122 新学期

 ウィルゴットとのやり取りから俺は確信した。ジャンヌ・コルレッツは『世の理』を捻じ曲げて学園に存在している事を。しかしどうやってそれを実現したのか。乙女ゲーム『エレノオーレ!』の世界を司る『世の理』。その力の強さは婚約イベントの件を見ても明らかだ。正嫡殿下とクリスの婚約話を潰しても、他の婚約話で穴埋めしたのだから。


 『世の理』を変えるのは、転生者の知識をもってしても難しいはず。学院に存在する筈のジャック・コルレッツを消し、学園に存在しない筈のジャンヌ・コルレッツを置く。そんな芸当をどうやって実現したのか。


「グレン! 少しいいかな」


 廊下で一人考えている俺に声をかけてきたのは正嫡従者フリックだった。姿を見たのは『学園懇親会』以来だ。


「『学園懇親会』の時には助けてもらったらしいな。カインから話を聞いたよ。礼を言うぞ」


「たまたま殿下の跡を付けているのを見たからな。約束だから黙っている訳にはいかなかた」


「お前には何度も助けられている。無理を言って済まない」


 フリックは改めて頭を下げてきた。誠実、丁寧がフリックの特徴なのだが、それが俺に向けられるのは気恥ずかしい。俺は「当然の事をしたまでだ」と答えると、フリックが改めた態度で言ってきた。


「殿下が君と会いたいと申されている。どうだ来週辺りは」


 いよいよ来たか。コルレッツ話以来、ちらついていた正嫡殿下アルフレッドとの会見。ここまで正面から切り出されては断る事もできまい。俺はフリックに一つの提案を行った。


「フレディ・デビッドソンと共にというのはどうだろうか」


「ああ、あの時のデビッドソンか。何か掴んだのだな」


 俺は頷いだ。すると、ならばという感じで、今度はフリックの方がカインの同席を求めてきたので、俺は了解した。しかしカインとフリックの仲、ゲームでは見えていなかったもの。こういうモノが可視化される度に不思議な気分になる。フリックは来週にでも一席を設けるよと告げると、俺の元から去っていった。


 今日は気分が良かったので、黒屋根の屋敷のグランドピアノを弾いた。屋敷にはリサはいない。レジドルナの商人ドラフィルと会うためムファスタへ向かっているのだ。リサのことだ、ウチのホイスナーとドラフィルとで妙案を考え出して、レジドルナとムファスタの薬草を買い占めてくれるだろう。万事リサに任せておけばいい。


 工事の方も二期工事が終わったとの事で、屋敷には俺一人だ。当たり前なのだが、やはり器楽室のアップライトとは感覚が違う。同じピアノであってもグランドとアップライトは別の楽器だ。グランドにはグランドの、アップライトにはアップライトの強みというか、音の鳴り・・の癖に違いがあって、曲によって向き不向きがある。


 俺はグランドを持ちたいと思ってはいたが、だからといってアップライトが嫌だという訳でもなかった。というのも高速トリルがある曲など、アップライトの構造上、弾く切ることが難しい曲を弾くレベルに達していなかったからだ。


 しかも皮肉なことにウチの家にあるアップライトは弦が長く、弦の短い普及型のグランドの音色に勝る部分があった。だから俺のレベルではこれで十分、そんなに弾けていないんだからと割り切っていた。


 ところがこのエレノ世界に来てからというもの、『ピアノ』なる能力はあるわ、商人剣術で音楽が推奨されているわで、本当にのめり込んでしまった。集中できる、気が紛れるという部分があったことは否定しないが、素直にピアノを弾きたいと思えるようになった事で、俺的は技倆が格段に向上し、グランドでなければ満足できなくなってしまっている。


 フルコンで練習していたら音が楽しくて仕方がない。少しピアノに集中しすぎてしまったようで、気がつけば予定時間を少し過ぎてしまった。ピアノを弾くと、これがあるから怖い。気をつけないとあっという間に時間が過ぎる。俺は屋敷と学園を新たに繋いだ『近道』を魔装具を使って学園内に入り、アイリがいるだろう図書館に向かった。


 実はリサがエッペル親爺に頼んで、魔装具を作っている魔道士ギルドを紹介してもらい、魔道士ギルドが持っていた『魔導回廊』なる技術を用いて、黒屋根の屋敷と学園を繋ぎ、魔装具を持つ者だけが通ることができる『道』を作ってしまったのだ。この『道』の存在を俺が知ったのは、一二〇万ラントが魔道士ギルドから請求された後の事である。


 学園図書館の一番奥にある、所定の机。そこを目指して歩くと、所定の席の向かいには輝くようなプラチナブロンドの髪をミディアムに整えた女子生徒がいた。


「アイリ!」


「グレン!」


 俺が呼ぶやいなや、アイリはスッと席を立ち駆け寄って来てくれた。「元気だった?」と言いながら俺の手をとって握ってくれるアイリ。俺は「ああ、元気だったよ」と応じたが、一月ぶりに会ったアイリの、この積極的な行動はなにか気恥ずかしい。俺の年齢に不相応だからか。


「グレン、行こう♪」


 俺の手をとって、いつもの机に引っ張ってくれるアイリ。これだけで凄く新鮮な気持ちになるのだ。これがアイリが持っている力なのだが、本当に癒やされる。人気がない図書館で向かい合わせに座る俺とアイリ。健全なお付き合い的なノリにときめく・・・・俺。正直、佳奈に申し訳ない。俺の胸中をよそに、アイリが帰郷の話を一生懸命してくれた。


「妹も帰ってきたので、家族みんなで家の片付けをしたの」


「えっ? アイリ、妹が居たの?」


「あ、はい。グレンに言ってませんでしたっけ」


 キョトンとするアイリ。いや、俺は初めて聞いたぞ。しかしゲームでアイリの妹なんて出てこなかった筈なのだが・・・・・


「ソフィアって言うんです。修道院から帰ってきたので・・・・・」


「修道院!」


 俺はビックリした。俺たちよりも年下なのに、もう修行させられているのか! あの『トンスラ』とかいうザビエルカットされるのか? 可哀想に・・・・・


「修道院で学習させてもらえるの。私も行ったけれど・・・・・ 代わりに住み込みで奉仕しなくちゃいけなくて」


 思わずザビエルカットのアイリを想像してしまった! アカンやつやないか!


「頭、カットされたのか?」


「えっ?」


 こんな髪型になったのかと言葉と手振りで伝えると、アイリに笑われてしまった。


「それは男性ばかりいる僧院ってところのお話ですよね。私が行ったのは女性ばかりがいる修道院ですから」


「そうなのか・・・・・」


 アイリがザビエルカットにされていなくてホッとした。アイリは俺の勘違いを笑いながら妹の事について話し出した。妹はアイリの二歳下で、前の帰郷の際には修道院に入っていたので会えなかったが、今回は会えたと。


「ソフィアが凄く喜んでくれて・・・・・」


 修道院の住み込み奉仕を終えたソフィアは、自分との再会を喜んでくれたとアイリは嬉しそうに話した。


「レティも弟との再会を喜んでいたなぁ」


「レティシアが?」


 長期休学中、レティシアの弟が王都に来て、俺とレティの三人で会った事を話した。


「会いたかったなぁ。レティシアの弟さん」


 まさかまさかの言葉だった。


「来年学園に入学してくるから、もう少ししたら会えるよ」


 俺がそう言うと、会えるのが楽しみですね、とアイリが微笑むと、おもむろに右手の甲を俺に見せてきた。


「あのですねぇ。この指輪の事を妹に話をしたら羨ましがられました」


 指輪。そうアイリの右手中指には『癒やしの指輪』が光り輝いていた。


「グレンが見つけてくれた、と胸を張って言いました!」


 いやいや、そんなに胸を張られても。ゲーム知識で手に入れただけのものだから、こっちの方が恥ずかしくなってしまう。


「レティシアの『守りの指輪』の話をしたら、他にもあるの? と聞かれたのでクリスティーナさんの『女神ヴェスタの指輪』があると言っておきました」


 妹にそんな話までしたのか・・・・・


「グレン。後、どんな指輪があるのですか?


 ギクリとした。アイリに『女神ヴェスタの指輪』を取りに行った事を察知されたのかと思ってしまったからである。しかし、アイリの雰囲気を見ているとそうでもなさそうだ。


「『勇者の指輪』というのがある。これは正嫡殿下のものだ」


「正嫡殿下がお持ちに!」


 アイリは両手で口を塞いだ。そりゃそうだ。我々から見たとき、正嫡殿下は雲の上の人。何しろ次期王太子最有力者であり、将来王位を継承することが確実視されている人物なのだから。その人物と結ばれる未来があったアイリなのだが、本人にはその自覚が皆無のようで、「そんな御方にも指輪があるのですね」と感激するだけだった。


「グレンは休みの間どうだったの」


「クラウディス地方に行ってきたよ」


 俺の方が聞かれる番となって一瞬肝が冷えたが、無難にやり過ごせた。


「あの『玉鋼たまはがね』という金属ですね」


「いやぁ、大変だったよ。遠かったし。でも手には入れたよ」


 どういう訳か、アイリの前でクリスの事を話すのをためらってしまう。何か喋ってはいけないと感じてしまったのだ。嘘は言っていないのだが、どういう訳か後ろめたい気分。なんなのだろう、この感覚。


「手に入って良かったですね」


 無邪気に喜んでくれるアイリに「ああ」と答えることしかできなかった。


「また外でパフェが食べたいですね」


「『玉鋼たまはがね』で作った刀ができたら、一緒に行こうか」


 アイリは屈託のない笑顔で「はい」と答えてくれた。こういうアイリは本当に可愛い。その日、俺たちはそれまで顔を合わせなかった穴を埋めるかのように図書館の閉館時間まで語らい、その後はロタスティの個室に移動して、一緒に食事を摂りながら他愛もない話に花を咲かせた。


 その日の夜、俺の手持ち資金が静かに三〇〇〇億ラントを突破した。クラウディス地方に旅立ったことで二週間ほど取引ができずにいたが、その間に買い込んでいたエリクサーやオリハルコンを浴びせ売りして、一気に一〇〇〇億ラントを増やせたのだ。


 カネは一度増えだすと、加速するようだ。三〇万ラントから一〇〇〇億ラントに到達するのに三ヶ月、二〇〇〇億ラントに到達するのに二ヶ月ほどかかったが、三〇〇〇億ラントは一ヶ月程度。惜しむらくはこれほどのカネがあっても現実世界に持っていくことができないことだ。まぁ九兆円持っていって、何に使うというのはあるのだが。


 ただ無意味にひたすら増やす。同じことを反復して、それをひたすら続けるというルーチンワーカーにとってはうってつけの作業だ。人と人とを繋げるみたいな、不確定な数式はどうも俺の手には合わない。そういうものはザルツやリサが得意なのだから、得意な人間がすればいいのだ。


 最近は毒消し草とか凶作とか、複雑過ぎるパズルみたいな出来事が多すぎる。既にある手順を覚えるだけなら楽だが、どこから繋ぎ合わせればよいか分からぬジグソーパズルはしんどい。こういうものを考えるのが不慣れな俺にとって、鍛錬やピアノ、相場なんかのような定形作業は、やり続ければいいだけなので、本当に気が楽なのだ。


 定形作業だけをやっていたら幸せなのだろうが、俺が欲しいものは佳奈との生活。だから手に合わない毒消し草の買い占めスキームに力を注ぐ。これらをクリアしないと、おそらく俺は帰ることができない。すべての問題を解決すれば俺は佳奈に会える。そう信じてやる以外、俺には道がないのだ。ではアイリはどうするのか?


 それは今・・・、考えないでおこう。

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