第212話 ボーッとしていた
「えっと、僕は友達の石上といいます。真夏さん、話してもいいですか?」
『……』
彼女は答えない。
グスグスいっていた音はもう聞こえなくなっていたけど。
「何か辛いことがあったの?」
少し間が開いて、もう一度グスって音がした。
『ハブられた……』
「学校で?」
『そう』
スンスン鼻を鳴らしながら、ちょっとずつ話し出す。
「大変だったね」
『そう! スゴイ大変だったの! 聞いてよ、マジで!』
参のイケボが功を奏したのか、彼女はそれからしばらく自分の身に起きたあれこれを、思い出しては語ってくれた。
『それでね、さっき言ったサチがぁ、』
「ごめんね、真夏さん。僕らそろそろ寝たいんだけど、いいかな」
『え~っ?! もう寝ちゃうの?』
「うん。それから、君が大変だったのはよく分かったよ。でも、滝夜が大変だったの、君知ってるでしょ。謝ってくれると嬉しいな」
『……、ん……、ごめんなさい』
「じゃあ、君もおやすみ。夜更かしは身体に悪いよ。またね」
『うん。おやすみなさ~い』
通話が切れた部屋は、恐ろしく静かだった。
「滝夜」
ハジメがおれを呼ぶ。
それは分かる。
「滝夜、だいじょうぶか?」
分からない。
なんだか現実感がないだけだ。
「もう寝ようか」
「そうだな」
そして促されるままにベッドに入り、おれは眠った。
+
次の朝、おれは普通に目覚めて1階へ降りた。
台所にいた小猫が振り向いて、ニヤッと笑った。
「ヒョヒョお目覚めじゃな」
「────」
その時感じたのは何だっただろう。
ただクッと胸が詰まって、それを何故だかは分からなくて。
ただ、ああ、昨日小猫いなかったなと思う。
「昨日、何してたの?」
小猫は朝ごはんをテーブルに並べてくれながら、いつものように言った。
「別になにも? はるたんがあっちじゃったからの」
それでおれは少し笑顔を作れた。
朝ごはんの用意を手伝いながら、いつもありがとうとか言って、気味悪がられた。
参が降りてきたから、おはようを言って、三人でごはんにした。
ハジメは寝相が良くないとか、ぜんぜん起きなかったとか話しながら、楽しく食べた。
美味しかった。
「滝夜」
洗い物をかって出てくれた参が、台所へ皿を運ぶおれに声を掛ける。
「後でちょっと稽古しない?」
それは意外で、だけど心躍るような申し出だった。
「うん! するする。何するの?」
「う~ん、走ったりとか? 共通するのって、あとは筋トレ?」
「そうだね。柔道は畳がいるし」
「うん。じゃあ後で」
もう、参ってば大好きだ!
おれは久しぶりにいつものロードワークコースを、参を案内しながら走った。
思えば練習できなくなったのも、報道が過熱して、おれがウロウロしてたら見つかっちゃうからかもしれなかった。
そういえばマコに、大人しくしてろって言われたような気もするし。
いつまでもジムを使わせてもらえないのも、師範との稽古がおあずけなのも、原因はそれだとしか思えない。
寺井さんの協定というやつがどんなものか教えてもらえてないけど、稽古だけでもなんとかならないかな。
おれはもう、我慢なんかできそうにない。
そんな理不尽を受け入れてばかりいたら、どうにかなっちゃうよ。
身体を動かすのは楽しい。
つい笑顔になっちゃうくらい、楽しいことなんだ。
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