魔女と少年 -3
鼻をくすぐる香ばしい匂いがした。
「おうオリバー、食ってかないか」
すれ違いざま声をかけてきた馴染みの街頭商人の手には、こんがり焼けた魚の塩焼きの串が握られていた。
「いいよ。祭りじゃあるまいし」
「何でそこで祭りが出てくるんだよ」
「祭りの醍醐味と言ったら買い食いだろ」
別に平素買い食いしても良いけれど、誘惑に負けていたらきりがない。だからオリバーが街に下りてきて食事をするのは、建国記念祭や豊漁祭の時などの特別な日がほとんどだ。たまにライエやレナードが甘い顔をしてくれれば、軽食やお菓子なんかにありつけるけれど。
「まあいい。じゃあやっぱり食ってけよ。もう少しで祝いの季節がやって来るんだから」
「なんでさ。建国記念祭はこの前終わったばっかりだし、豊漁祭は秋だからもう少し先だろ」
串焼きを売ろうと出鱈目を言っているのかと思えば、男はにやりと笑う。
「いやいや、今年は特別だ。どうも王妃様がご懐妊だって話だ」
「ちょっと、そういう繊細な話を声高に話すんじゃないよ」
調子よく話す男の背後から、たしなめるような女の声が響いた。
「なんだよ、そういう話、聞こえて来てるだろ?」
「確かにそういう噂は流れて来てるけど」
買い物の荷物を両手に抱えた、見るからに頼もしい婦人は言葉を続けた。
「子どもの話は、王室がピリピリするんだよ。またエルダ王女みたいなことになったら、気の毒だから」
「エルダ王女って、第一王女の?あんまり表に出てこない」
オリバーの疑問に、女がオリバーを示しながら言い募る。
「あんたくらいの年の御子だね。とっくに表にお出になってもおかしくないお歳だけど……。なんでも小さいうちに病にかかって、日常生活もままならないっていうじゃないか」
「そういう話、ちょっと聞いたことあるけど……」
「最初の御子がそうだもの、王妃様もそりゃあ重圧を感じてるだろうよ。そういう不安とか緊張ってのは、お腹の子に差し障るからね。まだ正式な発表もないうちに、アタシら下々のもんが好き勝手に騒いじゃ可哀想さ」
そう言う割に、女の口はよく回った。
「五体満足、健康な御子がお生まれになって初めて、国を挙げて盛大に祝おうってもんさ。あんたもくだらない売り文句で、子どもに食い物売りつけるんじゃないよ!」
言いたいだけ言ってすっきりしたのか、女はさっさとその場を後にした。男は苦笑いしながら、もう一度魚の串をオリバーに差し出す。
「長話聞いてたら、腹減ったろ?」
「だから、良いって。帰ったら昼飯ぐらいあるよ」
「どうせお前んとこの献立は、つまんない麦粥くらいしかないんだろ。あの魔女さん、見た目はどこかお屋敷の貴婦人にでも見えるのに、ずいぶん質素だな」
魔女は隠遁生活を送るものだと思われがちらしいが、この街においてライエはその印象を覆している。彼女は度々街に下りたし人と関わるので、その挙動はよく知られるところだった。
「きっと麦粥だけじゃ足りないぜ。ほれ、少し腹に入れてけよ」
香ばしい焼き魚の香りは、育ち盛りのオリバーにはなかなかの誘惑だ。お金もいくらかは持たされているから、買えなくはないが。
「夕飯はもう少し豪勢だよ。良いんだ、俺、あのつまんない麦粥が結構好きなんだから!」
家の台所を預かるライエからは、嫌味の一つでも返されそうな会話を切り上げて、オリバーは通りの方を向き直った。瞬間、人にぶつかってよろける。
「わ!」
「いてっ」
お互い声を上げて、顔を確認する。その見慣れた容貌に、オリバーは内心でもう一声上げた。
(うわ)
「よお、オリバーじゃないか」
面倒な奴と遭遇してしまった。多分、自身の表情にも忌避したい気持ちが出てしまっていただろうから、さっと顔を背けて早口で言う。
「ぶつかって悪かったよ。それじゃあな」
「おい待てよ」
相手はオリバーと同じ年頃の少年だった。
オリバーが足早に去ろうとすると、少年は素早く商人に硬貨を渡した。ひったくるようにして魚を受け取り、歩みを早めるオリバーの横に並んだ。
「なんだよ、謝っただろ。別にお前に用事なんてないよ」
「俺も別にないけどさあ」
むしゃむしゃと魚をほおばりながら、少年は続けた。
「お前、買い食いする金もないの?しょうがないかあ。お前、もらわれっ子だもんな」
聞き捨てならない言葉に、オリバーは足を止めた。勢いをつけて少年を振り返る。
「本当のことだろ。あの魔女の本当の子どもじゃないし、どっかから捨てられてきたから、小遣いの一つももらえないんだろ」
「ふざけるな!」
オリバーは怒鳴った。
息をするように人を馬鹿にする。からかうのを生きがいにしている。この馬鹿を『悪ガキ』の一言で片づける大人もいるけれど、こんな侮辱は許されない。
食べかすに汚れた口で吐かれる暴言に、オリバーは腹の底が熱くなってたまらなかった。
「それとも、買われてきたのかな?」
尖った串の先が、オリバーの額に突きつけられる。
「よその国じゃ、奴隷を売り買いしてるんだとさ。奴隷は家畜みたいに、焼き鏝で印をつけるんだ。文字とか、数字とか」
少年の意地の悪い笑み。
「それで、囚人と同じように扱うんだぜ」
オリバーの背筋が凍る。
「違う!」
「お前、ヴェルレステに来る前のことを覚えてないんだろ?それなのに違うなんて言いきれる?」
オリバーはこんな奴に身の上のことを話した、以前の自分を恨んだ。仲良くしてくれる子達は良い。まさかこんな不愉快な奴も存在しているだなんて、こいつと出会ってしまった頃の自分は知らなかったのだ。
「ここに来る前は、奴隷とか囚人みたいに生きてきたのかもな。魔女だって、お前を召使いくらいにしか考えてないのかも」
「違うったら違う!俺はライエに、ひどいことをされたことなんてない!」
「魔女ってのは、呪いをかけたりもするんだろ?お前、いつの間にか呪いの一つでもかけられてるかもしれないぜ」
魔女は呪う。
この印象は、一部の人々の間では染みついているらしかった。
ライエに感謝し、恩を感じている人もたくさんいるのに。
魔女を呪いと結び付ける者もまた存在するのだった。
「呪いなんて、そんなものあるもんか」
オリバーはそんなものは見たことがない。ましてやライエが誰かを呪っている姿なんて。
「あるだろ。だって、はじまり島は呪われてるっていうぜ。だから誰も入れない」
ヴェルレステ建国の足掛かりとなったとされる、『はじまり島』。
かつては住む者も居り、盛んにヴェルレステや周辺の島々と行き来があったという。
けれどいつからか、住人たちはみるみるうちに島を離れるようになった。それどころか、島周辺の波が拒むように船に立ちふさがるとかで、誰も入島すらできなくなったというのだ。
「あそこは魔女が棲んでる島だっていうんだからな。呪いくらいかかってるかもなあ」
少年の言葉に、オリバーが反論を探していたその時。
「喧嘩も大概にしとけよ」
背後から耳慣れた声がした。オリバーは振り返る。
「レナード先生……」
「レイラ島に入島できないのは、単にあの島がここ十年くらいで王族専用の禁足地になったからだよ」
レナードは俗称の『はじまり島』ではなく、正式名称の『レイラ島』と呼び、もっともらしい解説をした。余裕のある態度で少年に笑いかける。
「ようクソガキ。呪いだのなんだの、ずいぶんな言いがかりじゃないか」
突然の介入者に、少年は一歩身を引いて構えた。
「オリバーの先生?あんたも、魔女の信奉者かよ」
「そんな大げさなもんじゃないけどよ。決めつけで人の名誉を気付つけたり、侮辱するようなことを言うもんじゃないだろう」
レナードは少年を見据えた。レナードは声を荒げたわけでも、拳を振り上げたわけでもないが、静かな迫力があった。
「知るかよ!」
負け惜しみのように捨て台詞を吐いて、少年が去って行く。それでもオリバーの体は、まだ興奮に震えていた。
「大丈夫か」
「……悔しい」
右手のこぶしを固く握る。
自分が不幸な身の上だなんて、ライエが悪い魔女だなんて、嘘だ。
すべては今だ。思い出せない過去に何があったって良いじゃないか。
頭ではわかっているのに。
「自分のことについてわからないことがあったり、知ることができないのは誰だって嫌だろう」
頭にぽん、と大きな手が乗っかる。
「家族を侮辱されて怒らない奴もいないさ。よく言い返したな」
頭に乗った大きな手。もう十四になるオリバーには少しばかり恥ずかしい仕草だが、それでも暖かくて安心感があった。
父親がいたら、こんな感じかもしれない。
だけどレナードはまだ若いし、もっと気安い感じだから、どちらかと言えば兄のような存在だろうか。
じゃあライエは。
ずっと近くで、自分を育んでいてくれてる存在は。
(でも違う)
ライエもレナードも大好きだ。
だけどどこかにいるのだろうか。
この二人のように安心できて、頼もしくて、愛情を注いでくれる。
家族というものが、自分にもいるのだろうか。
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