第90話:幼いクレス王子

 口数が減りながらも、少しずつ運転に慣れ始めたアリーシャさんは、次第に緊張が抜けていった。不自然に浮いていた手が膝の上に置かれ、いつもの落ち着きを取り戻している。


「クレス王子のことで、聞いていただきたい話があります」


 本題があります、と言わんばかりに、アリーシャさんが声をかけてきた。シフォンさんの命令で俺を御者台に座らせたなら、今回の依頼に関わる話をしておきたかったんだろう。


 昨日の話し合いの途中、恥ずかしがってクレス王子が妨害したけど、重要な話だったはずだから。


「気になってたんですよね。いくら王族とはいえ、現在も国が頭を抱えているような状態なのに、幼いクレス王子が生産ギルドを止められるとは思えません」


 生産ギルドによるクラフターの除名。国も生産ギルドも大きく体制が変わるほどの出来事を、簡単に覆せるはずがない。大きな権力を持つヴァイスさんの力を借りたとしても、同じことが言えると思う。


「私の浅はかな考えかもしれませんが、幼いクレス王子だから、生産ギルドを止められたのだと思います。九年前、クレス王子が『希望への架け橋』と称賛されたあの日、私は泣きじゃくるお嬢様を必死にあやすことしかできませんでした」


 俺に目を合わせることなく、まっすぐ前だけを見据えるアリーシャさんは、昔のことを思い出しているようだった。


「クレス王子が七歳の誕生日を迎える前日、お嬢様と交流を深める食事会が開かれようとしていた時のこと。食事が運び込まれると同時に、悪い知らせが入りました。憤怒したヴァイス様がお越しになっている、と。居ても立ってもいられなくなったクレス王子は、お嬢様に一言謝罪し、自らの意志で会食を中止されました」


 二人とも高貴な貴族の生まれだし、幼い頃から婚約が決められていたんだろう。国と関わりの深いヴァイスさんが怒って王城に足を運ぶほどの騒ぎなら、呑気に会食を楽しむ場合じゃない。


 幼い子供だったとしても、大事件が起こっていると察したはずだ。


「その日の夜、クレス王子がお嬢様の元へ訪ねてこられ、詳しい事情を説明。淡々とした口調で、王位継承権を放棄すると共に、お嬢様との婚約破棄を言い渡しました。生産ギルドの過ちを止められるのは自分しかいない、そう言ってお嬢様に別れを告げたのです」


 ……婚約破棄? 昨日はシフォンさんに婚約者と紹介されたから、結果的に婚約破棄は免れたのかな。公爵家ほど家柄がよければ、自由に将来や結婚相手を選べないと思うし。


 それよりも気になるのは、ナヨナヨ系のクレス王子が取った行動だとは思えないことだけど。


「クレス王子は七歳でしたよね? 今の姿からは想像できないんですけど」


「当時のクレス王子は、とても勇ましい方でした。いまは何か深いお考えがあって、貴族の風格を捨てたのでしょう。王族としての責務を果たそうとして、七歳という若さで王位継承権を放棄するなど、普通の子供にはできません」


 そういえば、護衛の騎士も似たようなことを言っていたな。『クレス様は王位継承権を放棄されても、王族としての責務を果たそうと生きてこられた』、と。


 王位継承権を放棄した時点で貴族ではないと主張したかったのか、素のクレス王子が頼りないだけなのかはわからない。でも、九年前と同じことが起こったいま、再び生産ギルドを止めるために立ち上がったのは、奇しくも同一人物になったわけだ。


「翌日、広場に集まる民の前に顔を出したクレス王子は、七歳の誕生日に王位継承権の放棄を宣言し、クラフトスキルを持って生まれてきたことを告白しました。言わなくてもわかると思いますが、お祝いムードが一転して、とてつもない緊張感に包まれましたね」


 隠しきれないことではあるけど、王族が不遇職に生まれてきたと知らされれば、暴動が起きてもおかしくないだろう。シフォンさんが魔法学園に通うのも、公爵家の領主になるためには、Cランク冒険者以上の力を持たなければならないからだ。


 王族ともあろう人間が戦いに身を投じれないなんて、民にとっては、最大の裏切り行為に感じるはず。たとえ、クレス王子に悪意がなかったとしても。


「民に注目されたクレス王子は、力強い言葉で訴えました。戦いで国を守れない反面、生活を豊かにする力でこの国を変える、と。陰から国を支えて、繁栄に導くことを約束したのです。明るい未来を繋ぐための架け橋になる、そんな言葉を残した幼いクレス王子に多くの民が魅了され、盛大な拍手が送られたことを記憶しています」


 まだ七歳の幼い王子が現実を受け止め、王位継承権を放棄したうえで国を繁栄させると約束するなんて、なかなか言えることじゃない。少なくとも、民の心を動かすという意味では、王族に相応しい決意表明だったんだと思う。


「それで生産ギルドが、クラフターの除名をできなくなったんですね。クレス王子の登録を拒否すれば、王都の住人を敵に回してしまうから」


「はい。演説を終えたクレス王子は、王都の住人と騎士を引き連れて生産ギルドへ向かい、クラフター登録を済ませ、そのままヴァイス様に弟子入りされたそうです。それから生産ギルドが、クラフターに対する評価を改めたはずだったのですが……」


 大きなため息を吐くアリーシャさんと現実を照らし合わせれば、うまくいかなかったとわかる。生産ギルドがクラフターの評価を改めたわけではなく、確実に除名できる方法を模索していただけにすぎなかったんだ。


「二年前にクレス王子が魔法学園に進学したことで、風向きが変わりました。ヴァイス様の元を離れたクレス王子がお嬢様と同時期に入学したため、良くない噂が流れ始めたのです。誰が何のために作った噂なのか、私でも見当が付く内容でしたが」


 生産ギルドか。クラフターが必要とされていない世界でもないのに、頑なに排除しようとする姿勢は過激すぎるな。


「民に誓った約束を捨てたクレス王子が元婚約者にすがりついた、って感じでしょうか。陥れようとしない限り、そんな噂は流れないと思いますし」


「私もそう思います。実際には、お嬢様が何度も再婚約に向けて動き続け、トレンツ様を説得して、国王様の許可をいただきました。魔法学園の入学時期が重なったことも偶然で、意図的に噂が広められた印象を受けます」


 現実がどうであったとしても、一度でも悪い噂が広まったら、クレス王子の信頼は地に落ちるだろう。王族とはいえ、不遇職に期待する方がバカだったと思われてもおかしくはない。


「生産ギルドにとって、都合が良い噂になりますね。クラフターを追い出すための口実を作り、反対派のヴァイスさんの地位を下げることにも繋がる。そして、雪崩が起きたいまが絶好の機会と判断して、正当な理由で追い出そうとしているわけですか」


 護衛騎士の忠義心も下がってたくらいだし、生産ギルドには最高の展開だな。正式な理由でクラフターを除名できて、民衆の反感も少なくて済む。


 この分だと、クレス王子が王位継承権を捨てた本当の理由は、一部の人間しか知らされていないだろう。九年前は、クラフターを除名する前に先手を打っている印象を受ける。今回は後手に回された分、何があっても衝突は免れないな。


「千年続くフォルティア王国の歴史のなかで、王族に生産職が生まれたのは、今回が初めてのことです。何か使命を果たすために生まれてきたのではないか、そう考える人も少なくはありません。ですが、九年と言う長い月日が流れ、目に見える結果がないのも、また事実です」


「その最後のチャンスがこの依頼ですか。好きにしていいとは言われたものの、ちょっと困りましたね。依頼の規模が大きすぎますよ」


「私が関与するにも大きい問題ですから、あとはお嬢様とクレス王子に相談してください。きっと無理強いはしないと思いますよ」


「本当ですか? 依頼報酬、出来高で受けましたよ。思いっきりやってほしい、そう言われてる気がしますけど」


「この依頼が失敗すれば、クレス王子の立場が失われます。お嬢様ももう一度、婚約破棄をしたくはないと思いますが……メイドの独り言ですので、気にしないでください」


 手伝ってくださると信じてますよ、そう言わんばかりの安心しきった笑みを向けられ、俺は何も言い返すことができなかった。


 VRMMOで建設した塔が『愛のキューピッ塔』と言われた俺のクラフト人生は、他人の結婚話に縁があるようだ。少しくらいは還元してほしいんだが……仕方ない。元から断るつもりもなかったし、二人の婚約話を継続させるためにも、一肌脱ぐとするか。

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