアンは飛び地リッテノキアを最古参の男爵、シャルマン家に分封し、元の分封地を直領とした。ところがこの処置が躓きの元となる。


「ご先祖様のシャルマン家の「仕置しおき」が借金の始まりなのだよ」


 仕置とは所領持ちの貴族に対する処置の事を指し、この場合、シャルマン家の転封処置のことを仕置と言っているのである。


「どうしてそれが始まりに?」


「リッテノキアの前領主が全く手入れしていなかったのだよ」


 リッテノキアはアンリ派に与していたビスコネラ子爵の領地。ビスコネラ子爵は自ら降爵こうしゃくを願い出て、仕置で転封した。このビスコネラが領地に全くカネを入れていなかったのである。


「リッテノキアはシャルマン家に分封した領地。だから手をかけなくてはならなくなったのだよ」


 家臣に不毛な大地を渡した。あってはならないことが起こったのだ。ボルトン家はリッテノキアが軌道に乗るところまで資本投下を続けなければならなくなったのである。結果、十年近く投下を続け、その費用の多くが借財で賄われたという。ボルトン家は領地を賜ったが故に借金暮らしに転落したのである。しかしそれだけではなかった。


「我が家が派閥に属さぬ中間派となってしまった事が財政を逼迫ひっぱくさせたのだ」


 どういうことなのだ? 中間派で支出が膨らむという事なのか? ボルトン伯の説明はこうだ。アルベルティ派に属していたボルトン家はボルトン伯ユリアンがフリッツ派に身を投じたために閥を出なければならなかった。そして戦いの後、派閥はアウストラリス公とウェストウィック公で二分され、ボルトン伯爵家はそのどちらにも参加できなかった。


 理由は二つあって、一つは縁者が双方の派閥に属した事、もう一つはボルトン伯ユリアンが抜け駆け的に身を投じてしまったが為に多くの貴族に嫉妬され、派閥に属せなかった事である。要はカッコつけと見做されて、のけ者にされてしまったのだ。


「あれでウチはあちこちのパーティーに顔を出さなくてはいけなくなった」


 派閥に属していれば、他派閥の貴族のパーティーに無理をしてまで参加しなくてもいい。「派閥」を理由にできるからね。「派閥」は我が身を守る安全保障なのだよ。しかし派閥に属していなければ、身を守るのは全て自身で行わねばならぬ。全てのことを単独でやり続けるのは大変な事なのだ。ボルトン伯は真剣な面持ちでそう言った。


 確かに会社に勤めていれば保険や税金などの手続きは事務方がしてくれるし、交通費だって出る。自分の部署以外の仕事だって普段はやらなくていい。しかしこれが自営業となれば事務手続きは全て自分でしなければいけないし、交通費は自腹。どんな仕事もこなさなければいけない。他人に任せれば、全て自分持ちである。それと全く同じだ。


 俺は勤め人しかしたことがないから自営の気持ちは分からない。こっちの世界に来てもアルフォード商会という母屋の中で仕事しているだけなのだから、現実世界の時とさして変わらない。今はアルフォード商会に居るのか居ないのか、グレーゾーンの位置で仕事をしているから何とも言えないが、立ち位置としたら自営ではないだろう。


「独立独歩の中間派と言えば聞こえはいいが、結局は成り行き任せのはぐれ者・・・・なのだよ、ボルトン家は」


「しかし『ルボターナ』という名門」


「だから尚更何処にも入れないのだ。その体面を維持するだけの財を持ち得ぬのにな」


 ボルトン伯は自嘲気味に言った。名門故の悩み。ただでさえ自由に振る舞えぬ貴族社会なのに、「名門」の縛りでより動けなくなる。打つ手そのものが限られているのに、その名によって更になくなるという悪循環。だが、その問題に立ち向かった者がボルトン家でもいたという。ボルトン伯ファルコ三世。アーサーの曽祖父に当たる人物である。


 ファルコ三世は借金体質のボルトン家を立て直すため、農業改革と鉱山開発を行った。農業はルナールド男爵の進言を容れ、農業代官に任命して大豆の栽培を導入。三つのミスリル鉱を開発し、キコイン男爵を鉱山代官に充てた。代わりに分封地を本領に組み込んだ事で二つの男爵家は共に所領を失ったが、不平不満を漏らすことがなかったという。


 これは時代の変化で、小さな領地のみでの経営が難しくなってきたという事情があり、分封地を維持するよりも主家と一体となって領国経営に参画する道を選んだと言えよう。ファルコ三世の取り組みによって、ボルトン家は収入を大幅に増やした。ところが問題が発生する。収入も増えたが、借金も増えたのである。


 どういう事なのか? ファルコ三世が進めた農業改革も鉱山改革もその費用を借金で賄ったからだった。皮肉なことに借金体質を脱する為に借金したことで、結果、借金体質がより加速するという結果に終わった。これ以降、ボルトン家ではその場限りの対処策に終始することになる。そしてファルコ三世より六十年余、ボルトン家は遂に行き詰まった。


「全く恥ずかしい話だが、こういう次第だ」


 ボルトン伯はため息交じりにそう言った。ボルトン家の借金の因を知るには、三百五十年に及ぶボルトン家の歴史を知ることで、初めて理解できるもの。だが、そこには問題解決の答えはない。しかし知らなければ事前対処ができないのも、また事実。この辺り、どう考えればよいか? 歴史の苦手な俺が考えられるような話ではない。

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