人が人を想うということ
人が人を想うということ -1
家に戻って、遅い朝食を食べる。他のみんなは既に食事を終えたらしかった。アデイルも先に用事を片付けたいと言って、食事を後回しにしたので――もしかしたら、一人にしてくれたのかもしれないけれど――オリバーは一人、食卓に着いた。考え事が頭を占めて味なんてしないかと思ったけれど、魚の出汁で炊いた蕪は淡い味付けで舌に優しい。
「オリバー。おかえり」
「ただいま」
食堂に現れたエルダが、オリバーの隣にすとんと座った。
「今、朝ご飯なんだ。それ、美味しいよね」
「うん。トーラスさん、料理上手だね」
オリバーは皿の中にある蕪の、最後のひとかけを口に運んだ。
「みんなは何してるの?」
「トーラスさんは食事の片づけした後、魔法薬の調合とかするって言ってた。フランチェスカとレナードは、怪我が落ち着いたから二人で回復訓練してるって。邪魔しちゃ悪いから、私は一人で適当に過ごしてる」
食卓の上に、エルダは視線を落とした。
「エイミーのところにも、行ってみた」
「どうだった?」
「どうってことも、なかった。エイミーに会いにくれば呪いが何とかなるって根拠、あったわけじゃないの。どうすればいいのかは、まだわからない」
トーラスは、呪いのもとになったわだかまりを解くことが解呪に繋がるだろうと言っていた。
エイミーの、心を縛るもの。
「俺、お母さんから色々話を聞いたんだけど」
父の墓前で、母が話してくれたこと。
オリバーなら受け止められるだろうと語ってくれた過去。
きちんと、向き合いたいと思う。だけど一人で抱えるのは、重い。
誰かに聞いてほしくて、オリバーは口を開いた。
「エイミーの呪いの原因、俺にも責任があるみたいなんだ」
オリバーの告白に、エルダは瞬いた。
「それって、どういう」
「俺とエイミーって、すごく仲が良かったらしいんだ。俺のお母さんもお父さんが漁に出ている間は一人だし、エイミーのお母さんのイリスさんも一人だし。だから協力し合って一緒に子ども育ててるようなもので、俺とエイミーは兄妹みたいなものだったって」
そもそも状況から言えば、乳兄弟でもある二人だった。そんな関係は煩わしい力関係の噴出する高貴な身分でもなければ、どうということはないだろう。ともかくも生まれた時からずっと近しい二人は、兄妹のように仲が良かったらしい。
「エイミーは、俺のお母さんのこともすごく大好きだったみたい。『本当のお母さんも、アデイルおばさまも、二人とも私のお母さん』ってよく言ってたみたいで。イリスさんが体調をよく崩すようになってからは、なおのことエイミーは俺のお母さんの方を頼ったって」
「それは少し、分かるかもしれない。私もフランチェスカはちょっと特別だもの。お母様みたいとは思わないけれど」
「うん。俺もライエはもう一人のお母さんみたいなものだと思うし。まあ、俺の場合は実際育ててもらったわけだけど……。血のつながりは関係なく、愛情ってあるんだと思う」
エイミーは叔母ライエのことを、厳しい人だと思ってやや苦手にしていたと聞く。オリバーが思うには、厳しさも愛情だったのだろうけれど。
「それで、七年くらい前。イリスさんが亡くなって。その時、王太子……もう王様に即位してたか。エイミーのお父さんも、レイラ島に弔問に来て」
エルダの顔色が変わった。彼女にとっても、父親の話だ。
王は忍んで、本当に数えるだけだけどイリスたち親子に会いに来ていたようだった。エルダがそれを知るのは気分が良くないだろうから、言わずにおく。弔問の時はずいぶんと久しぶりに、レイラ島に訪れたようだった。
「エイミーは、王様に帰ってほしくなかったんだろうな。それで『嵐になって、船が出なければいいのに』って、言ったんだって」
唇を噛む。きっと幼い子供のささやかな願望だった。
「そうしたら本当に嵐になって。その嵐で、俺のお父さんの船は沈んだ」
エルダの息を飲む音が聞こえた。
「きっと偶然なんだ。確かに天気は急変したらしいんだけど、そんなの海ではよくあることだから。エイミーが『嵐になれば良い』って言ったのは本当みたいだけど、それだけで本当に嵐が起きるわけない」
そう、幼いオリバーが納得することができれば良かった。
「それでも俺は、エイミーに言ったんだ」
幼い自分は、きっとひどく悲しんだのだろう。何かに憤りをぶつけたかったのだろう。
「『お父さんが嵐で死んでしまったのは、エイミーが言ったせいだよ』って」
きっとオリバーは、どうにもならない苦しさを誰かのせいにしたかったのだ。それがどんなにエイミーを傷つけることになるかもわからずに。
「でも、エイミーは魔女なのでしょう。『はじまりの魔女』はレイラ島に人々を閉じ込めようとしたって伝承もあるし、古くからその血を引いていれば、船を沈めるくらいはできるのかも」
「わからない。実際、エイミーの呪いは海すら波立ててこの島への侵入を阻んでいるし、やろうと思えばできるのかもしれない。だけど偶然でも、エイミーの持つ魔力が勝手にやったんだとしても」
オリバーは頭を抱えた。
「言っちゃいけないことを言って、引き金を引いたのは俺だ」
エルダが小さく頭を振っていた。
「それ以来、エイミーは言葉を話せなくなった。言いたいことを抑え込んで、嵐の後に王様が島を去って行く時も『行かないで』と言うことすらできなかった」
言葉にできない想いが、エイミーの中に溜まって行った。誰かに愛情を訴えたくても、縋りつきたくても、幼いながらに罪悪感がそれを彼女の中に押しとどめて、澱のように降り積もっていく。やがて抑えきれなくなった淀みは魔力と共に溢れ出し、呪いと化して文字の姿をとって周囲の人々に纏わりついた。
「エイミーから溢れた呪いは、俺のお母さんを捕まえた。きっと、王様みたいに島の外に出て行ったりしないようにって思ったんだ。お母さんは子どもにまで呪いが降りかからないようにって、ライエに託して俺をはじまり島から出した」
『ライエと二人で、ヴェルレステ本島に遊びに行くのよ』と嘘をついて、アデイルはオリバーをレイラ島から送り出した。
事の深刻さにライエはむしろ、オリバーとアデイルは一緒にいるべきだと強く主張した。エイミーの呪いは既にアデイルを縛るだけでなく、レイラ島を包囲しつつあったから、一時的な離別では済まないだろうとライエは考えたのだ。
子どもが愛情を一番必要とする時期に、親子を引き離すようなことはするべきではない。けれどアデイルは、母と子二人だけの、小さな島での狭い世界しか知らないままでオリバーに生きてほしくはないと願った。わが子の手を離すつもりかと説得するライエに、『傍にいたいに決まってるでしょう』と血を吐くような思いで言い返したという。
「だからライエは、お母さんの代わりに俺を一生懸命に育ててくれて。それで、いつかはお母さんのところに返すって、誓ったんだ」
遊びに行くと言われて、オリバーは父親を亡くしてから初めて笑ったという。何も知らぬまま、楽しそうにライエと二人、レイラ島を後にした。
「だけどそうしたら、出て行った俺の記憶は呪いで消された」
「エイミーはアデイルさんを独り占めしたくなったのかな。オリバーがお母さんに会いたがって、レイラ島に帰ってこないように」
「かもしれない。自分ではない、父親に愛される子どもの存在も嫌だった。それでエルダや王妃のお腹にも、呪いが降りかかった」
幼い子供のわがままだ。だけど誰にも訴えられず、ため込んだ想いは呪いとなって牙を剝いてしまった。
もしもエイミーが、思い通り気持ちを言葉に出来ていたら。オリバーの父親を死に追いやってしまったという罪悪感に駆られず、心のままに寂しさや悲しみを吐露することができていれば。こんなことには。
「俺のせいだ」
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