第11話 啓示あるいは恩寵

 塔が近づくと、広場に魔物たちが出ているのが見えた。


「何だろう…」


 バルクは徐々にスピードを落として、魔物たちの前で止まった。リコが降りやすいように地面に腹をつけて伏せる。魔物たちが一斉に集まってきた。


「リコ、どこまで行ってたの」


「やっぱりバルクだった」


「良かった」


「だから言ったろ」


 リコはあっという間に魔物たちに取り囲まれ、バルクを振り返りながら塔に戻っていった。バルクはしばらく火照った体を地面につけて冷やした。時間は夕方に近かったが、まだ午後の遅い時間、といったところだ。夕焼けの気配もない。


(この時間でこれなんだから、確かに、日が暮れたら総出で探されかねないな)


 ドラゴンの言ったとおりだ、危ないところだった、とバルクは思う。


(そういえば、狼だと、魔物の言葉がわかるんだな。今気づいた)


 リコが魔物と意思疎通しているらしきことはバルクも気づいていた。リコは、魔物の言葉がわかるのだ。意思を伝える方法も持っているのだろう。

 呼吸が落ち着くと、バルクは人間に戻る。

 もう体は十分に回復した。それを確かめることができた。

 聖域の神獣と戦えるか?と自問する。


「もちろん。いつでも」


 バルクはひとり、声に出して言った。



 シャワーを浴びて部屋にいると、ドアがノックされた。


「バルク、入るよ」


 入ってきたのは、いつも身の回りのことをしてくれる、右耳の欠けたファミリアだった。バルクは驚いて目を見開く。


「いま、今、『バルク入るよ』って言った?」


「言ったけど? あ、僕の言うことわかるようになってる!」


「そう、そうなんだ。何でだろう。さっき、狼だと君たちの言葉がわかるな、とは思ってたんだけど。理由はわからないけど、何かが『繋がった』んだ」


「そうかあ。直接話せるなら、ジュイユに通訳頼まなくていいから手間が省けるよ。ちょっとこれ着てみて」


 ファミリアが持ってきたのは、深緑の、魔術師用のコートだった。羽織ってみると驚くほど軽いのに、造りはしっかりしている。


「君たちが作ってくれたの? ぴったりだよ」


「良かった! ヘアーワームの毛を織り込んで作ってるから、軽いのにものすごく丈夫だよ。魔術師は物理攻撃に弱いことが多いから、属性攻撃を防ぐというよりは、物理攻撃を軽減する方がいいだろうってみんなと話し合ったんだ」


 ヘアーワームというのは、長い毛に覆われた毛虫型の魔物だ。防御力が高く、物理攻撃しか持たない者は倒すのに苦労する。この塔でも見たことがある。


「すごい。ありがとう」


「すごいでしょー? 防具にもなる服を作ったのは初めてだったから、難しかったけどすごく楽しかったよ! 気に入ってくれて嬉しい。仲間にも伝えるね!」


 ファミリアは誇らしげに答えた。


「あ、洗濯あるよね。持っていくね!」


「ありがとう、何から何まで。君たちは本当に優しいんだね」


「優しいのはリコだよ。リコの力を感じるところにいると、僕らはリコと同じように、優しい気持ちでいられるんだ」


 ファミリアは目を細めた。


「僕らはみんな、リコを愛してる。リコが愛するものは、僕らも愛してる。リコがバルクのことを好きだから、僕らもみんなバルクのことが好きだよ」


「ありがとう。嬉しいよ。そうだ、きみには名前ってあるの? あるなら教えてよ」


「僕はルーだよ」


 ルーはぴょんぴょん跳ねた。

 バルクは家を持たなかった。強いて言えば、物心ついた時住んでいた、あの孤児院がそうだったかもしれない。優しい大人たち、楽しさや哀しさを共有できる仲間たち。あれはあれで幸せだった。でも、師に見出され、キャラバンと一緒に旅をすることを選んだのは、心のどこかで納得できていなかったのだろうと思う。自分だけの家族を求めていたからかもしれない。キャラバンを飛び出してからも、概ね仲間には恵まれていたと思う。騙されたり酷い目に遭ったこともないではなかったけれども、金と力だけで結ばれた仲間ばかりではなかった。打算を超えた友情があったし、恋人がいたこともあった(パーティー内で恋愛関係になると、最後は酷い別れ方をすることになり、バルクのこれまでの恋愛も例外ではなかった)。

 家も家族も持ったことがないが、もし自分にそういったものがあれば、こんな風だろうか、とバルクは思う。愛で強く結ばれた共同体。なんて優しい場所だろう。


「バルク、死なないで。僕はきみのことも、リコと同じくらい大好きなんだ」


 バルクは床に膝をついて、ルーと目線を合わせて、その手を握った。


「大丈夫。死なない」


 ルーはバルクに抱きついた。

 バルクは小さな背中を優しく撫でた。

 ルーの耳がピクッと動く。


「何だろう?」


「どうしたの?」


 バルクは腕を解いた。


「みんなが集まってる。リコの部屋だ」


「行ってみよう」


 リコの部屋には大勢の、おそらく塔にいる魔物のほとんどが集まっていた。廊下にまで魔物が溢れている。


「どうしたの?」


 ルーは近くにいた骸骨に聞いた。


「リコが、リコが、俺たちは聖域に連れて行けないって言うんだよ」


 骸骨が体を揺すると、骨同士がカラカラと乾いた音を立ててぶつかった。


「そんな!」


 ルーは群衆の隙間を縫って前の方に行ってしまった。



「リコ、そんなこと言わないで」


「そうだよ」


「俺たちも連れて行ってくれ」


 魔物たちが口ぐちに言う。

 リコは悲しげに首を振ると、椅子から立ち上がった。魔物たちは道を開けた。

 リコは居室を出ると、向かいの食堂に移動した。魔物たちもぞろぞろと後に続く。バルクは魔物の群衆の一番後ろで様子を見守った。


「リコ」


「リコ」


「リコ」


 食堂は喧騒で満たされる。リコの姿は見えなかった。


〈みんな、聞いて〉


 食堂は水を打ったように静まり帰った。

 バルクは驚いて顔を上げた。


〈わたしと一緒に行きたいっていう気持ち、すごく嬉しい。本当に。でも、あなたたちを聖域に連れていくことはできないの。ごめんね。あなたたちはいつも、十分にわたしを助けてくれてる。どうお礼を言えばいいのかもわからないほど。あなたたちの希望を叶えられないこと、本当にごめんなさい。愛してるわ。あなたたちみんなを。そして、1人ひとりを。わたしがいない間、あなたたちはここを守ってほしいの。わたしの大好きな場所を〉


 リコは魔物たちを1体ずつ抱きしめた。魔物たちはそれぞれの場所に戻っていった。

 魔物たちがいなくなり、食堂に最後に残ったのはバルク1人だった。リコはバルクに気がつくと視線を落とした。


「こんなことができるなんて」


 バルクはただただ感心して言った。


〈あの…黙っていたことは、ごめんなさい〉


「いや、違うんだ」バルクは慌てて言う。「皮肉で言ったんじゃない。体験したのは初めてだったから、ちょっと感動してしまって」


 リコの顔がぱっと輝く。


〈良かった。嘘をついてるみたいで、ずっと苦しかったの〉


 リコは口を動かさなかった。不思議な感覚だった。


「魔物たちを連れて行かないのは、正しい選択だと思うよ」


 リコはうなずいた。


〈神獣が目を覚ましたこと、あなたたちだけが原因じゃない。多分だけど。わたしの予感が正しいなら、あなたも、危ないことに巻き込むことになってしまうんだけれど…〉


「それは気にしないで。というより、むしろきみたちを巻き込んだのは僕の方だ」


 リコは目をぎゅっと瞑って、何度も強く首を横に振った。


「いずれにせよ…」


 バルクは掃き出し窓からバルコニーに出た。空は夕方から夜へのグラデーションを描いていた。正面には、精霊使いの山が真っ黒く浮かび上がっている。

 バルクはバルコニーのベンチに腰を下ろした。


「仲間たちを探してやりたい。精霊使いたちにとっては聖域破りをするようなロクでもない人間だけど、僕にとってはかけがえのない仲間だった。何か、仲間の持ち物でもいいから、残っていれば」


〈あなたには、彼らのほかに仲間とか、友だちとか、家族はいないの?〉


 リコはバルクの隣に腰かけた。


「いない」バルクは正面を向いたまま言った。「僕は施設で育った。親の顔は知らない。6歳の時、魔術を教えてくれた師匠について施設を出て、それからはキャラバンで暮らしてた」


〈キャラバンを離れたのはどうして?〉


 バルクはリコの顔を見て、再び正面を向いた。


「…キャラバンが盗賊団に襲われたんだ。魔物じゃなく、人間にね。師匠と僕はキャラバンを守ろうとしたけど、数が多すぎた。それで僕は狼になって…。気づいたときには、周りは死体の山だった。その日から、キャラバンの人たちの、僕を見る目は変わってしまった。師匠が、人に狼の力を見せちゃいけないって言ったのはこういうことだったのかって、わかったときには遅かった。耐えきれずに僕はキャラバンを逃げだして、ジェムハンターになった。彼らは単なる仕事仲間というより、友だちだったんだ。でもそれも、失われてしまった」


 リコはバルクの横顔を見つめていたが、何も言わずに立ち上がると、バルクの正面に立った。


「?」


 バルクは、身長差が逆転したリコの顔を見上げた。

 リコはゆっくりと体をかがめると、バルクの唇にそっとくちづけた。


「…」


 そのキスの意図は図りかねた。恋人にするキスというよりは、母親が子どもにするようなキスだ、とバルクは思う。あるいは、啓示か、恩寵のようにも感じる。

 長いのか短いのかよくわからない時間が流れた後、リコはそっと唇を離した。二人の視線が至近距離で交わる。

 リコは目を見開いてはっと小さく息を飲んだ。食堂から漏れてくる光だけでもそうとわかるくらいに、みるみる真っ赤になると、何も言わずに逃げだした。

 バルクも弾かれたように立ち上がったが、突然のことに声が出ない。そもそも何を言えばいいのかよくわからなかった。

 リコの居室のドアが閉まる音が聞こえた。



 それと入れ違いにガラガラとワゴンの音が入ってくる。


「遅くなって悪りぃ。食事だぞ、ってあれ? リコは?」


「部屋に…」


 バルクはなんとかそれだけ声を絞り出す。骸骨のシェフはバルクの様子がおかしいことには気づかなかったようだった。


「ちょっと呼んできてやってくれねぇ?」


 シェフは配膳しながら言う。


(この空気で)


 しかし魔物に心配をかけるわけにもいかなかった。

 バルクはリコの部屋をノックする。

 少し時間を置いて、リコがドアを開けた。


〈あの…、ごめんなさい、わたし…あんなこと〉


 横を向いて、目をそらしたまま言う。言うそばから、頬が赤く染まってくる。


「いいんだよ。いや、それが正しい答えなのかもわからないけど。『気にしてない』って言った方がいい? それとも『気にしないで』って言った方がいい?」


〈気にしないで、って、言って…〉


 リコの顔はどんどん赤くなって、胸元まで赤くなっていた。


「いいんだよ。気にしないで」


 リコはようやくバルクを見た。


〈ありがとう〉


「何してんだー? せっかくの料理が冷めっちまうぞ!」


 骸骨シェフが痺れを切らして呼びにきた。彼は「温かいものは温かいうちに」「冷たいものは冷たいうちに」食べないと許してくれなかった。

 しばしば、人間の死体にジェムが結合し、魔物になることがある。きっと彼は、実際にシェフだったんだろう、とバルクは思っている。骨にも人間だった時の記憶が染み付いているのかと思うと興味深い。

 食事の間、二人は何も話さなかった。それは昨日までは普通のことだったし、不思議に思う者は誰もいなかった。

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