【2】

 村瀬先生は、高校時代の国語の教師で、多分、かつての恋人だ。掴み所のない、不思議な人だった。見てくれの悪い大きなウエストポーチを腰に巻いて、その中にチョークやら指示棒やらを詰め込んでいる。授業中に時間を測るときには、やたらと音の大きい赤いキッチンタイマーを取り出す。ウエストポーチは見た目こそ不恰好だったけど、口が大きくて収納スペースも多く、使い勝手の良さそうなものだった。でも、高校生からすれば先生の身につけているものが使いやすいかどうかよりは、他の先生と同じか違うかの方がよほど重要だ。私たちは、村瀬先生が他の教師と違う、というところに強烈に反応した。

 他の教師と違うなら、これはどんな教師なのか。私たちは村瀬先生を、何かしら私たちの理解可能なカテゴリの中に収めようとしたけど、うまくいかない。授業を受けると余計に、村瀬先生のことがわからなくなる。

 村瀬先生の授業は難しい。答えをくれないからだ。あるときは、「『自分の言葉で話す』とはどういうことか」というテーマで600字の小論文を書かされた。ほとんどの生徒は何も書けなかった。困り果てて、そんなことは考えたこともないし、教わったこともないのだから答えようがないという意味のことを言った生徒は、ひどく叱られていた。こういう、明らかに決まった答えの存在しているはずのないような問題について、最初から他人に答えを教えてもらおうとする姿勢が気に入らない、というようなことを言っていたと思う。叱られた生徒だけでなく、クラスのみんなが落ち込み、途方に暮れた。他のクラスの現代文の授業ではこんなことはしていない。なぜ私たちだけこんな大変な思いをさせられなきゃいけないんだ。そんな思いもある。

 世界史や地理なら用語や年号を覚えればそれが答えだし、数学にも問題を解けるか解けないかはともかくとして答えが存在している。国語の答えは、教員が何を答えてほしいと思ってるかを忖度することで掴める。少なくとも、私は小中学校ではそうやって国語の試験を突破してきた。でも、村瀬先生が何を求めてるかはさっぱりわからない。


 何を考えているのかわからないけど、どこか無視できない。わからないものをわからないままにしておくのは気持ち悪い。私は、休み時間や放課後に、講師室で村瀬先生と話をするようになった。そして、卒業してから、私はなんとなく村瀬先生と付き合い始めた。いや、付き合っていたと言ってよいものかどうか。村瀬先生の他にも男がいた。その男のどこを好きだったのか、今となってはよくわからない。束縛は激しかったし暴力も振るわれた。何かにつけてブスだと言われ、生きる価値がないと言われた。そういう男に嫌気がさして、村瀬先生に近づいてみた、というところはある。今、振り返ってみれば、その男と比べれば村瀬先生は余程真っ当な人だったのは間違いない。

 村瀬先生は私を少しも束縛しなかったし、否定しなかった。私のことはなんでも受け入れてくれたし、褒めてくれた。けれども、束縛され、否定される関係に慣れてしまっている人間は、束縛しないことを自分への関心の無さと受け取り、否定しないことを真実を告げない不誠実さと受け取ってしまうのだ。そして、束縛せず、否定しないのは弱さであり、弱い相手に対してはこちらが優位に立つ資格があると考える。


 村瀬先生と話していると、ものの見え方、感じ方が変わっていくような心地がした。一緒に映画を観ると、村瀬先生はその映画の背景にある社会問題とか、哲学的なテーマについて説明してくれた。映画に限らず、テレビドラマでも音楽でもyoutubeの動画でも、私が見るのと村瀬先生が見るのとでは受け取るものがまるで違う。村瀬先生と一緒にいると、世界が広がっていく。私はそれが楽しくて、そして、怖かった。

 世界は、私が思っていたよりもずっと広い。空はどこまでも空でしかないけど、空を観察する目を養えば、東京の空だってこんなに豊かな表情を見せるのだとわかる。世界は広がっていく。物理的な空間の問題ではない。私が変われば、いま、ここにある世界が変わるのだ。それを自由と呼ぶのだろうと、村瀬先生は言う。でも、私にはその自由が恐ろしい。世界は変わる。変わり続ける。変わり続ける世界では、私は進み続けなければいけない。村瀬先生は、私の世界を広げてくれた。それは間違いない。でも、世界が広がれば広がるほど、わからないことも増えていく。わからないことが増えるから、私は世界を広げ続けなくてはいけなくなる。世界を広げるのは、楽しさもあるけど、苦しい。それまでの当たり前が否定されるということなのだから。不安が募る。どこまで行っても終わりがない。それならばいっそ、変わらない世界に閉じ込められていた方が楽なように思われる。

 村瀬先生を知れば知るほど、私は村瀬先生がわからなくなった。近づけば近づくほど、遠ざかっていくような気がした。その不安に比べれば、私を殴ったり否定したりする彼氏は、私にとって安全だった。彼は、答えを与えてくれる。正しいか間違っているかは別として、答えが与えられるという事実は大きい。


 私はだんだん、村瀬先生を縛るようになった。村瀬先生のことを否定してみせるようになった。先生の服装や髪型や話し方、歩き方にいちいちダメ出しをして、私の思うような男性に仕立てようとした。村瀬先生が、もう少しだけ“普通”になってくれれば、私の理解の及ぶ男の人であってくれれば、私は安心して村瀬先生と付き合える。そんなふうに思っていたのかも知れない。村瀬先生は、可能な限り私からの理不尽な要求を受け入れていた。それでも、村瀬先生は私の理解に収まる何かにはなってくれなかった。

 結局、ある時期を境に、村瀬先生の顔を見るのも嫌になって、「別れたい」とだけ言ってラインをブロックした。それで終わりになるはずだった。


 私がおかしくなったのはその頃からだ。村瀬先生に一方的に別れを告げてから、私は村瀬先生が怖くなってしまった。そもそも何を考えているのかよくわからない人ではあったのだけど、別れて顔が見えなくなってからは余計に、先生のことが不気味に感じられるようになった。

 不安でたまらなくなった私は、高校時代の担任に相談した。「村瀬先生に付き纏われている」と言った。女子生徒からのこういう告発が、村瀬先生の立場にどう影響するか、その時の私には全く考えられなかった。私はただただ不安で、何をどうすればこの不安から解放されるかわからなくて、思わず出てきた言葉がそれだったのだ。結果的に、村瀬先生は学校を辞めさせられてしまった。

 それからも、私の不安は少しも和らがなかった。ますます酷くなった。何の理由もなく涙が止まらなくなったり、チックや過呼吸が起こったりするようになって、大学も続けられなくなった。病院に行ったら「不安障害」という診断がついた。その後、薬を飲んでなんとか専門学校に通って、卒業してからは派遣の事務をやっている。


 この話を漫画にしてSNSに上げたことがある。その漫画は上手い具合に拡散されて、私に好意的な反応が多数寄せられた。自分に同情が集まるように事実を切り取り、繋ぎ合わせるのは簡単なことだ。嘘をつく必要もない。

 別れることになったのは、村瀬先生が嫌になったからだ。これは私の問題ではない、ということにできる。別れた後、無性にあの人が怖くなったのも、そもそも村瀬先生という人がそういう得体の知れない何かを感じさせる人だったからだ。決定打になった「村瀬先生に付き纏われて困っている」と元担任に話したことにしたって、まるっきり嘘をついた訳ではない。別れたいと告げた後に1、2回電話をかけてきたことを「付き纏われた」と表現するのは、真実ではなかったけど全くの出鱈目でもない。私には村瀬先生を失職にまで追い込むつもりなんかなかった。私はただ、自分ではどうすることもできない不安を解消したかっただけだ。

 そうやって、多数派を味方につければ、楽になれるのではないかと思った。結果として、私は誰からも断罪されなかった。そもそも、卒業してすぐに女子生徒と付き合う教師に同情する人は少ない。そして、「同情されない」と「悪い」は、この国ではほとんど同じことなのだ。

 それなのに、私の気持ちは少しも休まらない。何の本で読んだか忘れてしまったのだけど、英語ではグラスをうっかり落として割ってしまったときに、「グラスを割った」とは言わず、「グラスが割れた」と言うのだそうだ。「グラスを割った」は、自分の意思で金槌か何かを持ってグラスを破壊した場合などに言うらしい。

 グラスは割れてしまった。もう元には戻らない。わざと割ったんじゃない。私はそう主張したし、それは認められた。それでも、グラスが割れてしまった事実は変えられない。事実は、私が世間的に非難されなかったこととは全く無関係に、ただ事実としてそこにある。グラスは割れてしまった。割れてしまったという事実をどうすれば良いかわからないまま、私はそれを抱え続けている。

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