120 ミカエルの決断

 俺が放った「十五になったら子爵になろう」という言葉にリッチェル姉弟は空気とともに硬直し、微動たりともしなかった。二人共、俺が顔合わせの場において、いきなり爵位の継承を持ち出してくるとは思わなかったのだろう。


「遅かれ早かれ子爵になるんだ。だったら早いほうがいい」


 俺の発言に対して、二人から肯定の声も否定の声もない。まだ固まっている。


「厄介事は学園に入る前に片付けるんだ」


「・・・・・と、ど、どうしてそこまで急ぐの・・・・・」


 レティがようやく口を開いた。


「凶作だからだ。相場は確実に動く。リッチェル子爵がやらかさないと思うか?」


「・・・・・やるわね。確実に・・・・・」


 レティは俺の指摘を肯定した。そうなのだ。お調子者のリッチェル子爵が人に乗せられない訳がないのだ。「凶作相場で必ず儲かる」と言われたら、家中に黙ってカネを動かすに決まっている。最悪サインのみの無担保でカネを借りてやらかすやもしれない。姉弟の姉パリタス男爵夫人だって地雷原になりうる。リッチェル子爵家はとにかくヤバいのだ。


「両親と兄姉を封じ込めるには、ミカエルが子爵になるしかない。そう言ったよな」


「ええ」


「そのタイミングが早まっただけの話。凶作問題で機先を制するのだ」


「あ、あの・・・・・ それは一体・・・・・」


 俺とレティのやり取りを見ているだけだったミカエルが、意識を取り戻したのかようやく声を上げた。


「ミル・・・・・ 実はね、全土で作物が不良なの。確実な事は言えないけど、私の家も不作になるかもしれない・・・・・」


「それだったら・・・・・」


「収入が減って、大変なことになるのよ。それどころか食糧が足りなくて領民が飢えるかも・・・・・」


「!!!!!」


 ミカエルはレティの話を聞いて絶句している。まだ十四歳、現実世界で言ったら中学三年の子供に、親兄弟はアテにならないから後を継いで凶作に対処しろというのは、あまりにも酷な話だ。


「凶作対策は俺とレティで考えよう。だが、リッチェル子爵家が揺れ動いたら、いくら対策を立てても無に帰すだけだ」


「ミルが・・・・・ ミルが子爵になれば揺れ動かない・・・・・」


「そうだ。両親兄姉が出てくる余地がなくなるからな」


 俺の言葉にレティは頷く。ようやく俺の意図を理解できたのだろう。


「僕が子爵になります!」


「ミ、ミル・・・・・」


 ミカエルが強い口調で宣言した。


「僕が子爵になれば、僕の許可なくしては父上も母上も兄上も、誰も何もできないのでしょ。やります! 僕が子爵になります!」


 ミカエルは俺に強く迫ってきた。「やります!」と来たか。これは本気だな。


「アルフォードさん。教えて下さい。僕が子爵になる為に何をするべきなのかを!」


「ミル・・・・・」


 必死の形相で俺に聞いてくるミカエル。そのミカエルの横顔を見るレティ。その声が震えていた。見るとエメラルドの瞳には涙が溜まっている。こんなレティを見たのは初めてだ。


「エルベール公のパーティーで「十五歳になればリッチェル子爵を襲爵する」と宣言する事だ」


「宣言・・・・・」


「そうだ。襲爵宣言すればパーティーに出席している貴族たちの目も変わるだろう」


 嫡嗣と当主。現世利益を追求する貴族たちが、どちらと関わり合おうとするか言うまでもないだろう。襲爵を口に出すということは数カ月後には当主になる人物。限りなく当主なのだから。


「その話承りました。エルベール公のパーティーでミカエルの襲爵を公言致します」


「姉上・・・・・」


 レティはキリリとした顔と声でそう宣言した。その勢いで俺に質問してきた。


「グレン。父に許可を取らなくても良いのですね」


「ああいいよ。取る必要はない」


 襲爵に関しては必ずしも当主の了承を得る必要はない。信じ難い話だが、それがエレノ世界の流儀。実はリッチェル子爵家ではレティが子爵から誓約書を取り、領主代行の采配権を得ている。これによって子爵位の襲爵請求権はリッチェル子爵ではなく、レティが保持している形となっているのだ。レティの請求によってミカエルの襲爵が可能という話。


 普通、貴族は国王から位を授けられているのだから、国王に襲爵を願い出でれば良いように思うが、エレノ世界は一筋縄にはいかない。まず襲爵の届けを教会に出し、主教からその認定を受け、教会経由で国王に請求する形となっているのだ。どうしてなのか理由は不明らしい。とにもかくにも教会の手続きを経て、国王が追認することで襲爵が完了する。


「つまり私がリッチェル子爵位のミカエルへの継承を教会に請求すれば襲爵できるわけ?」


「ああ満十五歳になったらな」


「アルフォードさん、その話、どこでお知りに?」


 俺が最近立ち上げてもらった、警備団の責任者グレックナーの妻室が貴族社会に精通しているので、その人から話を聞いたと説明した。レティが「グレックナーさんの!」と感心している。


「ではエルベール公のパーティーで「リッチェル子爵位を襲爵します」と言ってきます!」


 ミカエルは晴れやかな顔で改めて宣言した。襲爵話はそこから始まる。まずは第一段階、これをしっかりクリアすることだ。


「グレン。ありがとう」


 レティはそう言うと素直に微笑んだ。まさか最初からこんな話になるとは思わなかっただろうが、襲爵話はどちらにせよ避けては通れない話。話を進めなければ、ミカエルが学園に入学してもずっと付きまとってくる。凶作が後押ししてくれたと思えばいい。大きな話を終えた俺たち三人は緊張感から開放され、ワイン片手に歓談を楽しんだ。


 歓談が終わった後、レティとミカエルは『グラバーラス・ノルデン』のスイートルームで宿泊するのでそのままホテルに残る手筈となっていた。姉弟水入らずで過ごすといい、という俺の気持ちだ。帰る間際、レティが何度も「ありがとう」「お願いね」と繰り返していたのが印象的で、普段と違うレティの姿に軽い驚きながら、俺はホテルを後にした。


 もうすぐ長期休学が終わるというのに、学園には人影が全くなかった。これは入学時の時もそうだったのだが、殆どの生徒は直前にならないと現れないのだ。シーズンでパーティーのある貴族ならまだ分かる。しかしリディアのような平民階級の生徒であっても、まず学園にいない。一体何を考えているのかサッパリだ。


 この辺りの事情について、アイリに聞いたことがある。ところがアイリは「どうしてでしょうねぇ~」「分からない♪」と、ボケをかましてしまっていて、全く参考にならなかった。アイリはとても真面目なのに、どこか抜けたところがある。まぁ、そこも可愛いのだが。エレノ世界は直前でないとやらない・・・・、動かない文化なのだろう。


 俺は誰もいない学園で、鍛錬場での鍛錬と図書館での読書。屋敷でピアノの練習に打ち込んだ。生活を元のリズムに調子を戻すのに、結局一週間以上かかった。二週間の穴はそれだけ大きいということだ。俺のような基本同じことしかできない人間にとって、リズムを戻すというのは倍以上の労力がかかる。リズムを早々に戻す人がいるが、あれは超人だ。


 シーズン前半の生活のリズムに戻り、鍛錬を終えて風呂に入った後、ロタスティの方に向かう途上、レティとバッタリ会った。四日ぶりの再開だ。ミカエルの話を聞くと、無事パーティーに出席する大役を終え、子爵領に帰っていったそうだ。


「ミルは堂々と言ってくれたわ。反応も上々だった。やっぱりハッキリ言った方がいいわね、ああいう席では」


「良かったな、レティ。まずは第一関門突破だ」


「全てグレンのおかげよ。ありがとう」


 エルベール公のパーティーでミカエルが襲爵を宣言した。これで少なくともエルベール公以下、エルベール派の面々はミカエルを次期子爵として見ることになる。内心どうあれ、そうでなければ自派の結束が乱れるからだ。後は継承に必要な二つの儀式、教会と宮廷の突破だ。


「父は病気重篤と理由を告げたわ。病気なのは事実だけどね、別の・・だけど」


 これで少なくとも外部的には姉弟の父、リッチェル子爵が障壁となる事はなくなった。だが基本イカれた父母兄姉。襲爵を巡って何をやらかすか分からない。気を抜かないようにとレティに言った。


「ええ、分かっているわ。異変があったら即伝えて、とミルにも言っているから」


 レティはそう言うと俺に封書を差し出してきた。


「ドラフィルからよ。こんなに早い封書は初めてよ。貴方は馬車といい、早馬といい、何をやれば変えることが出来るの?」


「いや、業者に頼むんだよ。いい案ならカネ出すからって。そうしたら相手が勝手にやってくれた」


 本当にそうなのだ。馬車だって話すと相手が貨車を持ってきたし、早馬だって高速馬車運行で必要な馬が確保したら、早く届けることが出来るようになったのだ。業者の努力であって、俺の努力ではない。


「じゃあ、貴方がそれをさせる・・・空気を醸し出しているのね。大したものよ」


 そう言うとレティは、これから出かけるからと去っていった。シーズン最後のパーティーがあるらしい。レティもああ見えて本当に忙しいな。俺はその場で受け取った封書を開ける。するとムファスタに入る日が手短に書かれていた。その日は今日から四日後。


 俺はすぐに魔装具を取り出し、リサに連絡する。リサは「思っていたより早かったわね」と言いつつも「四日あれば十分」と答え、逆に俺にどこまでの裁量を許すかと問い質してくる。要は仕事にケチをつけられたくないのだ。だから俺はハッキリと伝えてやった。


「全権だ」


 俺の言葉にリサは「分かったわ」と声を弾ませた。以前にも「任せる」と言っていたのだが、リサの猜疑心がそれを認めなかったのであろう。人から見れば面倒だと思われるだろうが、どこをどう駆け引きするかを考えて話さないと仕事をしてくれないのがリサ。だから俺は人生経験のアドバンテージを生かして、リサに働いてもらう方法を選択した。


 長期休学最終日。昼過ぎぐらいから生徒たちは続々と学園に戻ってくる。俺は黒屋根の屋敷でグランドピアノを弾いた後、学園が始まる明日に備え、早めの夕食を取ろうとロタスティへと向かう途上で男女のクラスメイト、フレディとリディアの二人と鉢合わせした。


「よぅ、久しぶりだな。帰ってきたのか!」


 俺は声をかけたが、フレディが厳しい顔をしている。リディアは心配そうな顔をしているので、リディアの話じゃない。どうしたのか、とフレディに問うと大事な話がある、というので急ぎ個室を取って三人で入った。フレディの言う大事な話と言ったら一つしか無い。コルレッツの話だ。


「グレン。驚くなよ」


 部屋に入るなり、俺に言い聞かせるフレディ。帰郷して何があったんだ? フレディは一呼吸置くと全く想定外の事を言った。


「コルレッツが・・・・・ 二人いる!」

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